【明日、白夜になる前に~参拾壱~】
文字数 2,093文字
闇に飲まれたストリートを、ぼくは晴香さんの運転する車に乗って走っている。
微かな街灯の光が車内を一瞬照らしてはまた暗くし、を繰り返している。
ぼくは横目で晴香さんの顔を盗み見る。やはり生きるのに疲れているような、そんなくたびれた感じが見て取れる。結婚した当初は見えなかったシワも出来、髪も幾分パサついている、そんな感じがしてならない。
晴香さんと直人の息子さんは後部座席で横になって健やかな寝息を立てている。無邪気で無垢な子供の姿。直人がいなくなって、彼は今、何を思っているのだろうか。
ぼくはこの車内で、明らかな部外者だった。
確かに、ぼくも母を亡くして数ヶ月だし、こころの中にポッカリと穴が空いたような気もするし、寂しい思いは間違いなくある。とはいえ、ぼくはもういい大人。うしろで寝ている彼とはワケが違う。幼くして父を亡くすーーそうでなくても、父親はあの直人だ。寂しくて仕方ないのではないだろうか。
「今日はごめんね、付き合わせちゃって」
晴香さんがチラッとぼくのほうを見ながらいう。ぼくはハッとし、
「いや、全然。ぼくも暇だったし、何より久しぶりに会えて良かったよ」
「そう……、なら良かった……」
晴香さんは何処か寂しげにいう。霞のような声は夜の闇に溶けて今にも消えてしまいそう。
彼女がぼくを呼び出した理由ーーそれは身辺整理をしていた時に出て来た卒業アルバムを見ていたら、直人と一緒に写っているぼくを見て思わず懐かしくなってしまった、のだそう。
そう、直人は人気者だったにも関わらず、どういうワケかぼくといつも一緒にいた。
正直、晴香さんから告白を受けた時はかなり迷ったそうだ。というのも、直人はぼくが晴香さんを好きだと知っていたから。
最初は断ったのだそうだ。だが、断っても断っても、彼女は引き下がることを知らず、直人もとうとう根負けして、
「ごめん。白鳥と付き合うかもしれない」
とぼくに謝罪をするようにいって来た。その時の直人は本当に申し訳なさそうにしていた。が、ぼくは友人の幸せを悲劇のヒーローぶることで潰したくなんかなかった。あくまで気丈に振る舞い、直人のことを後押しした。
そして、中学生になって、直人は晴香さんと付き合うようになった。
ふたりは美男美女の人気者ということもあって、お似合いの恋人同士といわれていた。確かにその通りだ、とぼくも思っていた。
直人と話しているところに、別のクラスから来た晴香さんが直人を呼び出し仲睦まじく話している様を教室の端から恨めしそうに見ていた。
ぼくにはそれしか出来なかった。
大人になんか、なれなかった。当時は中学生だったとはいえ、正直今でも大人にはなりきれていない、と自分でも思っている。
それからふたりは険悪なムードになることも殆どなく、大学を卒業して社会人四年目に入ったところで結婚した。
当然、結婚式にも招待されたが、その当時はぼくも、スマホが壊れたから連絡が取れなかった、とかしょうもないウソを付き、結婚式には出なかった。
当たり前のように、結婚式の招待状は実家に来ていて、実家から独り暮らししていた部屋に転送されて来てはいたのだが、ぼくは出席のほうへ丸をつけることが出来なかった。
下らない慣習として「御出席」の「御」にバツはつけたが、どうせなら「出席」自体にもバツをつけてしまいたかった。
ぼくは、もしかしたら直人を許していなかったのかもしれない。下らないプライドを捨て去ることが出来ず、友人の幸せを祝福出来なかったのはいうまでもない。
ぼくはチンケな人間だ。
こころの狭い、寂しい人間だ。
そんなことを考えていたら、唐突に涙が込み上げて来る。隣には昔好きだった女性ーーしかも、死んだ友人の奥さんだった女性がいる。うしろには、友人とそんな女性の子供がいる。
泣くわけにはいかなかった。完全なるアウェーで、ぼくはひとり孤独だった。だが、絶対に泣くわけにはいかなかった。
「どうしたの?」
晴香さんに訊ねられ、ぼくは少し取り乱しながらも、「ううん、何でもない」と答える。
「……そう」
車内には車のエンジンの音だけがけたたましく鳴り響いている。まるで心臓が休みなく鼓動しているような、そんな轟音が轟いている。
ぼくはあくまで前を見続けて、横に視線を散らさないよう気をつける。ぼくの横にはもう道などない。寄り道などしている暇はないのだ。
「あのさ、もうちょっとだけ、時間ある?」
突然の申し出に、ぼくは「えっ?」といいながら、思わず彼女のほうを見てしまう。何とも軟弱な意思だろうと恥ずかしくなる。そして、何よりも恥ずかしいのはーー
「う、うん、まぁ……」
と曖昧に肯定してしまうことだ。自分でも何をやっているのか、と思った。ぼくは、自分の気持ちをただダマくらかそうとしているだけなのではないか、と思った。
「でも、何処へ行くの……?」
ぼくは自分の意思とことばが乖離していることに気づく。ぼくは、何と愚かなのだろう。
「それは、お楽しみということで、ね」
晴香さんは笑みを浮かべて、気持ちアクセルを強く踏み込んだ気がしたーー
【続く】
微かな街灯の光が車内を一瞬照らしてはまた暗くし、を繰り返している。
ぼくは横目で晴香さんの顔を盗み見る。やはり生きるのに疲れているような、そんなくたびれた感じが見て取れる。結婚した当初は見えなかったシワも出来、髪も幾分パサついている、そんな感じがしてならない。
晴香さんと直人の息子さんは後部座席で横になって健やかな寝息を立てている。無邪気で無垢な子供の姿。直人がいなくなって、彼は今、何を思っているのだろうか。
ぼくはこの車内で、明らかな部外者だった。
確かに、ぼくも母を亡くして数ヶ月だし、こころの中にポッカリと穴が空いたような気もするし、寂しい思いは間違いなくある。とはいえ、ぼくはもういい大人。うしろで寝ている彼とはワケが違う。幼くして父を亡くすーーそうでなくても、父親はあの直人だ。寂しくて仕方ないのではないだろうか。
「今日はごめんね、付き合わせちゃって」
晴香さんがチラッとぼくのほうを見ながらいう。ぼくはハッとし、
「いや、全然。ぼくも暇だったし、何より久しぶりに会えて良かったよ」
「そう……、なら良かった……」
晴香さんは何処か寂しげにいう。霞のような声は夜の闇に溶けて今にも消えてしまいそう。
彼女がぼくを呼び出した理由ーーそれは身辺整理をしていた時に出て来た卒業アルバムを見ていたら、直人と一緒に写っているぼくを見て思わず懐かしくなってしまった、のだそう。
そう、直人は人気者だったにも関わらず、どういうワケかぼくといつも一緒にいた。
正直、晴香さんから告白を受けた時はかなり迷ったそうだ。というのも、直人はぼくが晴香さんを好きだと知っていたから。
最初は断ったのだそうだ。だが、断っても断っても、彼女は引き下がることを知らず、直人もとうとう根負けして、
「ごめん。白鳥と付き合うかもしれない」
とぼくに謝罪をするようにいって来た。その時の直人は本当に申し訳なさそうにしていた。が、ぼくは友人の幸せを悲劇のヒーローぶることで潰したくなんかなかった。あくまで気丈に振る舞い、直人のことを後押しした。
そして、中学生になって、直人は晴香さんと付き合うようになった。
ふたりは美男美女の人気者ということもあって、お似合いの恋人同士といわれていた。確かにその通りだ、とぼくも思っていた。
直人と話しているところに、別のクラスから来た晴香さんが直人を呼び出し仲睦まじく話している様を教室の端から恨めしそうに見ていた。
ぼくにはそれしか出来なかった。
大人になんか、なれなかった。当時は中学生だったとはいえ、正直今でも大人にはなりきれていない、と自分でも思っている。
それからふたりは険悪なムードになることも殆どなく、大学を卒業して社会人四年目に入ったところで結婚した。
当然、結婚式にも招待されたが、その当時はぼくも、スマホが壊れたから連絡が取れなかった、とかしょうもないウソを付き、結婚式には出なかった。
当たり前のように、結婚式の招待状は実家に来ていて、実家から独り暮らししていた部屋に転送されて来てはいたのだが、ぼくは出席のほうへ丸をつけることが出来なかった。
下らない慣習として「御出席」の「御」にバツはつけたが、どうせなら「出席」自体にもバツをつけてしまいたかった。
ぼくは、もしかしたら直人を許していなかったのかもしれない。下らないプライドを捨て去ることが出来ず、友人の幸せを祝福出来なかったのはいうまでもない。
ぼくはチンケな人間だ。
こころの狭い、寂しい人間だ。
そんなことを考えていたら、唐突に涙が込み上げて来る。隣には昔好きだった女性ーーしかも、死んだ友人の奥さんだった女性がいる。うしろには、友人とそんな女性の子供がいる。
泣くわけにはいかなかった。完全なるアウェーで、ぼくはひとり孤独だった。だが、絶対に泣くわけにはいかなかった。
「どうしたの?」
晴香さんに訊ねられ、ぼくは少し取り乱しながらも、「ううん、何でもない」と答える。
「……そう」
車内には車のエンジンの音だけがけたたましく鳴り響いている。まるで心臓が休みなく鼓動しているような、そんな轟音が轟いている。
ぼくはあくまで前を見続けて、横に視線を散らさないよう気をつける。ぼくの横にはもう道などない。寄り道などしている暇はないのだ。
「あのさ、もうちょっとだけ、時間ある?」
突然の申し出に、ぼくは「えっ?」といいながら、思わず彼女のほうを見てしまう。何とも軟弱な意思だろうと恥ずかしくなる。そして、何よりも恥ずかしいのはーー
「う、うん、まぁ……」
と曖昧に肯定してしまうことだ。自分でも何をやっているのか、と思った。ぼくは、自分の気持ちをただダマくらかそうとしているだけなのではないか、と思った。
「でも、何処へ行くの……?」
ぼくは自分の意思とことばが乖離していることに気づく。ぼくは、何と愚かなのだろう。
「それは、お楽しみということで、ね」
晴香さんは笑みを浮かべて、気持ちアクセルを強く踏み込んだ気がしたーー
【続く】