【明日、白夜になる前に~漆拾~】
文字数 2,148文字
怪しい紫のネオンの中で緊張が軋んでいる。
ぼくが訊ねたこと、それはまったくもってバカげた話だった。だが、ぼくはそれでも真剣な表情で彼女の目を見続ける。
彼女の目は凍りついている。地べたにヒザをつく無様なぼくを見下すその目は、かつて会った時の天使のような彼女のモノでなかったのは、明らかだった。彼女は大きくため息を吐く。
「……突然何をいい出すかと思ったら、どうかしちゃったんじゃない?」
「それだよ」ぼくは指摘する。「その何処までも、身体の芯まで凍りつかせるようなモノいいを出来るような人じゃないから。里村さんは」
しどろもどろ。それも仕方がない。こんなバカげた話に確証なんて何もないからだ。里村さんはぼくを嘲笑するようにうっすらと嗤う。
「じゃあ、仮にそうだとしたら、どういうことなの? そんな非現実的な話をされても、こっちだって嗤うしかないんだけど」
彼女のいうことは尤もだ。非現実的、その通りなのだから。ぼくはゴクリとツバを飲む。
「……何だろうね。でも、ひとついえるのは、キミは明らかに人が変わってしまった。それで考えられるのは……」
ぼくは口を閉ざす。やはり、自信などない。別に間違えたからといって死ぬワケではない。いや、むしろ正解してしまったほうが死に近づくのはいうまでもない。正解してはいけない。無意識の内に、ぼくはそんなことを考えているのかもしれない。だが……、
「考えられるのは、何?」
彼女の表情の弛んだ顔はむしろ、余裕ではなく緊張を纏っているようだ。その人を見下したような笑みは間違いなく余裕がなくなっている証拠だ。手は……、ベッドにしっかりとついている。力が入っているところを見ると、やはり緊張しているのがよくわかる。
確信、とまではいかない。だが、彼女の中で何か動揺のようなモノが渦巻いている。それがある種の後押しとなった。
「考えられるのは、ふたつ、だ」ぼくはゆっくりとことばを紡いでいく。「ひとつは、キミが可笑しな霊に身体を乗っ取られているか、だ。マンガやホラー映画みたいな話ではあるけど、そういうことだって、もしかしたらエンタメ的な盛った話でなく、本当にあるかもしれない」
静寂が場を支配する。無音がこだまし、ぼくと彼女の間にある空気の歪みがどんどん大きくなっていく。彼女はニヤリと嗤う。
「で、もうひとつは?」
「もうひとつは……」
ぼくは意を決した。バカげた話でもいい。
「もうひとつはキミが多重人格か、ってこと」
いい切った。いい切ってしまった。思わず口許が震える。やはり、自分の潜在的な意識の中で確信は持てていないに違いない。
あるワケねぇだろ、そんなこと。そんな風にいわれてしまえば一発で詰みになる話。そもそも、仮にそうだとしても、彼女の身体に入っている霊、或いはもうひとつの人格が本当のことをいうなんて保証は何処にもない。
いや、むしろいわないだろう。加えて、もしそれが正解だったとしたら、今度はぼくの身が危ないのはいうまでもない。ここは密室。音も外へは漏れない。となれば……、
「へぇ、面白いことを考えるね」彼女の反応は思いのほか、真摯なモノだった。「どうして、そう思ったの?」
冷たい問い掛けに、ぼくは答える。
「さっきもいったけど、あまりにもキミが里村さんぽくないから。それにさっきの監禁の話をこっちと符合させると、ギリギリのところでつじつまが合うと思ったんだ」
いい終わると、ぼくは彼女の表情を伺う。先ほどまでの笑みは消え、口は真一文字、目も冷ややかだ。そして氷瀑から切り取ったような絶対零度の声でいう。
「……説明して」
ぼくは説明する。単純な話だ。
まず単純に家族全体を監禁しているということ。これが真っ赤なウソだろうということ。或いは監禁はしていないがいつでも危害を加えられるような状況下にあるということ。そうでなければ、家族を監禁なんて誇大なウソはつかないだろう。それに、里村さん本人にもその情報を信じ込ませなければならないが、これは写真の合成やなんかを使えば何とかなるだろう。本人が家族の様子を確かめに行こうとすれば、全員殺す、とでも書き置きをしておけば、彼女だって慎重に行動しなければならなくなるはず。
さて、次にザルな監禁体制に関してだ。普段がどうなのかはわからない。だが、平気で外の人間に会わせたり、それに伴った追跡の仕方だったり、そこら辺すべてを加味しても、やはり色々と可笑しい。そもそもスマホで通話状態だから、盗聴されている。この程度でどうにかなるワケがない。位置情報はキャッチされてはいたが、だとしてもやり方が甘い。だとしたら、そこら辺の追跡の方法はすべてがフェイクと考えるのが妥当だろう。そもそも、今ぼくがホテルに連れ込んでも、外から何のアクションもないことを考えると、それが自然だろう。
だが、これが追跡している側とされている側が同一人物となれば話は別だ。
これなら余計な監視体制など敷かなくとも相手のことを監視できる。そこで、もうひとつの人格が彼女の中に宿っていると考えれば、それはよりタイトなモノとなる。
ぼくは静かにことばを切る。と、彼女は小声で軽く笑って見せ、そしていうーー
「よくわかったね。あたし、里村じゃないよ」
【続く】
ぼくが訊ねたこと、それはまったくもってバカげた話だった。だが、ぼくはそれでも真剣な表情で彼女の目を見続ける。
彼女の目は凍りついている。地べたにヒザをつく無様なぼくを見下すその目は、かつて会った時の天使のような彼女のモノでなかったのは、明らかだった。彼女は大きくため息を吐く。
「……突然何をいい出すかと思ったら、どうかしちゃったんじゃない?」
「それだよ」ぼくは指摘する。「その何処までも、身体の芯まで凍りつかせるようなモノいいを出来るような人じゃないから。里村さんは」
しどろもどろ。それも仕方がない。こんなバカげた話に確証なんて何もないからだ。里村さんはぼくを嘲笑するようにうっすらと嗤う。
「じゃあ、仮にそうだとしたら、どういうことなの? そんな非現実的な話をされても、こっちだって嗤うしかないんだけど」
彼女のいうことは尤もだ。非現実的、その通りなのだから。ぼくはゴクリとツバを飲む。
「……何だろうね。でも、ひとついえるのは、キミは明らかに人が変わってしまった。それで考えられるのは……」
ぼくは口を閉ざす。やはり、自信などない。別に間違えたからといって死ぬワケではない。いや、むしろ正解してしまったほうが死に近づくのはいうまでもない。正解してはいけない。無意識の内に、ぼくはそんなことを考えているのかもしれない。だが……、
「考えられるのは、何?」
彼女の表情の弛んだ顔はむしろ、余裕ではなく緊張を纏っているようだ。その人を見下したような笑みは間違いなく余裕がなくなっている証拠だ。手は……、ベッドにしっかりとついている。力が入っているところを見ると、やはり緊張しているのがよくわかる。
確信、とまではいかない。だが、彼女の中で何か動揺のようなモノが渦巻いている。それがある種の後押しとなった。
「考えられるのは、ふたつ、だ」ぼくはゆっくりとことばを紡いでいく。「ひとつは、キミが可笑しな霊に身体を乗っ取られているか、だ。マンガやホラー映画みたいな話ではあるけど、そういうことだって、もしかしたらエンタメ的な盛った話でなく、本当にあるかもしれない」
静寂が場を支配する。無音がこだまし、ぼくと彼女の間にある空気の歪みがどんどん大きくなっていく。彼女はニヤリと嗤う。
「で、もうひとつは?」
「もうひとつは……」
ぼくは意を決した。バカげた話でもいい。
「もうひとつはキミが多重人格か、ってこと」
いい切った。いい切ってしまった。思わず口許が震える。やはり、自分の潜在的な意識の中で確信は持てていないに違いない。
あるワケねぇだろ、そんなこと。そんな風にいわれてしまえば一発で詰みになる話。そもそも、仮にそうだとしても、彼女の身体に入っている霊、或いはもうひとつの人格が本当のことをいうなんて保証は何処にもない。
いや、むしろいわないだろう。加えて、もしそれが正解だったとしたら、今度はぼくの身が危ないのはいうまでもない。ここは密室。音も外へは漏れない。となれば……、
「へぇ、面白いことを考えるね」彼女の反応は思いのほか、真摯なモノだった。「どうして、そう思ったの?」
冷たい問い掛けに、ぼくは答える。
「さっきもいったけど、あまりにもキミが里村さんぽくないから。それにさっきの監禁の話をこっちと符合させると、ギリギリのところでつじつまが合うと思ったんだ」
いい終わると、ぼくは彼女の表情を伺う。先ほどまでの笑みは消え、口は真一文字、目も冷ややかだ。そして氷瀑から切り取ったような絶対零度の声でいう。
「……説明して」
ぼくは説明する。単純な話だ。
まず単純に家族全体を監禁しているということ。これが真っ赤なウソだろうということ。或いは監禁はしていないがいつでも危害を加えられるような状況下にあるということ。そうでなければ、家族を監禁なんて誇大なウソはつかないだろう。それに、里村さん本人にもその情報を信じ込ませなければならないが、これは写真の合成やなんかを使えば何とかなるだろう。本人が家族の様子を確かめに行こうとすれば、全員殺す、とでも書き置きをしておけば、彼女だって慎重に行動しなければならなくなるはず。
さて、次にザルな監禁体制に関してだ。普段がどうなのかはわからない。だが、平気で外の人間に会わせたり、それに伴った追跡の仕方だったり、そこら辺すべてを加味しても、やはり色々と可笑しい。そもそもスマホで通話状態だから、盗聴されている。この程度でどうにかなるワケがない。位置情報はキャッチされてはいたが、だとしてもやり方が甘い。だとしたら、そこら辺の追跡の方法はすべてがフェイクと考えるのが妥当だろう。そもそも、今ぼくがホテルに連れ込んでも、外から何のアクションもないことを考えると、それが自然だろう。
だが、これが追跡している側とされている側が同一人物となれば話は別だ。
これなら余計な監視体制など敷かなくとも相手のことを監視できる。そこで、もうひとつの人格が彼女の中に宿っていると考えれば、それはよりタイトなモノとなる。
ぼくは静かにことばを切る。と、彼女は小声で軽く笑って見せ、そしていうーー
「よくわかったね。あたし、里村じゃないよ」
【続く】