【丑寅は静かに嗤う~動乱】
文字数 2,804文字
悲鳴ーー店外から。
三人の男は店の出入り戸に目を向ける。桃川は瞬時に左手を刀に掛ける。それを目で追う猿田、まるで武士の血が甦ったよう。
「さ、早く逃げるんだよ!」叫ぶお馬。
「こうしちゃいられねぇ」と犬蔵はそそくさと逃げ出そうとする。
「逃げるのか?」
猿田のキツイひとことが犬蔵の背中に突き刺さる。が、犬蔵はちょいと足を止めて顔を背後に向けると、
「あっしゃ侍じゃないんでね。こういう時は逃げるが勝ちですよ。じゃ、さいならー」
そういい残して店を後にする。
「大層な犬ころだ」猿田。
突然走り出す桃川。そのまま、酒場を飛び出して行ってしまう。
「桃川さん!」
猿田が声を掛けた時には、桃川はもういない。猿田は懐から何かを取り出し、机に放る。小判が一枚。そのまま出入り戸に向かう。
「ちょっと猿田さん!」お馬の呼び止めで、猿田は振り返る。「これ!」
お馬の手には小判が一枚ーー猿田が置いたモノだ。猿田はそれに対し、
「おれと桃川さんと犬ころの分だ! 余りは店の修理代に取っておきな!」
そういい残し、猿田は店の外へ飛び出していく。残されたお馬は心配そうではあるが、どこか覚めた表情で閉まった戸を見つめている。
「何だ、これは……」
呆然とそう呟く猿田の目の前を馬が駆け抜ける。馬の上には刀を持った仮面の者。それも一頭、ひとりではない。
何頭もの馬、何人もの仮面。仮面の造形はそれぞれ異なっているが、ボロボロの衣服はみな一様。村人を襲う様もまた同様。
猿田の水晶体に桃川が映る。刀を持ち、仮面の群集と刃を交えている。
切る。ひとり、ふたり、三人。連続で切り捨てる。その剣の腕前は圧倒的。腰を大きく切りつつも全体の動きは小さい。力任せで刀を振るっている仮面たちとは比べ物にならない。
桃川の背後に影が迫る。仮面の掛け声。振り返る桃川。そこには刀を片手で振り上げた仮面がーー
仮面の顔面に刀が突き刺さる。突然飛んできた大刀が仮面を捉え、仮面は己が刀を振り上げたままうしろに倒れる。
振り返る桃川。
猿田ーー桃川の視線の先にいる。
猿田は桃川に向かって走る。横から切りつけようとする仮面の斬撃を前回りでかわしつつ、仮面の死体が握る刀を奪い取り、力任せの二撃目を振るおうとする仮面の銅を切り、背中を袈裟懸けに切り結ぶ。
「猿田さん!」
「乱戦の時は前よりもうしろに目をつけろ。死にたくなければ、な! 来るぜ!」
仮面の群れが津波のように押し寄せて来る。桃川と猿田は、一斉に掛かってくる仮面たちを切り、体術で盾にし、相討ちにさせ、凌ぐ。
ふたりの足元に幾多の屍が転がる。が、まだ敵は絶えてはいない。
「桃川さん、このままじゃキリがない。アンタは寺に戻るんだ。艮顕様とお京さんが危ない」
「でも、アナタは!」
「心配するな」
「でも!」
そういっている間に、またひとり、仮面が猿田を背後から襲おうとする。がーー、
仮面の動きが止まる。仮面の胸には、矢が一本突き刺さっている。
「ほら、な」
そういう猿田の視線が高台に向く。桃川も猿田の視線を追う。ふたりの視線の先にはひとりの女ーーお雉。前日の夜鷹の格好とは一変、髪をうしろで縛り、服も袖を組紐で縛ってまとめ、片手には弓を握っている。
「ほら、ボーッとしない! しばらく刀を持たなかったせいで勘が鈍ったぁ!?」
「そんなことより、桃川さんを寺に向かわせる! 援護を頼んだ!」
「誰にモノいってんの!? 善は急げだよ!」
「というワケだ、桃川さん。早く行ってくれ」
「でもーー」
「行けッ!」
「……わかりました。猿田さん、是非ご無事で」桃川は上を向き、「お雉さんも、ご無事で!」
「あたしのことなんかどうでもいいから、さっさと行きなさいッ!」
「ありがとうございます!」
走り出す桃川。寺へと続く道には仮面がパラついている。そんな仮面たちを、お雉は弓で射、桃川も薄くなった勢力を突破する。
その反対側からは、更なる仮面の勢力。猿田はニヤリと笑ってみせ、
「来たぜ! 相棒!」
「相変わらず人使いが荒いんだからぁ! 任せて!」
攻めてくる仮面たちを一撃で切り捨てていく猿田、そして一撃で急所を射抜いていくお雉。
切る。射る。切る。切る。射る。切る。射る。射るーー何人もの仮面たちを無に変える。猿田の刀、その刀身が折れる。が、猿田は持ち前の体術で残りの仮面たちを瞬殺していく。
残る仮面はあと三人。猿の仮面と羊の仮面、そして真ん中には、大きな棍棒を担いだ羊と猿ーー坤の折衷仮面。坤の仮面は猿田を見つめている。が、その肩と頭はやや落ちぎみだ。
「頭のお出ましかな」不適に笑いながら、体術の構えを取る猿田。「ひとりは寂しいだろ。ここに転がっている仲間と西へ行っちまいな」
「猿田さん」女性の声ーー猿田の目が大きく見開かれる。「お久しぶり、ですね」
猿田の表情が強ばる。と思いきや、今度は強がるようにハッと笑って見せる。
「久しぶり? おれは、盗賊なんかに……」
猿田がことばを紡ぎ終わる前に、坤の仮面は仮面を脱ぎ、素顔を露にする。
女ーー盗賊とは思えないような可愛らしい顔つき。目は垂れ、髪はうしろで束ねている。
「お羊……、やっぱり……」
猿田の表情が引き吊る。お雉はひとり静かにその様子を眺めている。そしてーー、
お羊の傍らにいた猿の仮面が突然動きだす。かと思いきや、猿の仮面の体を一本の矢が貫く。猿の仮面が、お羊を庇ったのだ。
「お雉!」猿田は叫ぶ。
「今さら何……? よく、あたしたちの前にその顔晒せたね……」
お雉の声は震え、怒気を含む。
「お雉さん……」
「猿ちゃん! そんな女、さっさと殺っちゃってよ! 猿ちゃんに無理なら、あたしが……」
お雉は再び弓を引く。が、その手は大きく震えている。これでは狙いなど定まらないだろう。かと思いきや、羊の仮面が、お雉の弓の盾になろうと、お羊の前に立つ。
矢、放たれる。
矢は羊の仮面の心臓を貫き、羊の仮面はその場で倒れ屍と化す。
「射つな!」猿田はいう。
「射つな……? 忘れたの? その女のせいで、松平様は……!」
ハッとする猿田。遠い目で何かを眺める、呆然と。
「猿田さん、お雉さん、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」振り返るお羊。「十二鬼面の隠れ家でおふたりを待っています」
お羊は再び坤の仮面を被り、そのまま村を後にしようとする。
「待ちなッ!」
お雉が弓を思い切り引く。が、お雉の腕に衝撃。矢の軌道は大きくブレ、お羊に当たるどころか、その所在すらわからなくなる。
「猿ちゃん……!」
お雉の腕に当たったのは、そこら辺に落ちている小石。そして、それを投げたのは、何を隠そう猿田源之助、その人。
「何で……?」
猿田は何も語らず、口も開かない。ただ、その目は、夕陽のもとへ消えていくお羊のほうへと向いているーー
【続く】
三人の男は店の出入り戸に目を向ける。桃川は瞬時に左手を刀に掛ける。それを目で追う猿田、まるで武士の血が甦ったよう。
「さ、早く逃げるんだよ!」叫ぶお馬。
「こうしちゃいられねぇ」と犬蔵はそそくさと逃げ出そうとする。
「逃げるのか?」
猿田のキツイひとことが犬蔵の背中に突き刺さる。が、犬蔵はちょいと足を止めて顔を背後に向けると、
「あっしゃ侍じゃないんでね。こういう時は逃げるが勝ちですよ。じゃ、さいならー」
そういい残して店を後にする。
「大層な犬ころだ」猿田。
突然走り出す桃川。そのまま、酒場を飛び出して行ってしまう。
「桃川さん!」
猿田が声を掛けた時には、桃川はもういない。猿田は懐から何かを取り出し、机に放る。小判が一枚。そのまま出入り戸に向かう。
「ちょっと猿田さん!」お馬の呼び止めで、猿田は振り返る。「これ!」
お馬の手には小判が一枚ーー猿田が置いたモノだ。猿田はそれに対し、
「おれと桃川さんと犬ころの分だ! 余りは店の修理代に取っておきな!」
そういい残し、猿田は店の外へ飛び出していく。残されたお馬は心配そうではあるが、どこか覚めた表情で閉まった戸を見つめている。
「何だ、これは……」
呆然とそう呟く猿田の目の前を馬が駆け抜ける。馬の上には刀を持った仮面の者。それも一頭、ひとりではない。
何頭もの馬、何人もの仮面。仮面の造形はそれぞれ異なっているが、ボロボロの衣服はみな一様。村人を襲う様もまた同様。
猿田の水晶体に桃川が映る。刀を持ち、仮面の群集と刃を交えている。
切る。ひとり、ふたり、三人。連続で切り捨てる。その剣の腕前は圧倒的。腰を大きく切りつつも全体の動きは小さい。力任せで刀を振るっている仮面たちとは比べ物にならない。
桃川の背後に影が迫る。仮面の掛け声。振り返る桃川。そこには刀を片手で振り上げた仮面がーー
仮面の顔面に刀が突き刺さる。突然飛んできた大刀が仮面を捉え、仮面は己が刀を振り上げたままうしろに倒れる。
振り返る桃川。
猿田ーー桃川の視線の先にいる。
猿田は桃川に向かって走る。横から切りつけようとする仮面の斬撃を前回りでかわしつつ、仮面の死体が握る刀を奪い取り、力任せの二撃目を振るおうとする仮面の銅を切り、背中を袈裟懸けに切り結ぶ。
「猿田さん!」
「乱戦の時は前よりもうしろに目をつけろ。死にたくなければ、な! 来るぜ!」
仮面の群れが津波のように押し寄せて来る。桃川と猿田は、一斉に掛かってくる仮面たちを切り、体術で盾にし、相討ちにさせ、凌ぐ。
ふたりの足元に幾多の屍が転がる。が、まだ敵は絶えてはいない。
「桃川さん、このままじゃキリがない。アンタは寺に戻るんだ。艮顕様とお京さんが危ない」
「でも、アナタは!」
「心配するな」
「でも!」
そういっている間に、またひとり、仮面が猿田を背後から襲おうとする。がーー、
仮面の動きが止まる。仮面の胸には、矢が一本突き刺さっている。
「ほら、な」
そういう猿田の視線が高台に向く。桃川も猿田の視線を追う。ふたりの視線の先にはひとりの女ーーお雉。前日の夜鷹の格好とは一変、髪をうしろで縛り、服も袖を組紐で縛ってまとめ、片手には弓を握っている。
「ほら、ボーッとしない! しばらく刀を持たなかったせいで勘が鈍ったぁ!?」
「そんなことより、桃川さんを寺に向かわせる! 援護を頼んだ!」
「誰にモノいってんの!? 善は急げだよ!」
「というワケだ、桃川さん。早く行ってくれ」
「でもーー」
「行けッ!」
「……わかりました。猿田さん、是非ご無事で」桃川は上を向き、「お雉さんも、ご無事で!」
「あたしのことなんかどうでもいいから、さっさと行きなさいッ!」
「ありがとうございます!」
走り出す桃川。寺へと続く道には仮面がパラついている。そんな仮面たちを、お雉は弓で射、桃川も薄くなった勢力を突破する。
その反対側からは、更なる仮面の勢力。猿田はニヤリと笑ってみせ、
「来たぜ! 相棒!」
「相変わらず人使いが荒いんだからぁ! 任せて!」
攻めてくる仮面たちを一撃で切り捨てていく猿田、そして一撃で急所を射抜いていくお雉。
切る。射る。切る。切る。射る。切る。射る。射るーー何人もの仮面たちを無に変える。猿田の刀、その刀身が折れる。が、猿田は持ち前の体術で残りの仮面たちを瞬殺していく。
残る仮面はあと三人。猿の仮面と羊の仮面、そして真ん中には、大きな棍棒を担いだ羊と猿ーー坤の折衷仮面。坤の仮面は猿田を見つめている。が、その肩と頭はやや落ちぎみだ。
「頭のお出ましかな」不適に笑いながら、体術の構えを取る猿田。「ひとりは寂しいだろ。ここに転がっている仲間と西へ行っちまいな」
「猿田さん」女性の声ーー猿田の目が大きく見開かれる。「お久しぶり、ですね」
猿田の表情が強ばる。と思いきや、今度は強がるようにハッと笑って見せる。
「久しぶり? おれは、盗賊なんかに……」
猿田がことばを紡ぎ終わる前に、坤の仮面は仮面を脱ぎ、素顔を露にする。
女ーー盗賊とは思えないような可愛らしい顔つき。目は垂れ、髪はうしろで束ねている。
「お羊……、やっぱり……」
猿田の表情が引き吊る。お雉はひとり静かにその様子を眺めている。そしてーー、
お羊の傍らにいた猿の仮面が突然動きだす。かと思いきや、猿の仮面の体を一本の矢が貫く。猿の仮面が、お羊を庇ったのだ。
「お雉!」猿田は叫ぶ。
「今さら何……? よく、あたしたちの前にその顔晒せたね……」
お雉の声は震え、怒気を含む。
「お雉さん……」
「猿ちゃん! そんな女、さっさと殺っちゃってよ! 猿ちゃんに無理なら、あたしが……」
お雉は再び弓を引く。が、その手は大きく震えている。これでは狙いなど定まらないだろう。かと思いきや、羊の仮面が、お雉の弓の盾になろうと、お羊の前に立つ。
矢、放たれる。
矢は羊の仮面の心臓を貫き、羊の仮面はその場で倒れ屍と化す。
「射つな!」猿田はいう。
「射つな……? 忘れたの? その女のせいで、松平様は……!」
ハッとする猿田。遠い目で何かを眺める、呆然と。
「猿田さん、お雉さん、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」振り返るお羊。「十二鬼面の隠れ家でおふたりを待っています」
お羊は再び坤の仮面を被り、そのまま村を後にしようとする。
「待ちなッ!」
お雉が弓を思い切り引く。が、お雉の腕に衝撃。矢の軌道は大きくブレ、お羊に当たるどころか、その所在すらわからなくなる。
「猿ちゃん……!」
お雉の腕に当たったのは、そこら辺に落ちている小石。そして、それを投げたのは、何を隠そう猿田源之助、その人。
「何で……?」
猿田は何も語らず、口も開かない。ただ、その目は、夕陽のもとへ消えていくお羊のほうへと向いているーー
【続く】