【西陽の当たる地獄花~参拾伍~】
文字数 2,232文字
死者の呻き声のような音。
鬼水と宗顕は表情を引き吊らせて扉を凝視する。が、牛馬は不敵な笑みをこぼす。
悲鳴と呻き声、まるで亡者と犠牲者の行進。何かが砕ける音に、グチャグチャと千切られる音が扉の向こう側から漏れ出して来る。
「死がやって来る……?」と鬼水。
「その通りさ。今、ここが地獄と化した極楽。なら、この戸の向こうにいるのは魑魅魍魎。死、そのモノだ」
「そんな……、だとしたら、わたしたちは……」
「下手したら神のとこにたどり着く前に、殺されちまうかもしれねぇな」
牛馬は戦く様子を見せるどころか、逆に楽しそうな笑みを浮かべる。だが、その肩は……
「牛馬殿」と宗顕。「本当は恐ろしいのではないですか……?」
牛馬は身体を震わしながら、氷のように冷たい視線を宗顕に向ける。宗顕は震え上がり、
「も、申し訳ございません! わたしは別に、そんなつもりは……ッ!」
「いや、テメエのいってることは正しいさ。おれだって怖えんだ。何だろうな。ここに来るまで、たくさんの魑魅魍魎を殺し、たくさんの鬼と極楽の住人を殺して来た。その中で恐怖を感じたことはなかった。でも今は違う。怖くて堪らない。だからこそ、気持ち良くて堪らない」
牛馬は気が狂ったよう。いや、もしかしたら、始めから狂っていたのかもしれない。そんな中で、鬼水と宗顕だけはまともだった。何者かわからない呻き声と、狂人に恐怖感を抱くだけの感覚を持っていたのだから。
「さ、行こうぜ……」
狂人は歩き出す。鬼水と宗顕はそれを止めようとするも、まともなことばは狂人には届かない。狂人は死に吸い寄せられる蟻のようなモノだ。だが、この狂人は死をも食い潰し、己の中へと取り込んでしまうだろう。
牛馬は二匹のことばに聞く耳も持たずに、戸に手を掛ける。そして、
戸は開かれる。
戸の先にある廊下は真っ暗だ。反転する前は真っ昼間だったこともあって、灯籠は点いていなかった。いや、もしかしたら今、この時点の獄楽は真っ昼間なのかもしれないが。
三人は不気味な音のしたほうへと歩く。
廊下は散らかっている。飾り物はもちろん、灯籠の蝋燭までもが下に落ちている。落ちた飾り物の多くは「天井」に叩きつけられて砕け散っている。中には陶器のようなモノの破片もあって、履き物を履いていない鬼水と宗顕が歩くには細心の注意を払わなければならないような状況となっている。
そして、それは現実となる。
廊下をゆっくりと進む三人。だが、鬼水も宗顕も足や肉球に陶器の破片が刺さり、思わず呻き声を上げる。
だが、牛馬はそんなことお構いなしに割れ物の破片を踏みつけ、蹴飛ばしながら先に進み続ける。鬼水と宗顕は牛馬のうしろから、牛馬が進んだ道のりを辿って歩く。
突然、牛馬は足を止める。
牛馬のうしろを歩いていた鬼水と宗顕は、突然止まった牛馬の足にぶつかる。
「どうされたのですか?」と鬼水。
が、牛馬は何も答えない。ただ、真っ暗な足許を目を凝らして見詰めている。
宗顕と鬼水は牛馬が見詰めているほうを見る。鬼水と宗顕は殆ど同時に悲鳴を上げて、その場にへたり込み、ぶるぶる震える。
牛馬はゆっくりと屈み込み、目の前にある何かに手を伸ばす。その感触は何処となくヌルヌルしているよう。牛馬は目を細めていう。
「こりゃ酷えな……」
牛馬の足許にあったモノ、それは、
手足がなくなり、胴体だけとなった極楽の民の亡骸だった。
ヌルヌルした感触は、血だった。四肢が切断され、身体の至るところに切り傷のある亡骸。
「無くなった手足は、どうしたのでしょう……?」と鬼水。
「……わかるだろ。こうなっちゃ、どうなるかはふたつしかない。ひとつはそこら辺に転がっている。もうひとつは……」
牛馬がいい終えるよりも前、宗顕は胃の中のモノをその場に戻してしまった。
とはいっても、出て来たのは胃酸だけだった。鬼水が宗顕に寄り添い、大丈夫かと優しく声を掛ける。だが、宗顕は何も答えない。答える余裕がないのだろう。
それもそうだろう、牛馬や鬼水と違って、もとは極楽の役人でしかなかった宗顕が凄惨な光景に慣れていないのはいうまでもなかった。
牛馬は立ち上がる。
「汚えモン吐き散らしてる暇があるなら、行くぞ。ドブから抜け出すには、ドブの中を泳ぎ切るしかねぇからな」
牛馬は亡骸を蹴って退かす。手足のない亡骸は容易にその場から転がる。宗顕は口許を再び手で抑え、顔を叛けてえづく。鬼水は宗顕を介抱し、宗顕を先に導きながら歩くからというと、宗顕は何もいわずにただ頷く。
三人は先を進む。が、先に進めば進むほどに廊下は血塗れとなり、飛び散った肉片がそこら中に転がっており、すえたにおいがきつくなってくる。
まるで、自らの足で死に近づいて行くよう。だが、死の叫びは依然として聴こえて来ない。
風が吹いた。
牛馬は再び立ち止まる。
鬼水も宗顕も、今度は牛馬の足にぶつかることなく立ち止まる。鬼水は牛馬に、どうしたのか訊ねる。と、牛馬はいう。
「宗顕、この廊下はいつも窓は開けているか」
宗顕は口を抑えながら、くぐもった声で、
「いえ……、御神殿の命があったりと特別な事情がない限りは、閉めたままですが……、どうかされたのですか……?」
「……風が吹いた」
「は……?」
と、突然に、何かの呻き声が聴こえる。
「……来たぜ」と牛馬。
鬼水と宗顕は目を凝らして前を見る。と、そこには、闇の中で蠢く何かの姿。
牛馬はゆっくりと刀を抜いた。
【続く】
鬼水と宗顕は表情を引き吊らせて扉を凝視する。が、牛馬は不敵な笑みをこぼす。
悲鳴と呻き声、まるで亡者と犠牲者の行進。何かが砕ける音に、グチャグチャと千切られる音が扉の向こう側から漏れ出して来る。
「死がやって来る……?」と鬼水。
「その通りさ。今、ここが地獄と化した極楽。なら、この戸の向こうにいるのは魑魅魍魎。死、そのモノだ」
「そんな……、だとしたら、わたしたちは……」
「下手したら神のとこにたどり着く前に、殺されちまうかもしれねぇな」
牛馬は戦く様子を見せるどころか、逆に楽しそうな笑みを浮かべる。だが、その肩は……
「牛馬殿」と宗顕。「本当は恐ろしいのではないですか……?」
牛馬は身体を震わしながら、氷のように冷たい視線を宗顕に向ける。宗顕は震え上がり、
「も、申し訳ございません! わたしは別に、そんなつもりは……ッ!」
「いや、テメエのいってることは正しいさ。おれだって怖えんだ。何だろうな。ここに来るまで、たくさんの魑魅魍魎を殺し、たくさんの鬼と極楽の住人を殺して来た。その中で恐怖を感じたことはなかった。でも今は違う。怖くて堪らない。だからこそ、気持ち良くて堪らない」
牛馬は気が狂ったよう。いや、もしかしたら、始めから狂っていたのかもしれない。そんな中で、鬼水と宗顕だけはまともだった。何者かわからない呻き声と、狂人に恐怖感を抱くだけの感覚を持っていたのだから。
「さ、行こうぜ……」
狂人は歩き出す。鬼水と宗顕はそれを止めようとするも、まともなことばは狂人には届かない。狂人は死に吸い寄せられる蟻のようなモノだ。だが、この狂人は死をも食い潰し、己の中へと取り込んでしまうだろう。
牛馬は二匹のことばに聞く耳も持たずに、戸に手を掛ける。そして、
戸は開かれる。
戸の先にある廊下は真っ暗だ。反転する前は真っ昼間だったこともあって、灯籠は点いていなかった。いや、もしかしたら今、この時点の獄楽は真っ昼間なのかもしれないが。
三人は不気味な音のしたほうへと歩く。
廊下は散らかっている。飾り物はもちろん、灯籠の蝋燭までもが下に落ちている。落ちた飾り物の多くは「天井」に叩きつけられて砕け散っている。中には陶器のようなモノの破片もあって、履き物を履いていない鬼水と宗顕が歩くには細心の注意を払わなければならないような状況となっている。
そして、それは現実となる。
廊下をゆっくりと進む三人。だが、鬼水も宗顕も足や肉球に陶器の破片が刺さり、思わず呻き声を上げる。
だが、牛馬はそんなことお構いなしに割れ物の破片を踏みつけ、蹴飛ばしながら先に進み続ける。鬼水と宗顕は牛馬のうしろから、牛馬が進んだ道のりを辿って歩く。
突然、牛馬は足を止める。
牛馬のうしろを歩いていた鬼水と宗顕は、突然止まった牛馬の足にぶつかる。
「どうされたのですか?」と鬼水。
が、牛馬は何も答えない。ただ、真っ暗な足許を目を凝らして見詰めている。
宗顕と鬼水は牛馬が見詰めているほうを見る。鬼水と宗顕は殆ど同時に悲鳴を上げて、その場にへたり込み、ぶるぶる震える。
牛馬はゆっくりと屈み込み、目の前にある何かに手を伸ばす。その感触は何処となくヌルヌルしているよう。牛馬は目を細めていう。
「こりゃ酷えな……」
牛馬の足許にあったモノ、それは、
手足がなくなり、胴体だけとなった極楽の民の亡骸だった。
ヌルヌルした感触は、血だった。四肢が切断され、身体の至るところに切り傷のある亡骸。
「無くなった手足は、どうしたのでしょう……?」と鬼水。
「……わかるだろ。こうなっちゃ、どうなるかはふたつしかない。ひとつはそこら辺に転がっている。もうひとつは……」
牛馬がいい終えるよりも前、宗顕は胃の中のモノをその場に戻してしまった。
とはいっても、出て来たのは胃酸だけだった。鬼水が宗顕に寄り添い、大丈夫かと優しく声を掛ける。だが、宗顕は何も答えない。答える余裕がないのだろう。
それもそうだろう、牛馬や鬼水と違って、もとは極楽の役人でしかなかった宗顕が凄惨な光景に慣れていないのはいうまでもなかった。
牛馬は立ち上がる。
「汚えモン吐き散らしてる暇があるなら、行くぞ。ドブから抜け出すには、ドブの中を泳ぎ切るしかねぇからな」
牛馬は亡骸を蹴って退かす。手足のない亡骸は容易にその場から転がる。宗顕は口許を再び手で抑え、顔を叛けてえづく。鬼水は宗顕を介抱し、宗顕を先に導きながら歩くからというと、宗顕は何もいわずにただ頷く。
三人は先を進む。が、先に進めば進むほどに廊下は血塗れとなり、飛び散った肉片がそこら中に転がっており、すえたにおいがきつくなってくる。
まるで、自らの足で死に近づいて行くよう。だが、死の叫びは依然として聴こえて来ない。
風が吹いた。
牛馬は再び立ち止まる。
鬼水も宗顕も、今度は牛馬の足にぶつかることなく立ち止まる。鬼水は牛馬に、どうしたのか訊ねる。と、牛馬はいう。
「宗顕、この廊下はいつも窓は開けているか」
宗顕は口を抑えながら、くぐもった声で、
「いえ……、御神殿の命があったりと特別な事情がない限りは、閉めたままですが……、どうかされたのですか……?」
「……風が吹いた」
「は……?」
と、突然に、何かの呻き声が聴こえる。
「……来たぜ」と牛馬。
鬼水と宗顕は目を凝らして前を見る。と、そこには、闇の中で蠢く何かの姿。
牛馬はゆっくりと刀を抜いた。
【続く】