【明日、白夜になる前に~四拾壱~】
文字数 2,516文字
楽しい時間というのは疾風のように過ぎ去ってしまうモノだ。
気づけば、見合いの時間も終わりを告げ、ぼくと中西さんとのふたりだけの時間も鐘の音が鳴り響いていたのだ。
帰り道、親父の運転する車の助手席で、ぼくは夢想する。あの不思議な時間を。
「いいお嬢さんだったな」親父がいう。
「うん」ぼくは頷く。
縁に肘を置き、頬杖をついて窓の外を眺める。茜色に染まった空を下地にして、灰色の都市部がまるで生命を宿したように躍動している。ぼくにはそんな風に見えた。今ならどんな無機質なモノでも暖かく活動的に見えるかもしれない。ふとそう思った。
中西さんの笑みが花火のようにパッと浮かんでは消える。今は中西さんのことしか考えられなかった。足を崩そうと提案した時の無邪気な笑み。まるで穢れを知らないお転婆な小学生のような。大人の穢れを何処かに置き去って成長してしまった、そんな羨ましさがあった。
「で、どうするんだ?」親父が訊ねて来る。
親父のほうへ視線を向ける。親父は何処か物憂げな遠い目をしている。それはすぐそこにある道の先ではなく、もっと遠い遠い何かを見据えているような、そんな感じがした。
「どうするって?」
「返事はどうするのか、ってことだよ」
「あぁ……」ぼくはふと前を向く。
具体的なことばは出て来ない。ただ、この話にうしろ向きだったワケでは決してない。というよりはむしろ前向きだった。
だが、これまでのことを考えると、どうにも一歩踏み出せないというのが、実際のところ。
もとからモテないというのはいうまでもなく、ここまで借金や不良債権のように積み重なってしまった失敗は、ぼくの肩を叩き、その場に留まるよう促す。止めろ、と。
そして、来る人、来るシチュエーションに対して防衛本能的に辛辣で批判的に論じる。
ぼくも随分と汚い人間に成り下がったモノだ。自分でいうのも何だが、昔はもっと優しく、素直で、まだ人間的にクリーンだった。
それが今はどうだろう。
今ある現状の中で腐り、批判に皮肉、淀んだ沼の中で舌をチロチロ出しているカッパのように露悪的な自分の姿が、如何に浅ましく底辺を這いずり回る見苦しいモノであるか。
確かにここ数ヶ月で、色んなことを経験しすぎたのかもしれない。だが、だからといってこんなにも自分という殻にこもり、身もこころも腐って行くことはないではないか。
「斎藤さん、ご趣味は?」
足を崩した直後、中西さんはそのように訊ねたかと思うと、今度は突然笑い出した。
ぼくは何が何だかわからず、愛想笑いせざるを得なかった。そんなぼくの様子に気づいたのか、中西さんは笑いながらも、
「あぁ、ごめんなさい。でも、何か『ご趣味は?』だなんて、ベタだなぁと思ったら何か面白くなっちゃって!」
そういって更に笑った。人生が楽しくて仕方がない。躍動する顔の筋肉がそう物語っていた。はじめこそ困惑したが、そんな姿を見ていると、ぼくも何だか可笑しくなって来て、いつの間にか笑ってしまっていた。
「確かに『ご趣味は?』っていうのもステレオタイプな感じがしますね!」
「そうなんですよ! でも、いざ見知らぬ相手と対面、しかもこれがお見合いで、もしかしたらこの先、ということを考えるとここら辺の話題が無難なのかもしれないですね!」
彼女のいう通りだ。趣味というのは、こういった場で話すには気軽でありながらも大変重要な議題なのかもしれない。
これが友人関係であったら、ゆくゆく知れればいいのかもしれないが、相手がお付き合い、果ては結婚するかもしれない人ともなると、緊張感は半端ではないし、何処か表面的でありながら、相手の内面を知れる趣味についての話題がいちばんベターなのかもしれない。
「ほんと、そうですね!」
「えぇ」
ギコチナイ会話だと思う。まさに初対面の、それもお見合いという特殊な場に居合わせてしまった男女のギコチなさだと思う。元々会話が続かないタイプであるぼくには、どう話していけばいいか困るシチュエーションだ。
ほんと、人間、こういった場になって漸く、その人の能力値が出るというモノだ。ぼくは今まさに、自分の能力値の低さを露呈している。
笑いが引き、一瞬の沈黙と静寂が訪れる。そういった不恰好な間こそが、互いのマインドの中に『気まずさ』という怪物を作り上げる。
ぼくはハッとして答える。
「あ、えぇっと……! ぼくの趣味、ですよね……!」
慌てて答えようとして口が滑り、一気にことばが失われた。中西さんはこんな気まずい雰囲気の中でも笑顔を絶やさなかった。
「えぇ」と中西さん。
ぼくは「あー」とか「えー」と何とか間を繋ぎつつ、自分がどう答えるべきか考えた。こういう時に限ってまともに趣味を持っていないことが災いする。
趣味、ゲームと飲むこと。
何とも微妙なところだ。
飲むことは楽しみとしてはいいが、それを趣味と称するのはどうなのだろう。それに趣味がゲームというのは、人によっては核弾頭にもなれば、不発弾にもなる危険な代物だった。
ゲームが好きな人には、趣味がゲームといえば受け入れられ、食いついて来てくれるだろう。だが、興味ない人からしたら、趣味ゲームは、ネガティブなイメージばかりが先行する。
「確かに、こういう時に趣味がどうって話すのも難しいですよね」そういって中西さんは話し出した。「いざ自分が好きなものを話しても相手が受け入れてくれるとは限らないし、ウソをついてもいずれはバレるかもしれない。そう考えたら、どう答えるのがいいのかわからなくなっちゃいますよね」
中西さんのことばは、まるでぼくのこころのことばを代弁しているようだった。ぼくは頭を掻きながら、それを肯定した。中西さんは、
「じゃあ、わたしからいいますね」と自ら口火を切り、「わたしは、読書と小物作りかなぁ」
読書と小物作り。材料は与えられた。あとはどう料理していくか、だ。
興味深かったか、というとそれは微妙だ。興味を持てなかったというより、この次の会話をどうするべきか考えるのに精一杯だった。
ぼくは彼女に気づかれないように唾をごくりと飲み込むと、微かな笑みを浮かべて口を開いた。
【続く】
気づけば、見合いの時間も終わりを告げ、ぼくと中西さんとのふたりだけの時間も鐘の音が鳴り響いていたのだ。
帰り道、親父の運転する車の助手席で、ぼくは夢想する。あの不思議な時間を。
「いいお嬢さんだったな」親父がいう。
「うん」ぼくは頷く。
縁に肘を置き、頬杖をついて窓の外を眺める。茜色に染まった空を下地にして、灰色の都市部がまるで生命を宿したように躍動している。ぼくにはそんな風に見えた。今ならどんな無機質なモノでも暖かく活動的に見えるかもしれない。ふとそう思った。
中西さんの笑みが花火のようにパッと浮かんでは消える。今は中西さんのことしか考えられなかった。足を崩そうと提案した時の無邪気な笑み。まるで穢れを知らないお転婆な小学生のような。大人の穢れを何処かに置き去って成長してしまった、そんな羨ましさがあった。
「で、どうするんだ?」親父が訊ねて来る。
親父のほうへ視線を向ける。親父は何処か物憂げな遠い目をしている。それはすぐそこにある道の先ではなく、もっと遠い遠い何かを見据えているような、そんな感じがした。
「どうするって?」
「返事はどうするのか、ってことだよ」
「あぁ……」ぼくはふと前を向く。
具体的なことばは出て来ない。ただ、この話にうしろ向きだったワケでは決してない。というよりはむしろ前向きだった。
だが、これまでのことを考えると、どうにも一歩踏み出せないというのが、実際のところ。
もとからモテないというのはいうまでもなく、ここまで借金や不良債権のように積み重なってしまった失敗は、ぼくの肩を叩き、その場に留まるよう促す。止めろ、と。
そして、来る人、来るシチュエーションに対して防衛本能的に辛辣で批判的に論じる。
ぼくも随分と汚い人間に成り下がったモノだ。自分でいうのも何だが、昔はもっと優しく、素直で、まだ人間的にクリーンだった。
それが今はどうだろう。
今ある現状の中で腐り、批判に皮肉、淀んだ沼の中で舌をチロチロ出しているカッパのように露悪的な自分の姿が、如何に浅ましく底辺を這いずり回る見苦しいモノであるか。
確かにここ数ヶ月で、色んなことを経験しすぎたのかもしれない。だが、だからといってこんなにも自分という殻にこもり、身もこころも腐って行くことはないではないか。
「斎藤さん、ご趣味は?」
足を崩した直後、中西さんはそのように訊ねたかと思うと、今度は突然笑い出した。
ぼくは何が何だかわからず、愛想笑いせざるを得なかった。そんなぼくの様子に気づいたのか、中西さんは笑いながらも、
「あぁ、ごめんなさい。でも、何か『ご趣味は?』だなんて、ベタだなぁと思ったら何か面白くなっちゃって!」
そういって更に笑った。人生が楽しくて仕方がない。躍動する顔の筋肉がそう物語っていた。はじめこそ困惑したが、そんな姿を見ていると、ぼくも何だか可笑しくなって来て、いつの間にか笑ってしまっていた。
「確かに『ご趣味は?』っていうのもステレオタイプな感じがしますね!」
「そうなんですよ! でも、いざ見知らぬ相手と対面、しかもこれがお見合いで、もしかしたらこの先、ということを考えるとここら辺の話題が無難なのかもしれないですね!」
彼女のいう通りだ。趣味というのは、こういった場で話すには気軽でありながらも大変重要な議題なのかもしれない。
これが友人関係であったら、ゆくゆく知れればいいのかもしれないが、相手がお付き合い、果ては結婚するかもしれない人ともなると、緊張感は半端ではないし、何処か表面的でありながら、相手の内面を知れる趣味についての話題がいちばんベターなのかもしれない。
「ほんと、そうですね!」
「えぇ」
ギコチナイ会話だと思う。まさに初対面の、それもお見合いという特殊な場に居合わせてしまった男女のギコチなさだと思う。元々会話が続かないタイプであるぼくには、どう話していけばいいか困るシチュエーションだ。
ほんと、人間、こういった場になって漸く、その人の能力値が出るというモノだ。ぼくは今まさに、自分の能力値の低さを露呈している。
笑いが引き、一瞬の沈黙と静寂が訪れる。そういった不恰好な間こそが、互いのマインドの中に『気まずさ』という怪物を作り上げる。
ぼくはハッとして答える。
「あ、えぇっと……! ぼくの趣味、ですよね……!」
慌てて答えようとして口が滑り、一気にことばが失われた。中西さんはこんな気まずい雰囲気の中でも笑顔を絶やさなかった。
「えぇ」と中西さん。
ぼくは「あー」とか「えー」と何とか間を繋ぎつつ、自分がどう答えるべきか考えた。こういう時に限ってまともに趣味を持っていないことが災いする。
趣味、ゲームと飲むこと。
何とも微妙なところだ。
飲むことは楽しみとしてはいいが、それを趣味と称するのはどうなのだろう。それに趣味がゲームというのは、人によっては核弾頭にもなれば、不発弾にもなる危険な代物だった。
ゲームが好きな人には、趣味がゲームといえば受け入れられ、食いついて来てくれるだろう。だが、興味ない人からしたら、趣味ゲームは、ネガティブなイメージばかりが先行する。
「確かに、こういう時に趣味がどうって話すのも難しいですよね」そういって中西さんは話し出した。「いざ自分が好きなものを話しても相手が受け入れてくれるとは限らないし、ウソをついてもいずれはバレるかもしれない。そう考えたら、どう答えるのがいいのかわからなくなっちゃいますよね」
中西さんのことばは、まるでぼくのこころのことばを代弁しているようだった。ぼくは頭を掻きながら、それを肯定した。中西さんは、
「じゃあ、わたしからいいますね」と自ら口火を切り、「わたしは、読書と小物作りかなぁ」
読書と小物作り。材料は与えられた。あとはどう料理していくか、だ。
興味深かったか、というとそれは微妙だ。興味を持てなかったというより、この次の会話をどうするべきか考えるのに精一杯だった。
ぼくは彼女に気づかれないように唾をごくりと飲み込むと、微かな笑みを浮かべて口を開いた。
【続く】