【帝王霊~弐拾弐~】
文字数 2,460文字
テーブルに載ったスタンドライトが暗い部屋をボンヤリと浮かび上がらせている。
夜、事務所に帰ってからというモノ、とても不可解な光景を目にすることとなり、あたしは今、こういう状況になっている。
例の成松事件のことを思い出せば、あたしの事務所における不可解な光景というのは決して不思議なことではなかったが、あたしが驚いたのは、本来そこにはいないはずの『それ』がいたからだった。
事務所に帰った時は、あたしに同行していた鈴木詩織という女も一緒だった。最初が最初だったこともあって、信用するに足る人物なのかという疑念は拭い去れなかったが、弓永くんの知り合いであり、弓永くんの友人の妹さんだということから、まったく信用出来ない人物ではないのは確かだった。
それに、詩織のいう「霊感」には、所謂『霊感女子』的な胡散臭さはまったくなく、むしろ今そこにある現実が頬杖をついて寝転がっているような、そんなリアルさが感じられた。更にいえば、この詩織という女は、人格的には多少の問題はあるとはいえ、人を疑うことを知らないといっても過言ではないほどに純粋で、あざとさや策士的なイヤミたらしさもなくて、そこまで悪い印象も抱かなかった。
ある一点を除けば。
ある一点、それはいうまでもなく、彼女の職業についてだ。まぁ、全国区にまたがる巨大な新興宗教の教祖の娘ということもあって、もしかしたら教団関係で機密の仕事をしているのかもしれないが、変に裏の事情に詳しいことをみるに、そのキナ臭さは残った。
だが、やはり彼女を胡散臭い人物として片付ける気にはなれなかった。彼女の持つその献身的な優しさが、今もこうやってあたしの水晶体に映っているからだ。
「アイちゃんも無理しないで休んでね」
キッチンから出て来た詩織がそういう。彼女に軽く礼をいいながら振り返ると、詩織は手に何やら御盆を持って立っている。
「それは?」
「疲れてるんじゃないかな、と思ってさ。ごはん作っちゃった。勝手にごめんね」
驚いた。別に冷蔵庫を勝手に漁られたという不快感はなかった。確かに人の家に上がり込んで勝手にすることではないが、彼女の持つ盆に載った器から立つ白い湯気を見たら、そんなことはどうでも良くなったし、何よりもその料理の見た目が凄く美味しそうで、ネガティブな感情よりも先に、別の思いが先行した。
「そんな。別にコンビニ弁当で良かったのに」
「ダメだよ」詩織は首を横に振る。「疲れてる時はちゃんとしたモノを食べなくちゃ。といっても、あっさりしたモノを軽く作っただけだから、お腹に貯まるかはわかんないけど」
そういって詩織が置いた盆の上には、ふたつの容器が置かれている。ひとつはラップがしてあり、もうひとつの容器には、とても美味しそうなうどんが入れられている。麺の具合はもちろん、ほうれん草や揚げ玉、玉子に七味といった添え物、調味料が偏りなくキレイに振り掛けてある。そして、何より、
「……このにおい」
「ニンニクだよ。汁の味を邪魔しない程度にチューブのニンニクを使わせてもらったよ。お口に合うかわからないけど、疲れた身体にはスタミナをつけなくちゃね」
真っ赤な太陽のような笑顔を浮かべる詩織に、あたしは礼をいって箸を取り、ニンニクのいい香りのするうどんを摘まみ上げ、啜る。
美味しい。
あまりニンニクとうどんというのは見ない組み合わせだけど、自分が思っていた以上に美味しい。あっさりした汁にニンニクの天にも昇るようなツーンとした感覚があたしの疲れた頭に寄り添ってくれるような感じだった。
「美味しい……」
「なら良かった……」詩織はあどけなく笑っていう。「アイちゃんは美人さんなんだから、その綺麗さを無駄にしちゃダメだよ」
そういわれると何だか照れ臭くて、あたしは詩織から顔を叛けてうどんに手をつける。やっぱり美味しい。
「詩織さんは? 食べないの?」
「わたしは大丈夫だから。それより……」
その時、スマホが振動する。あたしは詩織に断って、スマホを確認する。まったく、この人はいつ掛けて来ても疫病神のようだ。あたしは軽く息を吐いて通話ボタンをスライドする。
「よぉ、どうだ、そっちは?」
弓永くんの声は弾んでいる。あたしはそんなテンションに付き合うつもりはないと宣言するように落ち着いた口調でいう。
「どうって、収穫ありといえば、ありかな。詩織さんがいうには、成松の当時の住居は霊の巣窟になっている。で、そうなってるのも、何か強い力が霊たちをそこへ呼び寄せているから、なんだってさ」
「そうかい。厄介なこったな」
「で、そっちは? 何か見つかった?」
「お前の大嫌いな男に会ったよ」
「へぇ。それは弓永龍って男かな?」
「お前、おれのことキライなのか」
弓永くんの声には何処か真剣みがあった。多分、ちょっとショックだったのかもしれない。あたしは笑っていう。
「そんなワケないでしょ。いい合いはしても、あたしはアナタがキライじゃあないよ。で、そのあたしがキライなヤツっていうのは?」
「ウェインけいじ、さ」
脳が突然締め付けられるようになる。意識は研ぎ澄まされ、鋭く尖った氷柱から水滴が零れ落ちるような怒りが込み上げて来る。
ウェインけいじ。成松の下っぱで、あたしがハメられることとなった原因を作った張本人。もし法が改正されて、人生でひとりならば人を殺しても良いとなったら、恐らくはこの三流芸人を殺めることだろう。
「へぇ、あの三流芸人に、ねぇ。で、どうだったの?」
「まぁ、落ち着けよ」あたしのヘヴィな声色を緩和するように、弓永くんはいう。「それより、さっきとんでもねぇ情報が入って来たんだがな」
「それって、ヤエがいなくなった、とか?」
「あ?」弓永くんは驚いている。「お前、どうしてそれを知ってる?」
「だって、ヤエはあたしの前で眠ってるから」
テーブルを挟んだ向かいのソファに横になって寝ているヤエを、詩織が献身的に見守っていた。テーブルの上には、真っ赤なキスマークの入ったメモが置かれていたーー
【続く】
夜、事務所に帰ってからというモノ、とても不可解な光景を目にすることとなり、あたしは今、こういう状況になっている。
例の成松事件のことを思い出せば、あたしの事務所における不可解な光景というのは決して不思議なことではなかったが、あたしが驚いたのは、本来そこにはいないはずの『それ』がいたからだった。
事務所に帰った時は、あたしに同行していた鈴木詩織という女も一緒だった。最初が最初だったこともあって、信用するに足る人物なのかという疑念は拭い去れなかったが、弓永くんの知り合いであり、弓永くんの友人の妹さんだということから、まったく信用出来ない人物ではないのは確かだった。
それに、詩織のいう「霊感」には、所謂『霊感女子』的な胡散臭さはまったくなく、むしろ今そこにある現実が頬杖をついて寝転がっているような、そんなリアルさが感じられた。更にいえば、この詩織という女は、人格的には多少の問題はあるとはいえ、人を疑うことを知らないといっても過言ではないほどに純粋で、あざとさや策士的なイヤミたらしさもなくて、そこまで悪い印象も抱かなかった。
ある一点を除けば。
ある一点、それはいうまでもなく、彼女の職業についてだ。まぁ、全国区にまたがる巨大な新興宗教の教祖の娘ということもあって、もしかしたら教団関係で機密の仕事をしているのかもしれないが、変に裏の事情に詳しいことをみるに、そのキナ臭さは残った。
だが、やはり彼女を胡散臭い人物として片付ける気にはなれなかった。彼女の持つその献身的な優しさが、今もこうやってあたしの水晶体に映っているからだ。
「アイちゃんも無理しないで休んでね」
キッチンから出て来た詩織がそういう。彼女に軽く礼をいいながら振り返ると、詩織は手に何やら御盆を持って立っている。
「それは?」
「疲れてるんじゃないかな、と思ってさ。ごはん作っちゃった。勝手にごめんね」
驚いた。別に冷蔵庫を勝手に漁られたという不快感はなかった。確かに人の家に上がり込んで勝手にすることではないが、彼女の持つ盆に載った器から立つ白い湯気を見たら、そんなことはどうでも良くなったし、何よりもその料理の見た目が凄く美味しそうで、ネガティブな感情よりも先に、別の思いが先行した。
「そんな。別にコンビニ弁当で良かったのに」
「ダメだよ」詩織は首を横に振る。「疲れてる時はちゃんとしたモノを食べなくちゃ。といっても、あっさりしたモノを軽く作っただけだから、お腹に貯まるかはわかんないけど」
そういって詩織が置いた盆の上には、ふたつの容器が置かれている。ひとつはラップがしてあり、もうひとつの容器には、とても美味しそうなうどんが入れられている。麺の具合はもちろん、ほうれん草や揚げ玉、玉子に七味といった添え物、調味料が偏りなくキレイに振り掛けてある。そして、何より、
「……このにおい」
「ニンニクだよ。汁の味を邪魔しない程度にチューブのニンニクを使わせてもらったよ。お口に合うかわからないけど、疲れた身体にはスタミナをつけなくちゃね」
真っ赤な太陽のような笑顔を浮かべる詩織に、あたしは礼をいって箸を取り、ニンニクのいい香りのするうどんを摘まみ上げ、啜る。
美味しい。
あまりニンニクとうどんというのは見ない組み合わせだけど、自分が思っていた以上に美味しい。あっさりした汁にニンニクの天にも昇るようなツーンとした感覚があたしの疲れた頭に寄り添ってくれるような感じだった。
「美味しい……」
「なら良かった……」詩織はあどけなく笑っていう。「アイちゃんは美人さんなんだから、その綺麗さを無駄にしちゃダメだよ」
そういわれると何だか照れ臭くて、あたしは詩織から顔を叛けてうどんに手をつける。やっぱり美味しい。
「詩織さんは? 食べないの?」
「わたしは大丈夫だから。それより……」
その時、スマホが振動する。あたしは詩織に断って、スマホを確認する。まったく、この人はいつ掛けて来ても疫病神のようだ。あたしは軽く息を吐いて通話ボタンをスライドする。
「よぉ、どうだ、そっちは?」
弓永くんの声は弾んでいる。あたしはそんなテンションに付き合うつもりはないと宣言するように落ち着いた口調でいう。
「どうって、収穫ありといえば、ありかな。詩織さんがいうには、成松の当時の住居は霊の巣窟になっている。で、そうなってるのも、何か強い力が霊たちをそこへ呼び寄せているから、なんだってさ」
「そうかい。厄介なこったな」
「で、そっちは? 何か見つかった?」
「お前の大嫌いな男に会ったよ」
「へぇ。それは弓永龍って男かな?」
「お前、おれのことキライなのか」
弓永くんの声には何処か真剣みがあった。多分、ちょっとショックだったのかもしれない。あたしは笑っていう。
「そんなワケないでしょ。いい合いはしても、あたしはアナタがキライじゃあないよ。で、そのあたしがキライなヤツっていうのは?」
「ウェインけいじ、さ」
脳が突然締め付けられるようになる。意識は研ぎ澄まされ、鋭く尖った氷柱から水滴が零れ落ちるような怒りが込み上げて来る。
ウェインけいじ。成松の下っぱで、あたしがハメられることとなった原因を作った張本人。もし法が改正されて、人生でひとりならば人を殺しても良いとなったら、恐らくはこの三流芸人を殺めることだろう。
「へぇ、あの三流芸人に、ねぇ。で、どうだったの?」
「まぁ、落ち着けよ」あたしのヘヴィな声色を緩和するように、弓永くんはいう。「それより、さっきとんでもねぇ情報が入って来たんだがな」
「それって、ヤエがいなくなった、とか?」
「あ?」弓永くんは驚いている。「お前、どうしてそれを知ってる?」
「だって、ヤエはあたしの前で眠ってるから」
テーブルを挟んだ向かいのソファに横になって寝ているヤエを、詩織が献身的に見守っていた。テーブルの上には、真っ赤なキスマークの入ったメモが置かれていたーー
【続く】