【丑寅は静かに嗤う~猿雉】

文字数 4,543文字

 夕刻の江戸日本橋ではさめざめとした雪が降っていた。

 夕陽は雲で隠れて辺りは薄暗かった。天候の悪さからか通行人はなく、あるのは街の一角に座るふたりの縛られた男女の姿だけ。

 ひとりは傷だらけの女、もうひとりはボロボロの男ーーいや、人の着物を着た人形。

 女の顔はアザだらけ。腫れた部分もあり、口許からはうっすらと血が出ていた。目は赤く充血し、この世のすべてを呪わんとするような凄まじい形相で街の一角を睨み付けていた。

 真冬の冷たい風が襦袢一枚の身体を無情に打ち、女は身体をブルブルと震わせた。啜り泣く声。女は口をキュッと結んだ。

「えー、この者たち、相対死の生き残りとして三日間のーー」女のすぐそばに立てられた看板を読む誰かの声。「ハッ! アンタ、相対死の生き残りか。しかし、また随分と変わったヤツと心中しようと思ったな」

 声のするほうへと女が目を向けると、そこには男がひとり。男ーー紺の着物に黒い袴、髷は結っておらず総髪の髪は金属製の髪留でうしろに撫で付けてある。顔は野良犬のように痩せこけてはいるが、体つきは逞しい。腰元には淡青色の柄巻の大刀が一本に、黒い骨組みの鉄扇がひとつ差してある。

「笑いたいなら笑いなよ。あたしだって、こんなことになった自分を笑ってやりたいよ」

「誰が笑うといったよ」

 男は女の前に屈み込んだかと思うと、腰元の鉄扇を勢い良く開き、女の頭上を覆うように掲げた。

「……どういうつもり?」

「傘がねぇんだ。濡れちまうのは仕方ないけど、勘弁してくれよな」

「そうじゃなくて、あたしに優しくして何がしたいの? 自分より下の人間を助けて悦に浸りたいって感じ?」

「皮肉は止めろよ。それに、おれがアンタより上の人間だなんてどうして思う。襦袢の上を着ているからか。手足を縛られていないからか。それとも、腰に刀を差しているからか」

 女は鼻で笑って見せた。

「すべてだよ。あたしは人形と相対死しようとして生き残ったバカな女。アンタはそんなバカな女を見て情けを掛けるお侍。こんなんで対等だなんていえる? それとも、アンタもあたしと同じようにどん底を這いずり回る虫けらだっていうの?」

 女の自虐的な笑みに、男は不敵に笑って見せ、

「虫けらか。間違っちゃいないかもな。アンタは人形と相対死して生き残った。おれはーー」

 そういって男は鉄扇を畳んで立ち上がり、腰元の刀を抜いた。刀の刀身には赤黒い血がベッタリと着いていた。男は刀を女に見せ、

「今さっき、人を殺してきたんだ」

 女は血の付いた刀身を興味もなさそうに眺め、そうなんだと納得して見せた。

「驚かないのか。目の前に人を殺した罪人がいるんだぜ」納刀しながら男はいった。

「別に驚かないよ。ここに男と女がいる。女は相対死の生き残り、男はただの人殺し、それだけの話じゃない。それにあたしもアンタも不幸なことに生き残ってしまった。後に残るは地獄に辿り着くまでの無駄な余生だけなんだから」

「ハッ! 面白い考え方だな。まぁ、どうせ生き残っちまったつまらねぇ命だ。つまらねぇ命に起こったつまらねぇ話を聴かせろよ。何で人形なんかと相対死しようと思った?」

 女は男から目を反らしたまま口をキュッと結んだかと思うと、徐にいった。

「……そんなこと聴いて、どうすんの?」

「どうもしねぇな。ただ、話せばアンタの気も晴れるだろう。大体、今更恥がどうとか考える身分でもねぇだろ。恥さらしが恥さらしに何いったって別にどうってこともねぇだろうしな」

「……そうだね」女は軽く天を仰いだ。「好きな男がいたんだ。それこそ共に心中してもいいと思うくらいね。だけど、それはウソだった。心中しようとしたら誰かに殴られて、目が覚めたら河原でこの人形と手を繋がれていた。奉行はあたしとこの人形が相対死をしたとして三日間、晒し者になるよういい渡した。で、あたしは今この人形とこうやって雪降る日本橋でバカみたいに座ってるってワケ。さ、次はアンタの番だよ」

「おれの話を聴きたいのか?」

「あたしだけに話させて自分は黙りってのはあんまりじゃない? 同じ底辺を這いずる者同士、隠し事なんかするもんじゃない、でしょ?で、その刀にベッタリ着いた血は誰のなの?」

 男は不敵に笑って見せた。

「おれの仇だった男の、だ」

「へぇ、仇、ねぇ。誰を殺されたの?」

「剣術の師範をしていた父親を、な。随分探し回ったよ。実に十年だ」

「そう。で、アンタは生き残った。でも、相手もそんな剣術の師範を殺したんだから、大した腕の持ち主だったんじゃないの?」

「……あぁ。相手は道場の二番手だった男で、親父に次ぐほどの腕前だった。だが、親父は病でかなり弱っていてな。聴いた話じゃ、親父は奇襲を掛けられて辻斬り同然に殺されてしまったんだそうだ。だが、その時おれは親父のいいつけで土佐で学業に励みながら、土佐の丑に剣術を、琉球から来た寅からズイディーの手解きを受けていた。だが、親父が死んだと聴かされてこっちに戻り、ヤツを殺すためにあちこちをさ迷った。そして、さっき漸く仇を殺してきたってワケだ」

「なるほど、大変だったんだね。でも、何でその仇はアンタのお父上を斬ったの?」

「それは……、おれにもよくはわからない」

「どういうこと?」

「ヤツは虚無僧となって全国を行脚していた。腰に刀を差して、な。何故、虚無僧となったのかは、『自分の身体にベットリとついた血を洗い流すように、自分の業を祓うため』だといっていた。だが、そんなのは無理な話だった。ヤツは自分の力に溺れ、強さに溺れた。始めの内は自分より強い相手を斬ることに生き甲斐と喜びを見いだしていたらしいが、それもいつしか歯止めが利かなくなり、気づけば人を殺すことに快楽を覚えるだけの殺人狂に成り下がっていた。だが、そんな男にもわずかながらの良心があった。人を殺すことに罪悪感を抱き、人を殺す自分を責め続けた。しかし、殺しは止められない。そんな己の業に悩み苦しんだ果てに、ヤツは虚無僧となって世をさ迷った。罪から逃げ、罪を水に流そうとした。そして、自分を殺してくれる誰かを探し続けたんだ。だが、その意識とは逆に、ヤツは現れる刺客を次々と殺していった。罪の意識以上に、人を殺したいという欲望がヤツの心を蝕んでいたんだ」

 男がそこでことばを切ると、女は小さく相槌を打って、

「なるほど、ねぇ。でも、その相手も腐っても武士だったんでしょ? それならわざわざ人に斬られるために全国を行脚するより、武士らしく自分の腹を斬れば良かったんじゃないの?」

「人に斬られるのと、自分で腹を斬るというのとじゃ話は別だ。それに自分で腹が斬れるなら、わざわざ虚無僧になりはしない。ヤツは欲に溺れ、もはや自分を抑えられなくなっていた。そして、おれが目の前に現れた時、こういった。『斬れッ!』と」

「それで、斬ったの」

「……正直、怖かった。おれも土佐にいた時は道場じゃそれなりの腕前だった。だが、ヤツはそれを遥かに凌駕するほどだと、相対した瞬間にわかった。手足が震え、汗が頬を撫でた。勝負はーー」男がパンッ!と手を叩くと、場の空気が一気に引き締まった。「一瞬だった」

「……そうだったんだ。大変だったんだね」

「あぁ。アンタほどじゃないけどな。それより、アンタを裁いた奉行ってのもまた可笑しな野郎だな。人形を相対死の相手とかいうなんて。こりゃ何かカラクリがあるぜ」

「カラクリったって、それがあったとして、今のあたしに何が出来るっていうの?」

 男は女の顔を凝視した。

「……何?」

「アンタ、死ぬ覚悟はあるか?」

「え?」

「死ぬ覚悟はあるのか?」

 男の顔は真に迫っていた。女は一瞬困惑しつつも、すべてを笑い飛ばすように鼻で笑って、

「覚悟も何も、もう死んだようなモンさ。でも、何をしようっていうんだい?」

「おれと一緒に、相対死しねぇか?」

「……え?」

 男は刀を抜いた。刀身から流れ落ちる血が、地面に垂れて土を赤く染めた。

 男は大きく刀を振り上げた。女はーー

 バサリと何かが斬れた。

 女は自分の命があることを意外に思うようにあちこちを見回した。斬れた縄が数本。女の身体を縛っていたモノだった。そして、次に女の目に止まったのは、真っ二つになって倒れている人形の姿だった。女は身体と声を震わし、

「いきなり何ッ?」叫んだ。「ビックリするじゃーー」

「こんなことでビックリするってことはまだ生きたいってことじゃねぇのか?」血を振るい、男は再び刀を鞘に納めながらいった。

「……え?」

「アンタはまだ生きたいんだ。それに、まだ自分を陥れたヤツラを許してもいない。そうだろ?」

 女は自分の感情を五臓六腑に落とし込むようにコクリと頷いた。

「だろうな。まぁ、どうせ死んだも同然な人生だ。晒し者になって、後に残るは非人としてのろくでもない人生だけだ。陸場所に売られるか、江戸を追放されるか、な。つまり、おれもアンタも地獄への通行手形は既に持ってるってワケだ。だったら地獄へ行く前に、このカラクリを仕掛けた野郎どもを地獄に送ってやろうじゃねぇか。どうせ死ぬなら、やるだけやって死のうぜ」男は女に手を差し伸べ、「立てよ。おれとアンタの地獄への旅の始まりだ」

 女は男の手を取り立ち上がると衣服の砂ぼこりや泥を払った。

「一応お礼をいっておく、ありがとう。でも、あたし、まだアンタのことを何も知らない。お父上のいいつけで土佐で剣術とそのズイディ?とかいうのの特訓してこっちに帰って来たってことだけど、生まれは江戸なの?」

「生まれは武州川越だ。名前は、猿田源之助」

「猿田さん、ねぇ。猿っていうより、野良犬って感じの風貌だけどね」

「放っとけ。そういうアンタは? 生まれは何処で、名は何ていうんだ?」

「生まれは下総の香取。名前はーー」女はうっすらと笑った。「お雉」

「『お雉』か。雉っていうより、カラスみたいだけどな」

「余計なお世話。それに雉は鮮やかな雄に対して雌は地味で薄汚い。それってあたしにはお似合いだと思わない?ーーま、そんなことより、ひとつ約束して欲しいことがあるんだけど」

 真剣な眼差しで、お雉は猿田を見る。

「……何だ?」

「あたしと猿田さんは相対死の仲、あたしが死んだら、アンタも一緒に死んで欲しいの。つまり……」お雉は一瞬口をつぐみ、いった。「あたしを、絶対ひとりにしないで」

 猿田の顔から笑みが消える。饒舌だった口振りも影を潜め、猿田は少しの沈黙の後に漸く口を開いたーー

「それはいいが、逆におれが死んだら、アンタはどうするんだ?」

「死ぬ。だってこれはあたしとアナタの心中物語なんだから。アナタをひとりにはしない。だから、アンタもあたしをひとりにしないで」

 お雉の目の中で星が輝いていた。ひくつく目元と口許。猿田は朗らかに口許を緩ませた。

「……わかった」猿田は再びお雉に手を差し出した。「じゃ、行こうぜ。おれたちの地獄へ」

 頷き猿田の手を取るお雉。猿田とお雉、ふたりの視線が交差した。そして、猿田とお雉は相対死の相手を象るように互いの手を握ったまま歩き出した。

 去り行くふたりの男と女の背中を、割れた無機質な人形の目が静かに見詰めていた。

 【続く】
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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