【西陽の当たる地獄花~弐拾参~】
文字数 2,211文字
苦痛が肉体をつんざく。
かまいたちが全身を切り裂くような鋭い寒気が、おれの神経を凍りつかせる。
だが、おれにはそれが心地よくて仕方ない。
生きているーー仮に肉体は死に、魂だけとなっても、極楽へ行こうが、地獄へ行こうが、無へと消え去っても、痛みがある限り、おれという存在が生きていることには変わらない。
そう、おれは今、生きている。存在している。ここに。間違いなくここに。
笑いが止まらない。
彼岸ってとこはこんなにもいいところだったのか、と生前は思ってもいなかった。
死んだら終わりーーそんな短絡的な考え方しか出来なかった。生前のおれは間違いなく未熟だった。だが、おれは悟った。人間、死んでからこそが本番なのだ、と。
楽しくて仕方がない。
目の前にはおれの「弱きこころ」とやらが作り出した猿田源之助の亡霊がいて、極楽の世界にはおれを殺した白装束の死に損ないがいる。
そして殺すべき神もいる。
そんな世界がつまらないはずがなかった。
今は無の世界にいても、恐れや絶望は感じていない。まず、おれがやるべきは目の前にいる猿田源之助の「紛いモノ」を殺すことだった。
猿田源之助もビビっていた。だが、目の前のコイツはただおれの存在に恐怖し、萎縮仕掛けた壊れた人形でしかなかった。
おれは再生した右腕で『神殺』を持ち、切っ先を紛いモノに向ける。ヤツは、ハァとため息をついて再び刀を構える。
土佐の英信流ーーその泥臭い刀捌きは、実戦的な無外流とは異なるとはいえ、人を斬るには充分過ぎるほどの恐ろしさを含んでいる。
そして、あの男もそうだったーー
不覚としかいいようがなかった。白装束に白鞘の刀、細身の身体にヒゲ以外は小綺麗な顔。一見するとそこまでの刀の使い手ではないように見えるが、その実、実力者ほど強そうには見えないのが現実。
それを絵に描いたような男だった。
おれは完全に舐め腐っていた。そもそもが、白鞘の刀で立ち回ろうという考え自体が素人としか思えなかった。だが、その白装束に白鞘というのが、「眠りを貪る者」を象徴していたと気づいたのは、ヤツに斬られた後だった。
そして、その刀捌き。良く見ておくべきだった。刀を構えた時のうしろ足、そのかかとが若干上がっていたことで、英信流だというのはわかっていたが、それが土佐のモノだとはわからなかった。
そう、おれはまたしても土佐流によって、頬を土につけることとなってしまったのだ。
しかし、どうしてこうも都合良く土佐流の人間を選んで、おれに差し向けて来たのか。
考えられるのは、おれの最期の相手が、土佐流使いの猿田源之助だったからだろう。
おれは刀を降ろす。
「おい」
おれが声を掛けると、紛いモノは緊張の面持ちで、刀を構えたままーー
「……何か?」
「テメェ、おれの恐怖心が具現化した姿、とか抜かしてやがったな」
「……そうだが?」
「てことは、テメェには猿田源之助の記憶はない、ってことだな?」
「……如何にも」
「そうか……」おれは再び刀を構える。「なら、用はねぇーー死ね」
おれは刀を八相に構えて紛いモノに向かって走り出す。それはまるで、あの白装束の野郎に出会った時のようだったーー
あのイカレた犬コロに乗って神を追っていると、突然、犬コロの首が吹っ飛んだ。
頭をなくした犬コロはそのまま自分が死んだことにも気づかずに走り続けたが、少しするとその勢いのまま、地面に倒れ込んだ。
おれは何とか受け身を取ったとはいえ、片ひざを付いて、明らかに隙だらけになっていた。
「何だ、テメェは」
おれはゆっくり立ち上がりながらいった。白装束はクソ気に食わない笑みを浮かべて、
「これから死ぬのに、名前が必要か?」
と訊いて来やがった。
「あ? 誰が死ぬってんだ?」
「貴様だよ、狂ったスカンピン」
何ともムカつく野郎だった。多分、それで判断力も落ちていたのだと思う。おれは『神殺』を抜き、白装束に切っ先を向けた。白装束も白鞘の刀を抜き、ゆっくりと切っ先をおれに向けて来た。おれはヤツのうしろ足を見、
「英信流、か。気に食わねぇな」
「その気に食わない流派の刀により、貴様は死ぬのだよ、残念ながら」
おれは苛立ちつつも、中段でヤツのほうへと詰め寄って行った。ヤツと切っ先を交えた。そしてーー
そこからの記憶が曖昧なのは、その瞬間におれが斬られたからだろう。ただ、ひとつ覚えているのは、ヤツが使った業が『霞剣』と呼ばれる英信流の奥義のひとつだったということだ。
あの奥義を見たのは初めてだった。下らない言い訳になってしまうが、だからこそ、ヤツの業を見破ることが出来なかった。
だが、今度は違うーー
おれは八相に構えたまま走り込む。そして、紛いモノの姿がすぐ前に来たところで、そのまま刀を袈裟懸けに振り下ろす。
ヤツは、当たり前というように刀を上に掲げておれの刀を受け流し、おれに向かって袈裟斬りを仕掛けて来る。
だが、それを狙っていたのだ。
おれは流された刀を即座に擦り上げるようにして上に掲げる。そして、入り身をしつつ、ヤツの袈裟斬りを逆に受け流し、再びーー
『神殺』に軽い手応えがある。
おれの身体にはこれといった刺激はない。
気づけば、目の前に紛いモノの姿はない。勝ったーー間違いなく、おれは自分を恐れる自分の恐怖心を斬り殺したのだ。
沸々と笑いが込み上げる。
気づけば、おれは狂ったように笑っていた。
【続く】
かまいたちが全身を切り裂くような鋭い寒気が、おれの神経を凍りつかせる。
だが、おれにはそれが心地よくて仕方ない。
生きているーー仮に肉体は死に、魂だけとなっても、極楽へ行こうが、地獄へ行こうが、無へと消え去っても、痛みがある限り、おれという存在が生きていることには変わらない。
そう、おれは今、生きている。存在している。ここに。間違いなくここに。
笑いが止まらない。
彼岸ってとこはこんなにもいいところだったのか、と生前は思ってもいなかった。
死んだら終わりーーそんな短絡的な考え方しか出来なかった。生前のおれは間違いなく未熟だった。だが、おれは悟った。人間、死んでからこそが本番なのだ、と。
楽しくて仕方がない。
目の前にはおれの「弱きこころ」とやらが作り出した猿田源之助の亡霊がいて、極楽の世界にはおれを殺した白装束の死に損ないがいる。
そして殺すべき神もいる。
そんな世界がつまらないはずがなかった。
今は無の世界にいても、恐れや絶望は感じていない。まず、おれがやるべきは目の前にいる猿田源之助の「紛いモノ」を殺すことだった。
猿田源之助もビビっていた。だが、目の前のコイツはただおれの存在に恐怖し、萎縮仕掛けた壊れた人形でしかなかった。
おれは再生した右腕で『神殺』を持ち、切っ先を紛いモノに向ける。ヤツは、ハァとため息をついて再び刀を構える。
土佐の英信流ーーその泥臭い刀捌きは、実戦的な無外流とは異なるとはいえ、人を斬るには充分過ぎるほどの恐ろしさを含んでいる。
そして、あの男もそうだったーー
不覚としかいいようがなかった。白装束に白鞘の刀、細身の身体にヒゲ以外は小綺麗な顔。一見するとそこまでの刀の使い手ではないように見えるが、その実、実力者ほど強そうには見えないのが現実。
それを絵に描いたような男だった。
おれは完全に舐め腐っていた。そもそもが、白鞘の刀で立ち回ろうという考え自体が素人としか思えなかった。だが、その白装束に白鞘というのが、「眠りを貪る者」を象徴していたと気づいたのは、ヤツに斬られた後だった。
そして、その刀捌き。良く見ておくべきだった。刀を構えた時のうしろ足、そのかかとが若干上がっていたことで、英信流だというのはわかっていたが、それが土佐のモノだとはわからなかった。
そう、おれはまたしても土佐流によって、頬を土につけることとなってしまったのだ。
しかし、どうしてこうも都合良く土佐流の人間を選んで、おれに差し向けて来たのか。
考えられるのは、おれの最期の相手が、土佐流使いの猿田源之助だったからだろう。
おれは刀を降ろす。
「おい」
おれが声を掛けると、紛いモノは緊張の面持ちで、刀を構えたままーー
「……何か?」
「テメェ、おれの恐怖心が具現化した姿、とか抜かしてやがったな」
「……そうだが?」
「てことは、テメェには猿田源之助の記憶はない、ってことだな?」
「……如何にも」
「そうか……」おれは再び刀を構える。「なら、用はねぇーー死ね」
おれは刀を八相に構えて紛いモノに向かって走り出す。それはまるで、あの白装束の野郎に出会った時のようだったーー
あのイカレた犬コロに乗って神を追っていると、突然、犬コロの首が吹っ飛んだ。
頭をなくした犬コロはそのまま自分が死んだことにも気づかずに走り続けたが、少しするとその勢いのまま、地面に倒れ込んだ。
おれは何とか受け身を取ったとはいえ、片ひざを付いて、明らかに隙だらけになっていた。
「何だ、テメェは」
おれはゆっくり立ち上がりながらいった。白装束はクソ気に食わない笑みを浮かべて、
「これから死ぬのに、名前が必要か?」
と訊いて来やがった。
「あ? 誰が死ぬってんだ?」
「貴様だよ、狂ったスカンピン」
何ともムカつく野郎だった。多分、それで判断力も落ちていたのだと思う。おれは『神殺』を抜き、白装束に切っ先を向けた。白装束も白鞘の刀を抜き、ゆっくりと切っ先をおれに向けて来た。おれはヤツのうしろ足を見、
「英信流、か。気に食わねぇな」
「その気に食わない流派の刀により、貴様は死ぬのだよ、残念ながら」
おれは苛立ちつつも、中段でヤツのほうへと詰め寄って行った。ヤツと切っ先を交えた。そしてーー
そこからの記憶が曖昧なのは、その瞬間におれが斬られたからだろう。ただ、ひとつ覚えているのは、ヤツが使った業が『霞剣』と呼ばれる英信流の奥義のひとつだったということだ。
あの奥義を見たのは初めてだった。下らない言い訳になってしまうが、だからこそ、ヤツの業を見破ることが出来なかった。
だが、今度は違うーー
おれは八相に構えたまま走り込む。そして、紛いモノの姿がすぐ前に来たところで、そのまま刀を袈裟懸けに振り下ろす。
ヤツは、当たり前というように刀を上に掲げておれの刀を受け流し、おれに向かって袈裟斬りを仕掛けて来る。
だが、それを狙っていたのだ。
おれは流された刀を即座に擦り上げるようにして上に掲げる。そして、入り身をしつつ、ヤツの袈裟斬りを逆に受け流し、再びーー
『神殺』に軽い手応えがある。
おれの身体にはこれといった刺激はない。
気づけば、目の前に紛いモノの姿はない。勝ったーー間違いなく、おれは自分を恐れる自分の恐怖心を斬り殺したのだ。
沸々と笑いが込み上げる。
気づけば、おれは狂ったように笑っていた。
【続く】