【教科書だけではままならぬ】

文字数 1,466文字

 人間は学習する生き物だ。

 そんなことをいうと、他の生物が学習していないみたいないい方になってしまうけれど、おれがいいたいのはそういうことではない。じゃあ、どういうこと?というとーー

 人間は学習することに特化した生き物だということだ。

 人間の大きな脳は書物や経験から様々なことを学び、自分の血や肉として浸透させていく。年齢と共にその能力も衰えはするが、人間が学習する生き物であるという本質は変わらない。

 とはいえ、人は年齢と共に学習することを止めてしまう傾向にある。

 頭が固くなり、新しいものを受け入れるだけの器量や視野の広さが失われていくと、人は過去の経験や今ある知識に依存するようになる。そうなると、イデオロギーの異なる他を排斥し、自分の意見を押し付けようとする。

 これが所謂「老害」というヤツなのだけど、人間、どうしてもひとつの組織に長く属したり、年齢を重ねたりすると、個人の意識とはうらはらに発言力は増していくモノで、どんな誠実な人でも「老害」呼ばわりされる可能性が少なからず出て来てしまう。

 いってしまえば、おれもそういった「老害予備軍」なのだけど、やはり、おれもそういったジャンルの人間にはなりたくないというのが本音で、だからこそ、おれは知らないことを知らないままにはしたくないし、新しいモノを受け入れて生きていきたいのだ。

 本を読んで新しい知識を得たり、映画や小説に触れて文化に通じたり、居合や沖縄空手を修練したりして、常に「新人」としての矜持を持ち続けていたい。

 当然、いつまでも新人気分では、どの業界、組織でもやってはいけないけれど、「何かを学び続けようとする姿勢を保つ」という意味では、それも可能だと思うのだ。

 昨日は緊急事態宣言が開けてはじめての居合の稽古だった。

 沖縄空手のほうは、当日に師匠に急な用事ができてしまった関係で稽古できなかったけれど、居合のほうは何とか通常通りに行うことができて、本当によかったと思う。

 直近で師匠とマンツーマンの稽古をやっていたお陰で、身体は充分に動いたけれど、とはいえ、時間が開いた後、久しぶりの稽古だ。これまでの修練分は殆どチャラになってしまったと考えたほうがいい。

 二週間前、師匠に個人稽古をつけてもらっているとはいえ、そのスタンスは変わらない。

 人間、一度時間を開けてしまったら、次始める時は「新人」も同じなのだ。

 だからこそ、傲ってはいけないし、学習するスタンスを崩してはいけないと思うのだ。

 そもそも時間が開けば技術はなまくらになる。とはいえ、だからこそ見える景色だってあるはずなのだ。だって、走り続けていては、景色をゆっくり見ることもできないのだから。

 緊急事態宣言も開けて強固な錠のような縛りも解け始め、漸く普段の生活が戻ってきた。

 これまで時間が止まったような感覚に浸っていたとはいえ、別に焦ることはない。ゆっくりと、またゆっくりとやっていけばいいだけだ。

 そんな感じで、またゆっくりと日常も戻ってくるワケだし、新しく何かを学んでみる、習ってみるというのもいいかもしれんよな。

 誰だって最初はビギナーなんだ。できないことを恥じる必要なんかない。できないことを笑うヤツってのは一定数いるけど、そんなロクデナシは相手にする必要はない。だって、そんなヤツ、老害か老害に片足突っ込んだマヌケなんだし、相手にするだけ時間の無駄だしな。

 自分の時間は自分のためーーそれか、自分の愛する人のために使うべきだと思うぜ。

 人生は長いんだ、楽しんで生きようぜ。

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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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