【丑寅は静かに嗤う~脱兎】
文字数 2,503文字
何かが炸裂する音、その数五つ。
十二鬼面の隠れ家、その外の広場にて、お雉はハッとして本殿のほうへと目を向ける。
少し前のこと。熱風渦巻く広場には雪崩れ込むような女の波、波ーー波。みな、牢に閉じ込められていた者たちだ。
猿田、犬蔵、そして桃川と次々と本殿へ向かった男たちとは別に、お雉はただひとり、牢に閉じ込められていた人質たちを解放しようと動いていた。
炎は隠れ家全体の殆どを飲み込んでいた。賊たちの寝床はほぼ炎上し、本殿ももはや火に包まれるのは時間の問題といったところだった。
残るは人質を収めている牢だが、ここに関しては火は放ってはいないとはいえ、飛び交う火の粉からいつ炎上するかわからないと考えると、そうノンビリしていられないのはいうまでもなかった。
これまで幾多の錠前を破って来た、お雉のか細い腕にとって、ちょっとした錠を破ることなど朝飯前なのはいうまでもなかったが、戦に参加する際に錠を打ち破っていたこともあって、その点において苦戦することは一切なかった。
盗賊の三下連中を倒した後は、ただ開けっ広げになった牢の戸を開き、人質連中を外に出せばいいだけだった。
その際に起きる混乱を抑え、かつ人質となっていた女たちのこころに寄り添えるのは、同じ女であるお雉だけだったこともあって、人質の解放という仕事はお雉にはうってつけだった。
人質たちは燃え盛る本殿や寝床を目にすると、燃え上がる炎に比例させるように、その恐怖と焦燥を燃え上がらせた。
そんな混沌とした状況で、お雉の力となったのが、お京だった。
何も持たない村娘のお京は、お雉や犬蔵、猿田、そして桃川が戦う姿に感化されたようで、はじめは恐れを抱いていたにも関わらず、いつの間にか自らお雉の仕事を率先して手伝い、混乱する人質の統制を助けていた。
雑魚はみな死んだ。そう思われていた。だが、二、三人、虫の息ながらも生き延びた者がおり、フラフラしながらも逃げ出そうとする人質たちを食い止めんとしていた。
「お雉さんッ!」
お京の張り詰めた声で呼ばれ、お雉は緊張感に満ちた表情で振り返ると、視線の先には生き残った雑魚の姿。
お雉は人質を圧する雑魚数人に向かって走り出した。走りながら髪をまとめていたかんざしを抜き、一直線。まとまっていた長い髪はほどけて風に靡いていた。
手負いの雑魚三人は、お雉の姿を目にすると、まるで糸に引っ張られるようにしてうしろへと退いた。自分たちが弱者であることを知っているといわんばかりに。
もはやヤケクソといった様子でひとりの盗賊が片手に握った刀でお雉に向かって斬り掛かった。が、その大振りの斬撃は、お雉を捉えるどころか、逆にお雉に懐へと入られてしまった。
襲い掛かった盗賊の動きが止まった。その首筋には鋭いかんざしが突き刺さっていた。
それを見た残りふたりの盗賊は完全に戦意を喪失したのか、ひとりはその場で尻餅をつき、ひとりは背を向けて逃げていった。
お雉はかんざしを引き抜き、逃げる盗賊へ向かって投げた。逃げる盗賊の動きが止まった。そうかと思うと、そのまま真っ正面に倒れ込む。その後頭部にはお雉のかんざし。
女たちの恐れおののく声が微かに響いた。お雉は小さくため息をつくと、その場で屍となっていた盗賊の落とした刀を拾い、尻餅をついた盗賊の元へと静かに近づいて行った。
やがて盗賊のもとへとたどり着くと、刀の切先を盗賊の首もとへ突きつける。
「たっ……、助けて……」
これまで数多の横暴を働いて来た凶悪な盗賊のモノとは思えないほど弱々しいことば。お雉は盗賊から目を叛けずして、
「お京さん、みんなを外へ」
「……わかっただ!」
お京はお雉にいわれた通り、人質となっていた女たちを隠れ家の外へと誘導した。
風が吹く。お京と人質たちの姿がその場から見えなくなると、お雉は盗賊に突きつけた刀を大きく振り上げた。
風が吹いた。
髪が靡いた。
そして、お雉は全身全霊ながらもギコチナイ動きで袈裟懸けに斬り捨てた。
盗賊だったモノが倒れ込む。
荒い息を吐くお雉、唾を飲み込み、肩を降ろし、刀を捨てる。
「武士の家の出でも、刀の腕は最低だね……」
「お雉さん……」お雉が振り返ると、そこにはお京がいた。「これから、どうするだ?」
お雉は顔を叛けて、
「……取り敢えず、お京さんは人質のみんなと外で隠れてて。まだ、みんなバラバラになって逃げるのは危険だから」
「いや! おら、お雉さんみてぇに戦えねぇが、みんなの力になりてぇだ! お雉さん、これからあそこさ行くんだろ?」お京は隠れ家の本殿を指す。「おらも行くだ!」
「ダメ」お雉はピシャリという。
「どうしてだ!?」
「それは、アナタみたいな素人には荷が重すぎるから」お雉の声が沈み込む。
「よくわかんねぇだ! それって、おらがいると迷惑って、そういうことーー」
お京のことばは突然に遮られ、お雉がもの凄い剣幕で捲し立てる。
「そうだよ! アナタみたいな素人に殺しの場には来て欲しくない! アナタは殺し屋じゃない。所詮はただの村娘。ささやかな幸せの中で生きていける。アナタとわたしたちは違う!」
お雉の勢いに、お京は圧倒される。だが、圧倒されてもまだ、その気勢は完全には削がれていないようでもあった。
「……だとしても、ここまで来た以上、アンタや犬蔵さん、猿田さん、桃川さんに助けて貰った以上、黙って見過ごすことは出来ねぇだ。どんなに無力な存在でも、大切な誰かに寄り添うことぐらいは出来るだ。違うか?」
お雉はことばを失う。と、そこに、突然の五つの炸裂音が鳴り響いたのだ。お雉は朗らかな表情でお京の肩に手を掛けると、
「……じゃあ、アナタが人質のみんなの支えになってあげて。それが何よりわたしや犬蔵、桃川さん、猿ちゃんの支えになるから。修羅場はわたしに任せて。だって……」お雉の目に涙が滲む。「だって、わたしは『天誅屋』だから」
お雉はお京から手を離し、本殿へ向かう。お京はお雉の名を呼ぶ。だが、その声はお雉には届かない。お雉の歩いた道のり、その地面にポツポツと雨が降っていた。
【続く】
十二鬼面の隠れ家、その外の広場にて、お雉はハッとして本殿のほうへと目を向ける。
少し前のこと。熱風渦巻く広場には雪崩れ込むような女の波、波ーー波。みな、牢に閉じ込められていた者たちだ。
猿田、犬蔵、そして桃川と次々と本殿へ向かった男たちとは別に、お雉はただひとり、牢に閉じ込められていた人質たちを解放しようと動いていた。
炎は隠れ家全体の殆どを飲み込んでいた。賊たちの寝床はほぼ炎上し、本殿ももはや火に包まれるのは時間の問題といったところだった。
残るは人質を収めている牢だが、ここに関しては火は放ってはいないとはいえ、飛び交う火の粉からいつ炎上するかわからないと考えると、そうノンビリしていられないのはいうまでもなかった。
これまで幾多の錠前を破って来た、お雉のか細い腕にとって、ちょっとした錠を破ることなど朝飯前なのはいうまでもなかったが、戦に参加する際に錠を打ち破っていたこともあって、その点において苦戦することは一切なかった。
盗賊の三下連中を倒した後は、ただ開けっ広げになった牢の戸を開き、人質連中を外に出せばいいだけだった。
その際に起きる混乱を抑え、かつ人質となっていた女たちのこころに寄り添えるのは、同じ女であるお雉だけだったこともあって、人質の解放という仕事はお雉にはうってつけだった。
人質たちは燃え盛る本殿や寝床を目にすると、燃え上がる炎に比例させるように、その恐怖と焦燥を燃え上がらせた。
そんな混沌とした状況で、お雉の力となったのが、お京だった。
何も持たない村娘のお京は、お雉や犬蔵、猿田、そして桃川が戦う姿に感化されたようで、はじめは恐れを抱いていたにも関わらず、いつの間にか自らお雉の仕事を率先して手伝い、混乱する人質の統制を助けていた。
雑魚はみな死んだ。そう思われていた。だが、二、三人、虫の息ながらも生き延びた者がおり、フラフラしながらも逃げ出そうとする人質たちを食い止めんとしていた。
「お雉さんッ!」
お京の張り詰めた声で呼ばれ、お雉は緊張感に満ちた表情で振り返ると、視線の先には生き残った雑魚の姿。
お雉は人質を圧する雑魚数人に向かって走り出した。走りながら髪をまとめていたかんざしを抜き、一直線。まとまっていた長い髪はほどけて風に靡いていた。
手負いの雑魚三人は、お雉の姿を目にすると、まるで糸に引っ張られるようにしてうしろへと退いた。自分たちが弱者であることを知っているといわんばかりに。
もはやヤケクソといった様子でひとりの盗賊が片手に握った刀でお雉に向かって斬り掛かった。が、その大振りの斬撃は、お雉を捉えるどころか、逆にお雉に懐へと入られてしまった。
襲い掛かった盗賊の動きが止まった。その首筋には鋭いかんざしが突き刺さっていた。
それを見た残りふたりの盗賊は完全に戦意を喪失したのか、ひとりはその場で尻餅をつき、ひとりは背を向けて逃げていった。
お雉はかんざしを引き抜き、逃げる盗賊へ向かって投げた。逃げる盗賊の動きが止まった。そうかと思うと、そのまま真っ正面に倒れ込む。その後頭部にはお雉のかんざし。
女たちの恐れおののく声が微かに響いた。お雉は小さくため息をつくと、その場で屍となっていた盗賊の落とした刀を拾い、尻餅をついた盗賊の元へと静かに近づいて行った。
やがて盗賊のもとへとたどり着くと、刀の切先を盗賊の首もとへ突きつける。
「たっ……、助けて……」
これまで数多の横暴を働いて来た凶悪な盗賊のモノとは思えないほど弱々しいことば。お雉は盗賊から目を叛けずして、
「お京さん、みんなを外へ」
「……わかっただ!」
お京はお雉にいわれた通り、人質となっていた女たちを隠れ家の外へと誘導した。
風が吹く。お京と人質たちの姿がその場から見えなくなると、お雉は盗賊に突きつけた刀を大きく振り上げた。
風が吹いた。
髪が靡いた。
そして、お雉は全身全霊ながらもギコチナイ動きで袈裟懸けに斬り捨てた。
盗賊だったモノが倒れ込む。
荒い息を吐くお雉、唾を飲み込み、肩を降ろし、刀を捨てる。
「武士の家の出でも、刀の腕は最低だね……」
「お雉さん……」お雉が振り返ると、そこにはお京がいた。「これから、どうするだ?」
お雉は顔を叛けて、
「……取り敢えず、お京さんは人質のみんなと外で隠れてて。まだ、みんなバラバラになって逃げるのは危険だから」
「いや! おら、お雉さんみてぇに戦えねぇが、みんなの力になりてぇだ! お雉さん、これからあそこさ行くんだろ?」お京は隠れ家の本殿を指す。「おらも行くだ!」
「ダメ」お雉はピシャリという。
「どうしてだ!?」
「それは、アナタみたいな素人には荷が重すぎるから」お雉の声が沈み込む。
「よくわかんねぇだ! それって、おらがいると迷惑って、そういうことーー」
お京のことばは突然に遮られ、お雉がもの凄い剣幕で捲し立てる。
「そうだよ! アナタみたいな素人に殺しの場には来て欲しくない! アナタは殺し屋じゃない。所詮はただの村娘。ささやかな幸せの中で生きていける。アナタとわたしたちは違う!」
お雉の勢いに、お京は圧倒される。だが、圧倒されてもまだ、その気勢は完全には削がれていないようでもあった。
「……だとしても、ここまで来た以上、アンタや犬蔵さん、猿田さん、桃川さんに助けて貰った以上、黙って見過ごすことは出来ねぇだ。どんなに無力な存在でも、大切な誰かに寄り添うことぐらいは出来るだ。違うか?」
お雉はことばを失う。と、そこに、突然の五つの炸裂音が鳴り響いたのだ。お雉は朗らかな表情でお京の肩に手を掛けると、
「……じゃあ、アナタが人質のみんなの支えになってあげて。それが何よりわたしや犬蔵、桃川さん、猿ちゃんの支えになるから。修羅場はわたしに任せて。だって……」お雉の目に涙が滲む。「だって、わたしは『天誅屋』だから」
お雉はお京から手を離し、本殿へ向かう。お京はお雉の名を呼ぶ。だが、その声はお雉には届かない。お雉の歩いた道のり、その地面にポツポツと雨が降っていた。
【続く】