【藪医者放浪記~参拾~】
文字数 1,180文字
客間は混沌としている。
まず、松平天馬が頭を抱えている。理由はいうまでもなく、娘のお咲の君が口を利けない病にかかってしまったままだからで、同時にすぐに来るであろう来客に間に合わせるにはどうすべきか考えているからだ。続いて、茂作。茂作はお咲が本当は口が利けることを知っており、周りの様子を伺って震えている。次にその当の本人であるお咲の君だ。お咲の君は自分の秘密が茂作によってバラされるのではという恐怖からか、茂作のほうをチラチラと盗み見ている。
また、もはや気が狂ったように顔を赤くし、目をつり上げた守山勘十郎は、いつ茂作が治療をするのかをイラ立ちながら見守っている。その手は今にも刀に走りそうになっているが、主である松平天馬の手前で乱心するワケにもいかず、じっと堪え忍んでいる。
室内で唯一落ち着いているのは、茂作の女房であるお涼ぐらいだろう。お涼は大きく口を開けながらアクビをしている。まるで今目の前で起き掛けている修羅への入り口を酒場の取るに足らない酩酊した光景ぐらいにしか思っていないようだ。
「順庵先生!」天馬が茂作にすがりつく。「何とか......、今すぐにでも何とかなりませんか!?」
だが、この問いに対して茂作も困り果ててしまう。ヘラヘラと笑いながら、何とか今そこにある問題をお座なり、曖昧にしてやり過ごそうとしている。だが、それもそうはいかない。
「貴様ぁ! 松平様をいつまでお待たせするつもりだ! こちらは貴様を腕のいい医者だと見込んでここまで呼んだのだぞ! それを貴様は......!」
「守山ッ!」勘十郎のことばを遮って天馬はいう。「いい加減にしないか! 順庵先生だってお忙しい中、来て下さっているのだ。口を慎まんか!」
天馬の叱責に勘十郎は三つ指を立てて土下座をして詫びる。ひきつった笑みを浮かべる順庵ーーいや、茂作。それもそうだ。大体、茂作がここにいるのは、犬吉がワケのわからない人違いをしたのが原因であり、その人違いの元凶となったのが、今ここで最も緊張感のないお涼なのだから。
「申しワケございませぬ、うちのがご無礼を!」
そういって天馬は江戸から来た職なし中年の茂作に土下座をする。茂作はそれを何とかやめさせようとし、勘十郎はその光景を頭を下げつつ歯軋りをしながら見詰めている。お咲の君は依然として茂作のことを胡散臭いモノを見る目で監視している。そしてお涼は飽きて足を崩し、退屈そうにしている。
もはやワケのわからない。
「松平様!」
玄関のほうから声が聴こえる。外に出ていたお羊の声だ。天馬の顔が青ざめる。一同、顔を見合せ、それから天馬は玄関に向かって叫ぶーー
「何だい!?」
キンッと響く声。それから少ししてお羊から答えは返って来る。
「武田家のご子息様がお越しになられました!」
その場にいるお涼を除いた全員の顔が凍りついた。
【続く】
まず、松平天馬が頭を抱えている。理由はいうまでもなく、娘のお咲の君が口を利けない病にかかってしまったままだからで、同時にすぐに来るであろう来客に間に合わせるにはどうすべきか考えているからだ。続いて、茂作。茂作はお咲が本当は口が利けることを知っており、周りの様子を伺って震えている。次にその当の本人であるお咲の君だ。お咲の君は自分の秘密が茂作によってバラされるのではという恐怖からか、茂作のほうをチラチラと盗み見ている。
また、もはや気が狂ったように顔を赤くし、目をつり上げた守山勘十郎は、いつ茂作が治療をするのかをイラ立ちながら見守っている。その手は今にも刀に走りそうになっているが、主である松平天馬の手前で乱心するワケにもいかず、じっと堪え忍んでいる。
室内で唯一落ち着いているのは、茂作の女房であるお涼ぐらいだろう。お涼は大きく口を開けながらアクビをしている。まるで今目の前で起き掛けている修羅への入り口を酒場の取るに足らない酩酊した光景ぐらいにしか思っていないようだ。
「順庵先生!」天馬が茂作にすがりつく。「何とか......、今すぐにでも何とかなりませんか!?」
だが、この問いに対して茂作も困り果ててしまう。ヘラヘラと笑いながら、何とか今そこにある問題をお座なり、曖昧にしてやり過ごそうとしている。だが、それもそうはいかない。
「貴様ぁ! 松平様をいつまでお待たせするつもりだ! こちらは貴様を腕のいい医者だと見込んでここまで呼んだのだぞ! それを貴様は......!」
「守山ッ!」勘十郎のことばを遮って天馬はいう。「いい加減にしないか! 順庵先生だってお忙しい中、来て下さっているのだ。口を慎まんか!」
天馬の叱責に勘十郎は三つ指を立てて土下座をして詫びる。ひきつった笑みを浮かべる順庵ーーいや、茂作。それもそうだ。大体、茂作がここにいるのは、犬吉がワケのわからない人違いをしたのが原因であり、その人違いの元凶となったのが、今ここで最も緊張感のないお涼なのだから。
「申しワケございませぬ、うちのがご無礼を!」
そういって天馬は江戸から来た職なし中年の茂作に土下座をする。茂作はそれを何とかやめさせようとし、勘十郎はその光景を頭を下げつつ歯軋りをしながら見詰めている。お咲の君は依然として茂作のことを胡散臭いモノを見る目で監視している。そしてお涼は飽きて足を崩し、退屈そうにしている。
もはやワケのわからない。
「松平様!」
玄関のほうから声が聴こえる。外に出ていたお羊の声だ。天馬の顔が青ざめる。一同、顔を見合せ、それから天馬は玄関に向かって叫ぶーー
「何だい!?」
キンッと響く声。それから少ししてお羊から答えは返って来る。
「武田家のご子息様がお越しになられました!」
その場にいるお涼を除いた全員の顔が凍りついた。
【続く】