【明日、白夜になる前に~伍拾漆~】
文字数 2,412文字
きらびやかな夜のネオンを盛り立てるのはたくさんの人ごみなのはいうまでもない。
だが、その盛り上がりとは遠く離れた位置にいたといっても可笑しくない状態にぼくはいた。ぼくは違和感を抱いていた。今、ぼくのとなりを歩いている里村さんに。
里村さんとの距離感はいつも以上に遠い。これは人ごみがどうとかは関係ないように見える。というか、こころなしか彼女のほうからぼくに近づくことを避けている。そんな印象。
ぼくもそれに対して距離を詰めて行こうとはしなかった。別に危機感も感じなかった。だがひとつだけ、明らかに可笑しな点があった。
変ににおうのだ。
何というか、明らかに風呂に入っていないような、汗と埃が入り交じったような悪臭が漂ってくる。それも、あまりいいたくはないが、里村さんから。
病院は当たり前だが、病人を扱う場所だ。つまり、その環境への気の使い方はかなりデリケートなモノとなるのはいうまでもない。ましてや、看護士が風呂に何日も入っていないような悪臭を放ち続けているなど、普通の職場以上に問題になるのはいうまでもない。
つまり、里村さんが今現在、仕事をしているとは思えないということだ。
更にいえば、初めて会った時から彼女には清潔感があった。そんな彼女がそんな悪臭を振り撒いているなど考えにくかったし、仮にそうだとしても何故そうしているのかなんて見当もつかなかった。
それに何より、女性に対して体臭のことを指摘するようなことは出来なかった。
「ねぇ、何処に行こうか?」
里村さんがいう。その声にはまったく張りがない。頬は痩けているし、笑顔もくたびれている。ぼくは情けないほどに狼狽えてしまった。彼女の視線は不思議そう。ぼくは何とかしてそれを誤魔化そうとした。が、やはり何といっていいかわからない。
「特に思いつかないなら、ちょっと行きたいところがあるんだけど、いいかな……?」
「え!?」意外だった。「う、うん……」
「そう、ありがとう。じゃあ、ついてきて」
ぼくは彼女に導かれるままについて行くことにした。そうすることで気づいた。
通行人が里村さんを避けるようにして歩いているということを。
通行人は明らかに不快な表情を浮かべている。視線はいうまでもなく里村さんに向いている。中にはこころない高校生やヤンキーが里村さんに対して「くっせ」と捨てゼリフを吐く。
だが、里村さんはそれに対して何も感じていないように気にも留めないで歩き続けている。ぼくはそんな残酷なことをいう連中から彼女を守らなければ、となるより、彼女の反応が気になって何もいえなくなってしまった。
と、突然に里村さんは立ち止まってぼくのほうを見る。その表情からは、やはり気力は感じられなかった。力ないにも関わらず、精一杯、空元気な笑みを浮かべる里村さん。
「ここなんか、どうかな?」
彼女の提案した店は、比較的効果な焼き肉店だった。別に値段がどうこうとかではなく、決めてもらった立場としてこんなことはいいづらいが、ここ最近、よく焼き肉を食べている気がして、どうにも気が進まなかった。
「決めてもらって申しワケないけど、ここは……」
「お願い! ここにして!」
彼女の声が強烈に響く。周りにいた人たちの中に、その声に気づいて里村さんのほうを見た者が何人かいた。ヒソヒソと話し出すヤツも。ぼくは彼女の圧と、彼女へ向けられる好奇の目を避けるために、彼女を伴って店に入った。
店内はキレイに整っていた。テーブル席は完全に仕切られており、近隣のテーブルの様子を伺うことが出来なくなっていた。店のキレイさから見るに、ウイルスのこともあって完全に改装したのだろう。
ぼくたちは店員に導かれるままにテーブル席についた。店員は里村さんの近くに寄ってもあまり可笑しな表情はしなかった。
それでわかった気がした。彼女はもしかしたら自分の体臭に気づいていて、それがあまりめだたなくなるような強烈な何かを提供している店に入れば、自分のにおいも目立たなくなると考えているのではないか。だとしたら……。
テーブル席に通されて、ぼくは彼女と軽く注文について話し合い、それからスマホを手に取った。メッセージアプリで宗方さんとのトーク画面を開き、メッセージを打ち始める。
内容は里村さんについてだった。無事に来たこと。来たはいいが、何処となく憔悴していること。そして、風呂に入っていないようなニオイがすること。内容を考えつつも、あまり里村さんからスマホをいじっている時間を意識させないためにも可能な限りさっさと打った。
メッセージを打ち終えると、スマホは自分の尻ポケットにしまって彼女と会話をした。が、何か隠し事をしているように、彼女は具体的な話をしなかった。間違っても友人同士の会話ではない。かといって、関係が終わった同士、終わり掛けた同士の会話という感じもない。
と、宗方さんからのメッセージとともに注文していたおまかせの肉のセットが届いた。
「じゃあ、こっちで焼いちゃうね」
そういって彼女は肉を焼き出す。ぼくの意思も確認せずに。正直どうでもよかったが、何かを急いでいるように見えて不思議だった。
宗方さんからのメッセージを確認した。
「女性に対して体臭がどうのっていうのは良くないですよ。でも、何か変ですね。疲れてるにしても、そんなことあるのかな。人と会うっていうのにお風呂に入らないっていうのも考えにくいし。わたし、今日は夜暇なんで、また何かあったら連絡ください。力になります!」
そのメッセージに返信しようと画面をタップし始めた時、不意に網の上の肉が見えた。焼け具合はいい感じ。だが、ぼくはもっと別のことに目を奪われていた。
というのは、肉の配置だ。縦や横、不規則に置かれたように見えるが、それを全体で見たら、その意味は明らかだった。
『HELP』
確かに肉の配置によってそう書かれていた。
【続く】
だが、その盛り上がりとは遠く離れた位置にいたといっても可笑しくない状態にぼくはいた。ぼくは違和感を抱いていた。今、ぼくのとなりを歩いている里村さんに。
里村さんとの距離感はいつも以上に遠い。これは人ごみがどうとかは関係ないように見える。というか、こころなしか彼女のほうからぼくに近づくことを避けている。そんな印象。
ぼくもそれに対して距離を詰めて行こうとはしなかった。別に危機感も感じなかった。だがひとつだけ、明らかに可笑しな点があった。
変ににおうのだ。
何というか、明らかに風呂に入っていないような、汗と埃が入り交じったような悪臭が漂ってくる。それも、あまりいいたくはないが、里村さんから。
病院は当たり前だが、病人を扱う場所だ。つまり、その環境への気の使い方はかなりデリケートなモノとなるのはいうまでもない。ましてや、看護士が風呂に何日も入っていないような悪臭を放ち続けているなど、普通の職場以上に問題になるのはいうまでもない。
つまり、里村さんが今現在、仕事をしているとは思えないということだ。
更にいえば、初めて会った時から彼女には清潔感があった。そんな彼女がそんな悪臭を振り撒いているなど考えにくかったし、仮にそうだとしても何故そうしているのかなんて見当もつかなかった。
それに何より、女性に対して体臭のことを指摘するようなことは出来なかった。
「ねぇ、何処に行こうか?」
里村さんがいう。その声にはまったく張りがない。頬は痩けているし、笑顔もくたびれている。ぼくは情けないほどに狼狽えてしまった。彼女の視線は不思議そう。ぼくは何とかしてそれを誤魔化そうとした。が、やはり何といっていいかわからない。
「特に思いつかないなら、ちょっと行きたいところがあるんだけど、いいかな……?」
「え!?」意外だった。「う、うん……」
「そう、ありがとう。じゃあ、ついてきて」
ぼくは彼女に導かれるままについて行くことにした。そうすることで気づいた。
通行人が里村さんを避けるようにして歩いているということを。
通行人は明らかに不快な表情を浮かべている。視線はいうまでもなく里村さんに向いている。中にはこころない高校生やヤンキーが里村さんに対して「くっせ」と捨てゼリフを吐く。
だが、里村さんはそれに対して何も感じていないように気にも留めないで歩き続けている。ぼくはそんな残酷なことをいう連中から彼女を守らなければ、となるより、彼女の反応が気になって何もいえなくなってしまった。
と、突然に里村さんは立ち止まってぼくのほうを見る。その表情からは、やはり気力は感じられなかった。力ないにも関わらず、精一杯、空元気な笑みを浮かべる里村さん。
「ここなんか、どうかな?」
彼女の提案した店は、比較的効果な焼き肉店だった。別に値段がどうこうとかではなく、決めてもらった立場としてこんなことはいいづらいが、ここ最近、よく焼き肉を食べている気がして、どうにも気が進まなかった。
「決めてもらって申しワケないけど、ここは……」
「お願い! ここにして!」
彼女の声が強烈に響く。周りにいた人たちの中に、その声に気づいて里村さんのほうを見た者が何人かいた。ヒソヒソと話し出すヤツも。ぼくは彼女の圧と、彼女へ向けられる好奇の目を避けるために、彼女を伴って店に入った。
店内はキレイに整っていた。テーブル席は完全に仕切られており、近隣のテーブルの様子を伺うことが出来なくなっていた。店のキレイさから見るに、ウイルスのこともあって完全に改装したのだろう。
ぼくたちは店員に導かれるままにテーブル席についた。店員は里村さんの近くに寄ってもあまり可笑しな表情はしなかった。
それでわかった気がした。彼女はもしかしたら自分の体臭に気づいていて、それがあまりめだたなくなるような強烈な何かを提供している店に入れば、自分のにおいも目立たなくなると考えているのではないか。だとしたら……。
テーブル席に通されて、ぼくは彼女と軽く注文について話し合い、それからスマホを手に取った。メッセージアプリで宗方さんとのトーク画面を開き、メッセージを打ち始める。
内容は里村さんについてだった。無事に来たこと。来たはいいが、何処となく憔悴していること。そして、風呂に入っていないようなニオイがすること。内容を考えつつも、あまり里村さんからスマホをいじっている時間を意識させないためにも可能な限りさっさと打った。
メッセージを打ち終えると、スマホは自分の尻ポケットにしまって彼女と会話をした。が、何か隠し事をしているように、彼女は具体的な話をしなかった。間違っても友人同士の会話ではない。かといって、関係が終わった同士、終わり掛けた同士の会話という感じもない。
と、宗方さんからのメッセージとともに注文していたおまかせの肉のセットが届いた。
「じゃあ、こっちで焼いちゃうね」
そういって彼女は肉を焼き出す。ぼくの意思も確認せずに。正直どうでもよかったが、何かを急いでいるように見えて不思議だった。
宗方さんからのメッセージを確認した。
「女性に対して体臭がどうのっていうのは良くないですよ。でも、何か変ですね。疲れてるにしても、そんなことあるのかな。人と会うっていうのにお風呂に入らないっていうのも考えにくいし。わたし、今日は夜暇なんで、また何かあったら連絡ください。力になります!」
そのメッセージに返信しようと画面をタップし始めた時、不意に網の上の肉が見えた。焼け具合はいい感じ。だが、ぼくはもっと別のことに目を奪われていた。
というのは、肉の配置だ。縦や横、不規則に置かれたように見えるが、それを全体で見たら、その意味は明らかだった。
『HELP』
確かに肉の配置によってそう書かれていた。
【続く】