【藪医者放浪記~参拾死~】
文字数 1,143文字
名案というのは、それが良き方へと人を導いて初めて名案となる。
だから、仮にその場において名案だとされても、失敗したり何の効果も得られなかったりする場合は名案としては認められないのが普通のことだ。
それはさておき、である。命からがら九十九街道から逃げ延びてきた藤十郎は客間にて松平天馬と顔を合わせていた。
流石の修羅場の後ということもあって、藤十郎と寅三郎のお召し物は酷く汚れ、ボロボロになっていた。寅三郎はキズの手当てと着替えで別室へ。藤十郎は着替えを終えて客間にて座り、しきりに足を気にしていた。寅三郎と違って足腰が弱く、筋肉が衰えているということが見て取れるほどに痙攣している。
松平天馬は自分の娘が話せなくなっているということはもちろんであるが、今目の前にいる水戸武田家のご子息がボロボロになっている様を心配せざるを得なかったのはいうまでもない。
だが、幸い藤十郎にはこれといったケガはなかった。寅三郎は負傷してはいたがキズは浅く致命的ではまったくなかったのは不幸中の幸いだっただろう。
「この度はこのような格好で申しワケありませぬ」
藤十郎が頭を下げると、天馬は慌てた様子で否定した。
「そんなことはありません! 従者の方々はお気の毒ではありましたが、藤十郎様に何事もなかったことは良かったと思います」
「......それもそうかもしれませぬな」
天馬は眉間をピクリと動かしつつ、あからさまな愛想笑いを浮かべた。
「......にしても、わたしの遣いの者が遅れてしまったことはまことに申しワケなかったことで」
「いえ。しかし、あそこはどうなっておられるのです。将軍家御用達の地でありながらあのようなモノたちがはびこっているとは、あまりいいモノではありませんね」松平天馬が申しワケなさそうにしているのはお構いなしに藤十郎は続ける。「水戸ではあのような場所や者たちはいないのですが。川越という地はなかなかに荒れた場所のようですね」
天馬は愛想笑いを浮かべ続ける。もはや返すことばもないのだろう。と、そこで唐突に戸が開いた。と、そこにはお羊が三つ指を立てて座っていた。
「失礼いたします。牛野様の処置のほうが済みました」
そういってお羊が脇へ退くと、寅三郎が現れた。着物は一新され、襟元からはキズを覆う白いさらしが覗けていた。寅三郎は一礼し断りを入れると部屋へと入ってき、藤十郎の横に座って礼をした。
「この度はこのような持て成しをお受けすることとなってしまい、申しワケがございません」
「いえいえ、頭をお上げ下さい!」
天馬は慌てていった。それに合わせたように藤十郎がいう。
「そうだぞ。顔を上げなさい。さて、それよりも早速ですが、お咲の君にお会いしたいのですがーー」
天馬の顔が歪んだ。
【続く】
だから、仮にその場において名案だとされても、失敗したり何の効果も得られなかったりする場合は名案としては認められないのが普通のことだ。
それはさておき、である。命からがら九十九街道から逃げ延びてきた藤十郎は客間にて松平天馬と顔を合わせていた。
流石の修羅場の後ということもあって、藤十郎と寅三郎のお召し物は酷く汚れ、ボロボロになっていた。寅三郎はキズの手当てと着替えで別室へ。藤十郎は着替えを終えて客間にて座り、しきりに足を気にしていた。寅三郎と違って足腰が弱く、筋肉が衰えているということが見て取れるほどに痙攣している。
松平天馬は自分の娘が話せなくなっているということはもちろんであるが、今目の前にいる水戸武田家のご子息がボロボロになっている様を心配せざるを得なかったのはいうまでもない。
だが、幸い藤十郎にはこれといったケガはなかった。寅三郎は負傷してはいたがキズは浅く致命的ではまったくなかったのは不幸中の幸いだっただろう。
「この度はこのような格好で申しワケありませぬ」
藤十郎が頭を下げると、天馬は慌てた様子で否定した。
「そんなことはありません! 従者の方々はお気の毒ではありましたが、藤十郎様に何事もなかったことは良かったと思います」
「......それもそうかもしれませぬな」
天馬は眉間をピクリと動かしつつ、あからさまな愛想笑いを浮かべた。
「......にしても、わたしの遣いの者が遅れてしまったことはまことに申しワケなかったことで」
「いえ。しかし、あそこはどうなっておられるのです。将軍家御用達の地でありながらあのようなモノたちがはびこっているとは、あまりいいモノではありませんね」松平天馬が申しワケなさそうにしているのはお構いなしに藤十郎は続ける。「水戸ではあのような場所や者たちはいないのですが。川越という地はなかなかに荒れた場所のようですね」
天馬は愛想笑いを浮かべ続ける。もはや返すことばもないのだろう。と、そこで唐突に戸が開いた。と、そこにはお羊が三つ指を立てて座っていた。
「失礼いたします。牛野様の処置のほうが済みました」
そういってお羊が脇へ退くと、寅三郎が現れた。着物は一新され、襟元からはキズを覆う白いさらしが覗けていた。寅三郎は一礼し断りを入れると部屋へと入ってき、藤十郎の横に座って礼をした。
「この度はこのような持て成しをお受けすることとなってしまい、申しワケがございません」
「いえいえ、頭をお上げ下さい!」
天馬は慌てていった。それに合わせたように藤十郎がいう。
「そうだぞ。顔を上げなさい。さて、それよりも早速ですが、お咲の君にお会いしたいのですがーー」
天馬の顔が歪んだ。
【続く】