【マキャベリスト~疾走~】
文字数 2,189文字
「ごめん、連絡できなくて! どうしたの?」
数時間前、弓永がストリートを駆けずり回っていると、突然電話が掛かってきた。その電話の主の名前を見た弓永は、息を飲んで電話に出、聴こえて来たそのあっけらかんとした声に呆然とした。
「いや、どうしたって、お前、今何してんだよ?」
「何って、家でゆっくりしてるけど」
「はぁ?」弓永の声が高く跳ね上がった。「じゃあ、どうして連絡取れなかったんだよ?」
「どうしてって、今日、健康診断だったしね。事務所にもいってなければ、スマホもずっと電源切ってたんだよね」
「健康診断? じゃあ、別に何ともないのか?」
「まぁ、もしかしたら肝機能が可笑しくなってるかも。ここ最近飲み過ぎてたから。もしかして、心配してくれたの?」
「あ、いや……」弓永は困り果てたようだった。「それもそうだが、拘束されたりはしてないんだな?」
「拘束? 何いってるの? まぁ、検査のことを拘束っていうならそうなのかもしれないけど。何、いったい何があったの?」
弓永はこれまでの経緯をすべて話した。電話相手ははじめは穏やかに話を聴いていたが、ある瞬間になると、「はぁ?」と声を上げた。
「どういうこと? あたし、別に監禁されるような事情に首突っ込んでないんだけど」
「それをいうなら、二年前だってそうだろ」
二年前、拉致、監禁された挙げ句、殺人の濡れ衣を着せられ、かつての上司だった高城警部を殺されたという一連の事件の切っ掛けも、元はといえば、取るに足らない浮気調査だった。
況してや、電話の相手がその時、拉致、監禁され、今もその脅威が迫っているかもしれないとなると、弓永も戸惑いを隠せなかった。
「二年前?……そうだったね。でも、あれは相手が相手だったから。アレからは相手の素性もしっかり調べて、リスクは可能な限り避けてはいるけどね。にしても、アナタに電話を寄越したのが寄りによって佐野だったとはね。弓永くん、アナタ、利用されてるかもよ?」
そんなことは弓永も百も承知していただろう。それよりも今何が起きているか、だ。弓永は、その場に立ち竦み、考えた。
肩を叩かれた。
振り返った。
頭部に衝撃ーーブラックアウト。
目が覚めた。車の中。スポーツカーモデルではあるが、内蔵しているのは日本製のエンジン。落ち着いた音に冷ややかな向かい風が弓永の顔を思い切り叩いていた。
「気がついた?」佐野がいった。
「寝てたのか」弓永は目を擦った。「夢じゃなかったのか」
「何が?」
「いや、日谷塾の放火を捜査してる最中に怪しいヤツがいて、走って追い掛けたら武井から電話があって、そしたら頭をーー」
「殴られて監禁、ボンデージを着たオカマに拷問されていた。かと思いきや、わたしが現れた。アナタはわたしの車に乗ると疲れからかすぐに寝てしまった。こんなところ?」
「……あぁ」弓永は後頭部を抑えた。「思い出したらまた痛み出してきた」
「ちゃんと痛みは感じるんだ。殴られて随分と楽しそうにしてたみたいだけど」
「アドレナリンが出て可笑しくなってた」
「本当にそれだけなの?」
「それより、説明して貰おうか。武井は健康診断で留守だった。オマケに危ない案件になんか首を突っ込んでない。それにーー」
突然、サイレンの音が聴こえてきた。
サイドミラーに反射した弓永の目が大きく見開かれた。ミラーの先には数台のパトカー。
「お前、何したんだ! 追って来てるぞ!」
「公道を気持ち良く走ってただけだよ」
「何キロで走ってたんだ」メーターは100キロを差していた。「法定速度って知ってるか? これじゃ、捕まえて下さいっていってるようなモンだ!」
「なら何とかしてよ、警官でしょ?」
「バカ垂れ! 殺人犯と同乗してる警官なんて、誰が信用するってんだ!」
「じゃあ、やるしかないね」
佐野は思い切りアクセルを踏み込んだ。空回りするタイヤ、黒いアスファルトに真っ黒なタイヤ痕が残った。佐野の車がドリフトしながらストリートを爆走した。弓永の身体がシートの背もたれに押し付けられた。
「何するつもりだ!」
「逃げるの! 鬼ごっこは鬼に捕まらなければ勝ちなんだからね!」
佐野がハンドルを右に切った。車体の後部が大きく振られた。
「鬼ごっこだぁ? お前、どうかーー」
「全部ウソなんだぁ!」
「あ!?」
左にハンドルが切られる。
「アイが危ないってのもねぇ!」
ドリフトしながら車は爆走する。
「騙したのか!?」
「じゃないと、動いてくれないでしょ!?」
前方からパトカーが突撃して来た。
「来てるぞ!」
「わかってる!」
前後を塞ぐパトカー。万事休す。
勢い良くブレーキが踏まれた。右に切られるハンドルーー反対へ方向転換。
「わたしには誰も追いつけないよ! 例えアナタでもね!」
佐野はアクセルを踏み込んだ。
タイヤがアスファルトを焼いた。
走り出した。
「いいこと教えてあげる! アナタとの電話が途切れて、アイがアナタを探し始めた! 警察の手を借りてね! これじゃ、どっちが行方不明かわからないね!」
佐野は高笑いした。
「ついてけねぇな」弓永は吐き捨てた。「それより、無事に抜けられるんだろうな!?」
「オフ・コース! ダーリン!」
爆走する車は、赤く染まった白と黒の大群に向かって突っ込んでいった。
【続く】
数時間前、弓永がストリートを駆けずり回っていると、突然電話が掛かってきた。その電話の主の名前を見た弓永は、息を飲んで電話に出、聴こえて来たそのあっけらかんとした声に呆然とした。
「いや、どうしたって、お前、今何してんだよ?」
「何って、家でゆっくりしてるけど」
「はぁ?」弓永の声が高く跳ね上がった。「じゃあ、どうして連絡取れなかったんだよ?」
「どうしてって、今日、健康診断だったしね。事務所にもいってなければ、スマホもずっと電源切ってたんだよね」
「健康診断? じゃあ、別に何ともないのか?」
「まぁ、もしかしたら肝機能が可笑しくなってるかも。ここ最近飲み過ぎてたから。もしかして、心配してくれたの?」
「あ、いや……」弓永は困り果てたようだった。「それもそうだが、拘束されたりはしてないんだな?」
「拘束? 何いってるの? まぁ、検査のことを拘束っていうならそうなのかもしれないけど。何、いったい何があったの?」
弓永はこれまでの経緯をすべて話した。電話相手ははじめは穏やかに話を聴いていたが、ある瞬間になると、「はぁ?」と声を上げた。
「どういうこと? あたし、別に監禁されるような事情に首突っ込んでないんだけど」
「それをいうなら、二年前だってそうだろ」
二年前、拉致、監禁された挙げ句、殺人の濡れ衣を着せられ、かつての上司だった高城警部を殺されたという一連の事件の切っ掛けも、元はといえば、取るに足らない浮気調査だった。
況してや、電話の相手がその時、拉致、監禁され、今もその脅威が迫っているかもしれないとなると、弓永も戸惑いを隠せなかった。
「二年前?……そうだったね。でも、あれは相手が相手だったから。アレからは相手の素性もしっかり調べて、リスクは可能な限り避けてはいるけどね。にしても、アナタに電話を寄越したのが寄りによって佐野だったとはね。弓永くん、アナタ、利用されてるかもよ?」
そんなことは弓永も百も承知していただろう。それよりも今何が起きているか、だ。弓永は、その場に立ち竦み、考えた。
肩を叩かれた。
振り返った。
頭部に衝撃ーーブラックアウト。
目が覚めた。車の中。スポーツカーモデルではあるが、内蔵しているのは日本製のエンジン。落ち着いた音に冷ややかな向かい風が弓永の顔を思い切り叩いていた。
「気がついた?」佐野がいった。
「寝てたのか」弓永は目を擦った。「夢じゃなかったのか」
「何が?」
「いや、日谷塾の放火を捜査してる最中に怪しいヤツがいて、走って追い掛けたら武井から電話があって、そしたら頭をーー」
「殴られて監禁、ボンデージを着たオカマに拷問されていた。かと思いきや、わたしが現れた。アナタはわたしの車に乗ると疲れからかすぐに寝てしまった。こんなところ?」
「……あぁ」弓永は後頭部を抑えた。「思い出したらまた痛み出してきた」
「ちゃんと痛みは感じるんだ。殴られて随分と楽しそうにしてたみたいだけど」
「アドレナリンが出て可笑しくなってた」
「本当にそれだけなの?」
「それより、説明して貰おうか。武井は健康診断で留守だった。オマケに危ない案件になんか首を突っ込んでない。それにーー」
突然、サイレンの音が聴こえてきた。
サイドミラーに反射した弓永の目が大きく見開かれた。ミラーの先には数台のパトカー。
「お前、何したんだ! 追って来てるぞ!」
「公道を気持ち良く走ってただけだよ」
「何キロで走ってたんだ」メーターは100キロを差していた。「法定速度って知ってるか? これじゃ、捕まえて下さいっていってるようなモンだ!」
「なら何とかしてよ、警官でしょ?」
「バカ垂れ! 殺人犯と同乗してる警官なんて、誰が信用するってんだ!」
「じゃあ、やるしかないね」
佐野は思い切りアクセルを踏み込んだ。空回りするタイヤ、黒いアスファルトに真っ黒なタイヤ痕が残った。佐野の車がドリフトしながらストリートを爆走した。弓永の身体がシートの背もたれに押し付けられた。
「何するつもりだ!」
「逃げるの! 鬼ごっこは鬼に捕まらなければ勝ちなんだからね!」
佐野がハンドルを右に切った。車体の後部が大きく振られた。
「鬼ごっこだぁ? お前、どうかーー」
「全部ウソなんだぁ!」
「あ!?」
左にハンドルが切られる。
「アイが危ないってのもねぇ!」
ドリフトしながら車は爆走する。
「騙したのか!?」
「じゃないと、動いてくれないでしょ!?」
前方からパトカーが突撃して来た。
「来てるぞ!」
「わかってる!」
前後を塞ぐパトカー。万事休す。
勢い良くブレーキが踏まれた。右に切られるハンドルーー反対へ方向転換。
「わたしには誰も追いつけないよ! 例えアナタでもね!」
佐野はアクセルを踏み込んだ。
タイヤがアスファルトを焼いた。
走り出した。
「いいこと教えてあげる! アナタとの電話が途切れて、アイがアナタを探し始めた! 警察の手を借りてね! これじゃ、どっちが行方不明かわからないね!」
佐野は高笑いした。
「ついてけねぇな」弓永は吐き捨てた。「それより、無事に抜けられるんだろうな!?」
「オフ・コース! ダーリン!」
爆走する車は、赤く染まった白と黒の大群に向かって突っ込んでいった。
【続く】