【明日、白夜になる前に~参拾弐~】
文字数 2,365文字
ノスタルジアーー所謂『郷愁』のことである。
まぁ、今のぼくとしては、実家に住んでいるワケだから、そんなモノは微塵もないーーといっても大袈裟ではないのだけど、とはいえ、懐かしいモノや場所を目の当たりにすれば、そういった類いのモノも込み上げて来る。
子供の時はとてつもなく高く感じた塀も、大人になった今ではそこまでの高さは感じられない。
ただ、それはぼくの場合であって、彼女がどう思っているかはわからない。確かに小学生の時よりは彼女も背は伸びたが、とはいえ、その差は当時と比べてそこまででもない。
「懐かしいね」晴香さんはいう。
ぼくは曖昧に「うん」と頷きながらも、内心では結構ノスタルジックな気持ちになっていた。それもそうだろう。何故なら、ここはーー
ぼくと晴香さん、そして直人が通っていた小学校なのだから。
といっても、格子状の校門の前から校舎を覗いているだけではあるが。
ちなみに、彼女の息子は家で眠っている。車内での眠りが深いこともあって、家のベッドに潜らせて、そのままふたりでここまで来た、というワケだ。正直、子供をひとりで家に置いて、というのは気が進まなかったが、彼女がどうしても、というので、ぼくも断れなかった。
とはいえ、こうやって実際に通っていた小学校を間近に眺めてみると流石に懐かしかった。ここに来るのは何年ぶりになるのだろうか。
あの当時で土埃にまみれていた外壁は、十年以上の歳月を経て、さらにその汚れを濃くしていたにも関わらず、その如何にも頑丈そうな佇まいを崩すことはないようだった。
「でも、何で小学校?」ぼくはシンプルな疑問を口にする。
「だって、ここから始まったんだもん」
晴香さんのいっている意味がわからなかったが、すぐにそれが彼女と直人の仲をいい表しているのだろうと理解する。
「あぁ、直人とのことだね」
ぼくの確信めいたいい方に、彼女は頷く。
「何か、懐かしいなと思って。思えば、斎藤くんに直人との橋渡しを頼んだんだよね」
彼女はあどけないような笑顔でいうが、ぼくは苦い笑みを浮かべつつ内心では複雑な想いを抱いていた。
「そう、だね……」
「ねぇ、中に入ってみない?」
ぼくは自分の耳を疑い、一度彼女に聞き返す。だが、彼女は同じことばを繰り返す。流石にそれはどうか、と思った。いくら母校とはいえ、それでは不法侵入もいいところ。田舎の学校だし、警備の人間なんていないだろうけど、とはいえどうにも気が進まない。
だが、ぼくがもたもた考え込んでいる内に、彼女は門を堂々と開け放って中へ入ってしまった。ぼくは思わずギョッとしたが、このままではマズイと思い、彼女の後を追う。
「流石に入るのは不味くない?」
ぼくがそういっても、彼女は、
「大丈夫、大丈夫」
と笑顔でいうばかり。何が大丈夫なのかわからないが、このまま彼女を放っておくワケにもいかないし、ぼくは彼女の保護者にでもなった気分で彼女に同行することにした。
思えば、昔から晴香さんは奔放な性格だった。直人も器の大きな男ではあったが、とはいえ彼女の奔放さには手を焼くことも少なくはなかったといっていたのを思い出す。そもそも、子供を家に置いてここまで来るというのも、かなりキワドイ話ではあるし。
ぼくは彼女に付いて回る。背徳感があるとはいえ、懐かしの校舎を見上げていると、少年時代に学校に埋めてきたあどけない少年のこころに戻れたような気がした。
頭の中では、校舎の外観から中の構造を思い起こし、ここが理科室で、ここが音楽室、で、ここが五年生の時の教室だな、と箱を開ければそこには麗しい思い出が溢れ返って来る。
ぼくは夢見心地にでもなったようにポーッとしてしまった。イケナイとはわかっていても、懐かしの光景は人を童心に還らせる。
「ねぇ、中学校のほうも行ってみようか」
彼女の提案には驚かざるを得なかった。ぼくと彼女が通っていた中学校は、小学校と隣接しており、ぼくが小学校卒業前になって、互いの交流を深めよう、みたいな精神で一部のフェンスが取り払われ、小学校と中学校の間に小さな橋が掛けられたのだ。とはいえ、用もなく渡れば先生に怒られるという、何のための橋かわからないような代物ではあったけど。
ぼくは困惑したが、そうこうしている内に彼女はズカズカと橋を渡って行ってしまい、ぼくも彼女の後へと付いていく。
中学校は小学校と違って随分とあっさりした印象だ。というのも、思い入れのある遊具のようなモノはないし、一見してあるのは簡易的なバスケットゴールとサッカーゴール、外部活の小さな部室にそれなりに広い校庭とまぁまぁ大きな校舎だけだからだ。
とはいえ、自分の思春期を過ごした校舎だ。見た目はショボくれていても、その佇まいからは、まるで自分の育ての親のような風格が漂っているような気がしてならなかった。
「うわぁ、懐かしいなぁ……」
ぼくは思わずそう口走る。それを聞いた彼女は、
「うん、懐かしいよね……」
とうつむき加減にいう。感慨深さにより語彙力を失ったぼくは、「うん、懐かしい」とおうむ返しにいうしかなかった。
彼女に付いて校内を回っていると、彼女はサッカーゴールのすぐ傍で立ち止まる。
「どうしたの?」
ぼくがそう訊ねると、彼女はそのサッカーゴールの傍らで肩を震わしたままうつむく。かと思いきや星空を仰いで、
「ここで告白したんだ、直人に」
突然のことに、ぼくはどう反応していいかわからなくなった。告白のシチュエーションなんて直人には訊かなかったし、直人もぼくの心中を察してかいわなかったから。
「へぇ、そうだったんだ」
ぼくはあくまで平静を装っていう。が、その取り繕った平常心もすぐにほつれ、音を立てて崩れ落ちそうになる。
彼女は振り返ったーー目にいっぱいの涙を貯めて。
【続く】
まぁ、今のぼくとしては、実家に住んでいるワケだから、そんなモノは微塵もないーーといっても大袈裟ではないのだけど、とはいえ、懐かしいモノや場所を目の当たりにすれば、そういった類いのモノも込み上げて来る。
子供の時はとてつもなく高く感じた塀も、大人になった今ではそこまでの高さは感じられない。
ただ、それはぼくの場合であって、彼女がどう思っているかはわからない。確かに小学生の時よりは彼女も背は伸びたが、とはいえ、その差は当時と比べてそこまででもない。
「懐かしいね」晴香さんはいう。
ぼくは曖昧に「うん」と頷きながらも、内心では結構ノスタルジックな気持ちになっていた。それもそうだろう。何故なら、ここはーー
ぼくと晴香さん、そして直人が通っていた小学校なのだから。
といっても、格子状の校門の前から校舎を覗いているだけではあるが。
ちなみに、彼女の息子は家で眠っている。車内での眠りが深いこともあって、家のベッドに潜らせて、そのままふたりでここまで来た、というワケだ。正直、子供をひとりで家に置いて、というのは気が進まなかったが、彼女がどうしても、というので、ぼくも断れなかった。
とはいえ、こうやって実際に通っていた小学校を間近に眺めてみると流石に懐かしかった。ここに来るのは何年ぶりになるのだろうか。
あの当時で土埃にまみれていた外壁は、十年以上の歳月を経て、さらにその汚れを濃くしていたにも関わらず、その如何にも頑丈そうな佇まいを崩すことはないようだった。
「でも、何で小学校?」ぼくはシンプルな疑問を口にする。
「だって、ここから始まったんだもん」
晴香さんのいっている意味がわからなかったが、すぐにそれが彼女と直人の仲をいい表しているのだろうと理解する。
「あぁ、直人とのことだね」
ぼくの確信めいたいい方に、彼女は頷く。
「何か、懐かしいなと思って。思えば、斎藤くんに直人との橋渡しを頼んだんだよね」
彼女はあどけないような笑顔でいうが、ぼくは苦い笑みを浮かべつつ内心では複雑な想いを抱いていた。
「そう、だね……」
「ねぇ、中に入ってみない?」
ぼくは自分の耳を疑い、一度彼女に聞き返す。だが、彼女は同じことばを繰り返す。流石にそれはどうか、と思った。いくら母校とはいえ、それでは不法侵入もいいところ。田舎の学校だし、警備の人間なんていないだろうけど、とはいえどうにも気が進まない。
だが、ぼくがもたもた考え込んでいる内に、彼女は門を堂々と開け放って中へ入ってしまった。ぼくは思わずギョッとしたが、このままではマズイと思い、彼女の後を追う。
「流石に入るのは不味くない?」
ぼくがそういっても、彼女は、
「大丈夫、大丈夫」
と笑顔でいうばかり。何が大丈夫なのかわからないが、このまま彼女を放っておくワケにもいかないし、ぼくは彼女の保護者にでもなった気分で彼女に同行することにした。
思えば、昔から晴香さんは奔放な性格だった。直人も器の大きな男ではあったが、とはいえ彼女の奔放さには手を焼くことも少なくはなかったといっていたのを思い出す。そもそも、子供を家に置いてここまで来るというのも、かなりキワドイ話ではあるし。
ぼくは彼女に付いて回る。背徳感があるとはいえ、懐かしの校舎を見上げていると、少年時代に学校に埋めてきたあどけない少年のこころに戻れたような気がした。
頭の中では、校舎の外観から中の構造を思い起こし、ここが理科室で、ここが音楽室、で、ここが五年生の時の教室だな、と箱を開ければそこには麗しい思い出が溢れ返って来る。
ぼくは夢見心地にでもなったようにポーッとしてしまった。イケナイとはわかっていても、懐かしの光景は人を童心に還らせる。
「ねぇ、中学校のほうも行ってみようか」
彼女の提案には驚かざるを得なかった。ぼくと彼女が通っていた中学校は、小学校と隣接しており、ぼくが小学校卒業前になって、互いの交流を深めよう、みたいな精神で一部のフェンスが取り払われ、小学校と中学校の間に小さな橋が掛けられたのだ。とはいえ、用もなく渡れば先生に怒られるという、何のための橋かわからないような代物ではあったけど。
ぼくは困惑したが、そうこうしている内に彼女はズカズカと橋を渡って行ってしまい、ぼくも彼女の後へと付いていく。
中学校は小学校と違って随分とあっさりした印象だ。というのも、思い入れのある遊具のようなモノはないし、一見してあるのは簡易的なバスケットゴールとサッカーゴール、外部活の小さな部室にそれなりに広い校庭とまぁまぁ大きな校舎だけだからだ。
とはいえ、自分の思春期を過ごした校舎だ。見た目はショボくれていても、その佇まいからは、まるで自分の育ての親のような風格が漂っているような気がしてならなかった。
「うわぁ、懐かしいなぁ……」
ぼくは思わずそう口走る。それを聞いた彼女は、
「うん、懐かしいよね……」
とうつむき加減にいう。感慨深さにより語彙力を失ったぼくは、「うん、懐かしい」とおうむ返しにいうしかなかった。
彼女に付いて校内を回っていると、彼女はサッカーゴールのすぐ傍で立ち止まる。
「どうしたの?」
ぼくがそう訊ねると、彼女はそのサッカーゴールの傍らで肩を震わしたままうつむく。かと思いきや星空を仰いで、
「ここで告白したんだ、直人に」
突然のことに、ぼくはどう反応していいかわからなくなった。告白のシチュエーションなんて直人には訊かなかったし、直人もぼくの心中を察してかいわなかったから。
「へぇ、そうだったんだ」
ぼくはあくまで平静を装っていう。が、その取り繕った平常心もすぐにほつれ、音を立てて崩れ落ちそうになる。
彼女は振り返ったーー目にいっぱいの涙を貯めて。
【続く】