【自分より神、神よりも他人】

文字数 1,130文字

 自分のことは自分が一番よくわかっているーーそれはある種でいえば真理だろう。

 いってしまえば、自分の体調なんてのは他人にはわからない。わかるはずがない。何だかうっすらと気持ち悪い。頭が痛いなどといっても、他人からすれば、そんなのはわからないし、その程度でどうこういうなんて根性ないと思うのも普通なことだと思う。事実、おれもパニックが酷かった時期なんてのは、他人との認識のズレに随分と困惑したモノだった。

 ただ、逆に自分のことは自分が一番わかっているというのは、自分の殻に閉じ籠り過ぎている時は、それこそ自分自身を一番殺しているのも自分自身だということだ。

 そう、回りの評価なんてモノは、自分自身ではわからない。人が正直なことばを口にしている保証もないし、自分への評価が自分の元へやってくることもそうそうあることではない。大抵は「陰口」という形で完結する。

 こんなことをいうのは、この前の芝居のことを知人がブログにて書いて下さったからだ。

 正直、おれは自分の役に対して計算のようなことはせず、ほぼフィーリング。その時々の意識に従って芝居をしているだけなのだけど、それもオーディエンスから観ると、また違った見え方があって、その役の芝居内の役割というか、そこにいる理由をしっかりと分析して評して下さっていたりする。

 自分と他者の意識、認識の解離。これは本当に面白いことだと思った。

 特に人前に立つ自分のような人間にとっては、この解離の差を少しずつ埋めて行けるか、これが大切なのだと思う。

 演じたおれ何かよりも、観ていたオーディエンスのほうがずっと役に対して良く見ているし、ずっと正直だと思う。

 だからこそ、オーディエンスには正直でいなければならない。過度な装飾や振る舞いはいらないのだ。それをしたがるのは、自分の芝居に自身がない証拠。自身があるなら下手な味付けなどせずに堂々としていればいいのだと思う。

 おれももっと堂々としなければならない。アホみたいな味付けなんかせずに、もっと正直に、威風堂々と。客観的なおれを良く知っているのは、おれでなくて周りなのだから。

 でも、これって芝居とか関係なしに、普段の生活でもそういう風なことは起きているんだろうな、と思うのだ。

 別に誉められないから何だということでもないんだと思う。誉められないのではなくて、逆にいえば「可笑しなところ、ダメなところがない」ということなのだと思う。

 人間は誉められたい生き物だ。時には誉められないからといってネガティブになることもあると思う。でも、そんなことで一々ネガティブになる必要なんてないのだと思う。

 だって、見てくれている人は見てくれている。そういう人は必ず存在するのだから。

 アスタラ。
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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