【明日、白夜になる前に~参拾睦~】
文字数 2,357文字
人の気持ちがどうあろうと、時は無情にも過ぎて行く。
そこには如何なる事情や境遇なんて入る余地もなく、如何に自分が辛さや悲しさ、苦しさを背負っていようと、時はそんな感情ごと人をジェットコースターに乗せて進んで行くのだ。
出来ることならネガティブな気持ちなど捨て去って新たな時間を、新たな生活をエンジョイしたい。そうは思えども、マイナスな感情をそこら辺に捨てていくことは出来ない。
感情は人間にこそ与えられた機能のひとつであるし、何よりそれがどんなに消し去りたい『ゴミ』であっても、『ゴミ』をそこら辺に放置することはルールとして間違っている。
だからこそ、自分の感情には責任を持たなければならないと思うのだ。
「ほら、もっと食べなよ」小林さんがいう。
今日はストレートに帰ろうとしたのに、小林さんから突然のお誘いがあり、ぼくも特に帰ってやることもなかったので、小林さんに付き合うことにしたのだ。
久しぶりの焼き肉である。網の上でジューッと音を立てて焼ける肉の音が何ともジューシーだ。立ち上る白い煙は、換気用の大きなパイプに吸い込まれていく。
赤黒い焼き肉のタレに焼けた肉の脂が混じり、丸い大きな油分がタレの上で踊る。湯気を立てる白銀のご飯は、タレの色味が加わって風味を増し、更なる美味さを引き立てている。
目の前では糖尿まっしぐらの五十代のオッサンが、破傷風にならん勢いで白米とタレと脂身でギトギトの肉をかっこんでいる。
それだけならば、まだよかったのかもしれない。そう、それだけならばーー
困ったのは、小林さんのとなりに宗方さんが、ぼくのとなりには桃井カエデがいるということだ。
何だってこうなったか。話は少し前に遡る。
昼休憩を終え、宗方さんと共にオフィスに戻ったぼくは、自分のデスクにてコーヒーを飲んでいたのだ。そしたら、
「あれ、何処行ってたの?」
と背後からそう訊ねる声があった。振り向いてみると、そこには小林さんの姿。ぼくは、あ、どうもといいながら軽く会釈し、食堂にて昼食を済ませて来たと告げたのだ。
「なぁんだ。一緒に食べに行こうと思って探しちゃったよ」
ぼくは、すみませんと頭を下げつつ、
「ちょっと、先約がいまして……」
といいワケした。が、誰と、とはひとこともいっていない。そんな中、小林さんはぼくのデスクに身を近づけて、ヒソヒソ声で、
「じゃあ、よかったら夜久しぶりにどう?」
と訊いて来たのだ。ぼくは最初にいった通り特にやることもなかったので、この申し出を承諾することにしたのだ。
が、いざ仕事を終え、小林さんに話し掛けてみると、小林さんはーー
「あぁ、じゃあちょっと待ってて」
とぼくに待つよういったのだ。が、仕事をしている様子はまったくないどころか、いつ出発しても可笑しくないような状態。
「誰か待ってるんですか?」
「あぁ、うん、ちょっとね」
ちょっとね、というか誰かを待っているとしか思えない。かと思いきや、小林さんはスマホを取り出して二、三操作すると、今度はーー
「じゃあ、行こうか」
とひとりでにオフィスを出ていこうとする。人を待っていたのではないのか、と訊ねるも、小林さんは曖昧な調子で、
「あぁ、うん、いいのいいの」
とぼくに目も合わせずに歩を早めたのだ。小林さんが何かを隠しているのは、いわれずともわかった。が、ぼくはそれを口には出さずに、小林さんに続いて会社を出た。
小林さんについて会社を出ると、ぼくは小林さんに従って歩いた。道中の会話は取るに足らないモノ。隠し事を探ろうかとも思ったが、あまりしつこくしては、掛かった魚も口をちぎってでも逃げ出すだろう。
ぼくは無難な話題を共有しつつ、小林さんに導かれるままになった。そして、目的地の焼き肉屋に辿り着いた時、ぼくは思わず、え?と声を上げてしまったのだ。その理由は至極簡単。
宗方さんと桃井さんがいたからだ。
ぼくがオロオロしていると、小林さんはふたりに手を上げて会釈したのだ。
先に待っていたふたりの反応は、各々異なるモノだった。桃井さんは会釈する小林さんに会釈し返したのに対して、宗方さんはあからさまに驚いていた。その様子から考えて、多分、小林さんと桃井さんはグル。ふたりの目的はぼくと宗方さんの引き合わせ。
そう、ぼくは桃井さんと宗方さん、ふたりに引き合わされたのではないーー初めからターゲットは宗方さんただひとりだったのだ。
挨拶も軽く店に入って早速食事を始める。小林さんと桃井さんのふたりでリードしてメニューをバンバン注文してしまう。ぼくと宗方さんはただ導かれるままにドリンクとライスを頼んだだけだった。
会食が始まって三十分。とはいえ、ぼくは桃井さんとも宗方さんともまともに話すことは出来ず、焦げ掛けた肉をつつくことしか出来ない。
「どうしたの? あまり食べてないようだけど」
そんなことはない。まぁまぁ食べている。ただ、この場にてどうすればいいのかわからず、困惑するしかないだけだ。
「あぁ、いえ……」ぼくは立ち上がる。「ちょっとトイレに行ってきます」
そういってトイレのほうへ行こうとすると、桃井さんが鋭い目線をぼくに向けてきた。多分、何かいいたいことがあるのだろう。だが、ぼくにはその意味はわからない。
ぼくはそそくさ逃げるようにしてトイレへ。
ぼくはトイレの個室へこもり、これからどうするかスマホを弄りながら考える。だが、ろくな考えも浮かばず、ぼくはトイレを出る。
トイレを出ると、突然何かがぼくにぶつかる。
「痛ッ……!」
思わず声が出る。
「あ、ごめんなさいッ! 大丈夫ですか!?」
「あぁ、いえ……」
ぼくは目を疑う。何とそこにはーー
あの日ストリートで会った白い美女がいたのだ。
ぼくは完全に硬直した。
【続く】
そこには如何なる事情や境遇なんて入る余地もなく、如何に自分が辛さや悲しさ、苦しさを背負っていようと、時はそんな感情ごと人をジェットコースターに乗せて進んで行くのだ。
出来ることならネガティブな気持ちなど捨て去って新たな時間を、新たな生活をエンジョイしたい。そうは思えども、マイナスな感情をそこら辺に捨てていくことは出来ない。
感情は人間にこそ与えられた機能のひとつであるし、何よりそれがどんなに消し去りたい『ゴミ』であっても、『ゴミ』をそこら辺に放置することはルールとして間違っている。
だからこそ、自分の感情には責任を持たなければならないと思うのだ。
「ほら、もっと食べなよ」小林さんがいう。
今日はストレートに帰ろうとしたのに、小林さんから突然のお誘いがあり、ぼくも特に帰ってやることもなかったので、小林さんに付き合うことにしたのだ。
久しぶりの焼き肉である。網の上でジューッと音を立てて焼ける肉の音が何ともジューシーだ。立ち上る白い煙は、換気用の大きなパイプに吸い込まれていく。
赤黒い焼き肉のタレに焼けた肉の脂が混じり、丸い大きな油分がタレの上で踊る。湯気を立てる白銀のご飯は、タレの色味が加わって風味を増し、更なる美味さを引き立てている。
目の前では糖尿まっしぐらの五十代のオッサンが、破傷風にならん勢いで白米とタレと脂身でギトギトの肉をかっこんでいる。
それだけならば、まだよかったのかもしれない。そう、それだけならばーー
困ったのは、小林さんのとなりに宗方さんが、ぼくのとなりには桃井カエデがいるということだ。
何だってこうなったか。話は少し前に遡る。
昼休憩を終え、宗方さんと共にオフィスに戻ったぼくは、自分のデスクにてコーヒーを飲んでいたのだ。そしたら、
「あれ、何処行ってたの?」
と背後からそう訊ねる声があった。振り向いてみると、そこには小林さんの姿。ぼくは、あ、どうもといいながら軽く会釈し、食堂にて昼食を済ませて来たと告げたのだ。
「なぁんだ。一緒に食べに行こうと思って探しちゃったよ」
ぼくは、すみませんと頭を下げつつ、
「ちょっと、先約がいまして……」
といいワケした。が、誰と、とはひとこともいっていない。そんな中、小林さんはぼくのデスクに身を近づけて、ヒソヒソ声で、
「じゃあ、よかったら夜久しぶりにどう?」
と訊いて来たのだ。ぼくは最初にいった通り特にやることもなかったので、この申し出を承諾することにしたのだ。
が、いざ仕事を終え、小林さんに話し掛けてみると、小林さんはーー
「あぁ、じゃあちょっと待ってて」
とぼくに待つよういったのだ。が、仕事をしている様子はまったくないどころか、いつ出発しても可笑しくないような状態。
「誰か待ってるんですか?」
「あぁ、うん、ちょっとね」
ちょっとね、というか誰かを待っているとしか思えない。かと思いきや、小林さんはスマホを取り出して二、三操作すると、今度はーー
「じゃあ、行こうか」
とひとりでにオフィスを出ていこうとする。人を待っていたのではないのか、と訊ねるも、小林さんは曖昧な調子で、
「あぁ、うん、いいのいいの」
とぼくに目も合わせずに歩を早めたのだ。小林さんが何かを隠しているのは、いわれずともわかった。が、ぼくはそれを口には出さずに、小林さんに続いて会社を出た。
小林さんについて会社を出ると、ぼくは小林さんに従って歩いた。道中の会話は取るに足らないモノ。隠し事を探ろうかとも思ったが、あまりしつこくしては、掛かった魚も口をちぎってでも逃げ出すだろう。
ぼくは無難な話題を共有しつつ、小林さんに導かれるままになった。そして、目的地の焼き肉屋に辿り着いた時、ぼくは思わず、え?と声を上げてしまったのだ。その理由は至極簡単。
宗方さんと桃井さんがいたからだ。
ぼくがオロオロしていると、小林さんはふたりに手を上げて会釈したのだ。
先に待っていたふたりの反応は、各々異なるモノだった。桃井さんは会釈する小林さんに会釈し返したのに対して、宗方さんはあからさまに驚いていた。その様子から考えて、多分、小林さんと桃井さんはグル。ふたりの目的はぼくと宗方さんの引き合わせ。
そう、ぼくは桃井さんと宗方さん、ふたりに引き合わされたのではないーー初めからターゲットは宗方さんただひとりだったのだ。
挨拶も軽く店に入って早速食事を始める。小林さんと桃井さんのふたりでリードしてメニューをバンバン注文してしまう。ぼくと宗方さんはただ導かれるままにドリンクとライスを頼んだだけだった。
会食が始まって三十分。とはいえ、ぼくは桃井さんとも宗方さんともまともに話すことは出来ず、焦げ掛けた肉をつつくことしか出来ない。
「どうしたの? あまり食べてないようだけど」
そんなことはない。まぁまぁ食べている。ただ、この場にてどうすればいいのかわからず、困惑するしかないだけだ。
「あぁ、いえ……」ぼくは立ち上がる。「ちょっとトイレに行ってきます」
そういってトイレのほうへ行こうとすると、桃井さんが鋭い目線をぼくに向けてきた。多分、何かいいたいことがあるのだろう。だが、ぼくにはその意味はわからない。
ぼくはそそくさ逃げるようにしてトイレへ。
ぼくはトイレの個室へこもり、これからどうするかスマホを弄りながら考える。だが、ろくな考えも浮かばず、ぼくはトイレを出る。
トイレを出ると、突然何かがぼくにぶつかる。
「痛ッ……!」
思わず声が出る。
「あ、ごめんなさいッ! 大丈夫ですか!?」
「あぁ、いえ……」
ぼくは目を疑う。何とそこにはーー
あの日ストリートで会った白い美女がいたのだ。
ぼくは完全に硬直した。
【続く】