【終わり良ければ、ハッピーエンドなのか?】
文字数 2,190文字
終わり良ければすべて良しという。
これに関しては、その通りと思う反面、たまにそうでないよなと思う時もある。
というのも、後者に関していうなら、終わりがグッドでも、その過程で失ったモノが多すぎたり、大きすぎたりする場合は当てはまらないと思うからだ。
まぁ、その過程で失ったモノが多かったり、大きい何かを失ったというと、大体、金銭や金銭的な何かだったり、或いは自分の肉体のパーツが欠損したりとか、はたまた大事な誰かを失ったりだとかがそうだと思う。
だが、バイオハザードじゃあるまいし、何かの過程において、それほど大きな損害や損失を被るというのはそうそうあるモンじゃない。
が、かといってまったくそういう凡例がないワケでもない。
まぁ、かくいうおれの場合は、大学時代がまさに「終わり良かったけど、すべていいワケじゃない」ってパターンだったワケだ。
というのも、大学は卒業出来たとはいえ、その過程で折れたマインドだとか、その結果失った時間だとかを換算すると、とてもじゃないが、すべてよしなんて能天気なことをいう気分にはなれないのだ。
だからこそ、おれは今でも大学時代は嫌いだし、大学時代の記憶を消したいと思う程には、自分の大学時代にウンザリしているワケだ。
そういう割には大学時代のことをよく書くよなって話なんだけど、ぶっちゃけ当たり障りがない話しかしてないだけで、おれにとって大学時代はつまらない話と経験のオンパレードで、正直思い出したくない記憶が多すぎるのだ。
まぁ、大学時代にパニックになってから卒業後数年はパニックに蝕まれてまともに生きた心地がしなかったこともあって、何とかまともになったことを考えると、あの時の辛かった時期もよくなるよね、みたいな話にーー
なるワケないんよな。
出来ることならパニックなんかにならずに普通に過ごしたかったよな。
とはいえ、逆にいえば、パニックになっていなかったら出会っていなかった人もいっぱいいるワケだ。少なくともパニックにならずにそのまま過ごしていたら、恐らく『ブラスト』には入っていなかっただろうし、芝居をやることもなかっただろう。
まぁ、そう考えると、あのクソみたいなパニックも、「終わり良ければ~」って話になってくるのかもしれないーーあまり認めたくはないけど。
でも、やはり芝居を始めて出会った人たちとの出会いというのは個人的にもいいモノだなと思ってしまうワケで。特に『デュオニソス』のメンバーはその傾向が強い。
さて、『遠征芝居篇』のエピローグその壱である。まぁ、そんな長々とは書かない予定。あらすじーー
「終わった。終わってしまった。デュオニソスでの芝居を終えた五条氏は、喪失感に苛まれていた。片付けもあっという間に終わってしまい、気付けば撤退の時間。ウタゲのメンバーたちと最後の食事会をし、五条氏を含むデュオニソスのメンバーは、それぞれの街へ帰って行くのだったーー」
とまぁ、こんな感じか。今日はその後の動きを何となく話すだけ。この次は四月にあった森ちゃんが創設した劇団の旗揚げ公演について話していくつもり。じゃーー
デュオニソスの公演から数月後、森ちゃんは故郷の地を離れて、ウタゲの皆さんがいる地へと旅立った。
最後のことばは特に覚えていない。下手したら、デュオニソスでの帰り道にちょこっと話した内容が最後のことばだったかもしれない。
だが、それくらいがちょうどよかったのかもしれない。余り下手にことばを交わすと、逆に別れが辛くなるだろうから。
それからというもの、森ちゃんは新天地で様々な劇団にゲスト出演しながら、自分の団体を立ち上げる準備を始めていた。
関東に残されたおれ、よっしー、ゆうこの三人は、再び『ブラスト』の舞台に立つこととなり、稽古稽古の日々となったーーこれに関しては以前書いたと思うんで、そちらを参照。
デュオニソスでの公演も含め、二度連続で相手役を務めたよっしーとも、この公演では特に絡みもなく、おれもブラストの新旧両メンバーと楽しく稽古をしていた。
まだリモート飲みが一般的になる前だったこともあって、コンスタントな連絡は取り合うことはなかったが、その後、森ちゃんは、年末にあった古巣であるブラストの公演に来てくれ、打ち上げにも参加してくれた。
そこで改めて話をしたのだけど、やはり、どうしてもいいたくなってしまうのは、デュオニソスのことばかり。やはり、おれとしても、あの公演が記憶に残るモノだったのだろう。
それから森ちゃんは、今度、自分の団体で公演を打つから観に来て欲しいといった。おれは当然それを快諾した。そして、タイミングが合えば、またデュオニソスで芝居を打とうとも。
遠方に帰ることもあって、森ちゃんは打ち上げの途中で帰ることとなったのだけど、そこで改めて、デュオニソスのメンバー四人で写真を撮った。やはり、お気に入りの顔ぶれというのは、記録にも記憶にも残しておきたい。
写真を撮り終えると、森ちゃんは帰っていった。おれは、甘ったるいクリーム鯛焼きを頬張り、気の抜けたビールを飲んだ。
甘ったるさとほろ苦さが口の中で飽和する。
それはまるでデュオニソスのようだった。
夜。闇の中で、おれはほろ酔いながら、ビデオで流れる自分の芝居を見つめていた。
そこにはまた別の自分がいた。
【エクストラへ続く】
これに関しては、その通りと思う反面、たまにそうでないよなと思う時もある。
というのも、後者に関していうなら、終わりがグッドでも、その過程で失ったモノが多すぎたり、大きすぎたりする場合は当てはまらないと思うからだ。
まぁ、その過程で失ったモノが多かったり、大きい何かを失ったというと、大体、金銭や金銭的な何かだったり、或いは自分の肉体のパーツが欠損したりとか、はたまた大事な誰かを失ったりだとかがそうだと思う。
だが、バイオハザードじゃあるまいし、何かの過程において、それほど大きな損害や損失を被るというのはそうそうあるモンじゃない。
が、かといってまったくそういう凡例がないワケでもない。
まぁ、かくいうおれの場合は、大学時代がまさに「終わり良かったけど、すべていいワケじゃない」ってパターンだったワケだ。
というのも、大学は卒業出来たとはいえ、その過程で折れたマインドだとか、その結果失った時間だとかを換算すると、とてもじゃないが、すべてよしなんて能天気なことをいう気分にはなれないのだ。
だからこそ、おれは今でも大学時代は嫌いだし、大学時代の記憶を消したいと思う程には、自分の大学時代にウンザリしているワケだ。
そういう割には大学時代のことをよく書くよなって話なんだけど、ぶっちゃけ当たり障りがない話しかしてないだけで、おれにとって大学時代はつまらない話と経験のオンパレードで、正直思い出したくない記憶が多すぎるのだ。
まぁ、大学時代にパニックになってから卒業後数年はパニックに蝕まれてまともに生きた心地がしなかったこともあって、何とかまともになったことを考えると、あの時の辛かった時期もよくなるよね、みたいな話にーー
なるワケないんよな。
出来ることならパニックなんかにならずに普通に過ごしたかったよな。
とはいえ、逆にいえば、パニックになっていなかったら出会っていなかった人もいっぱいいるワケだ。少なくともパニックにならずにそのまま過ごしていたら、恐らく『ブラスト』には入っていなかっただろうし、芝居をやることもなかっただろう。
まぁ、そう考えると、あのクソみたいなパニックも、「終わり良ければ~」って話になってくるのかもしれないーーあまり認めたくはないけど。
でも、やはり芝居を始めて出会った人たちとの出会いというのは個人的にもいいモノだなと思ってしまうワケで。特に『デュオニソス』のメンバーはその傾向が強い。
さて、『遠征芝居篇』のエピローグその壱である。まぁ、そんな長々とは書かない予定。あらすじーー
「終わった。終わってしまった。デュオニソスでの芝居を終えた五条氏は、喪失感に苛まれていた。片付けもあっという間に終わってしまい、気付けば撤退の時間。ウタゲのメンバーたちと最後の食事会をし、五条氏を含むデュオニソスのメンバーは、それぞれの街へ帰って行くのだったーー」
とまぁ、こんな感じか。今日はその後の動きを何となく話すだけ。この次は四月にあった森ちゃんが創設した劇団の旗揚げ公演について話していくつもり。じゃーー
デュオニソスの公演から数月後、森ちゃんは故郷の地を離れて、ウタゲの皆さんがいる地へと旅立った。
最後のことばは特に覚えていない。下手したら、デュオニソスでの帰り道にちょこっと話した内容が最後のことばだったかもしれない。
だが、それくらいがちょうどよかったのかもしれない。余り下手にことばを交わすと、逆に別れが辛くなるだろうから。
それからというもの、森ちゃんは新天地で様々な劇団にゲスト出演しながら、自分の団体を立ち上げる準備を始めていた。
関東に残されたおれ、よっしー、ゆうこの三人は、再び『ブラスト』の舞台に立つこととなり、稽古稽古の日々となったーーこれに関しては以前書いたと思うんで、そちらを参照。
デュオニソスでの公演も含め、二度連続で相手役を務めたよっしーとも、この公演では特に絡みもなく、おれもブラストの新旧両メンバーと楽しく稽古をしていた。
まだリモート飲みが一般的になる前だったこともあって、コンスタントな連絡は取り合うことはなかったが、その後、森ちゃんは、年末にあった古巣であるブラストの公演に来てくれ、打ち上げにも参加してくれた。
そこで改めて話をしたのだけど、やはり、どうしてもいいたくなってしまうのは、デュオニソスのことばかり。やはり、おれとしても、あの公演が記憶に残るモノだったのだろう。
それから森ちゃんは、今度、自分の団体で公演を打つから観に来て欲しいといった。おれは当然それを快諾した。そして、タイミングが合えば、またデュオニソスで芝居を打とうとも。
遠方に帰ることもあって、森ちゃんは打ち上げの途中で帰ることとなったのだけど、そこで改めて、デュオニソスのメンバー四人で写真を撮った。やはり、お気に入りの顔ぶれというのは、記録にも記憶にも残しておきたい。
写真を撮り終えると、森ちゃんは帰っていった。おれは、甘ったるいクリーム鯛焼きを頬張り、気の抜けたビールを飲んだ。
甘ったるさとほろ苦さが口の中で飽和する。
それはまるでデュオニソスのようだった。
夜。闇の中で、おれはほろ酔いながら、ビデオで流れる自分の芝居を見つめていた。
そこにはまた別の自分がいた。
【エクストラへ続く】