【西陽の当たる地獄花~睦~】
文字数 2,404文字
人の群れーーまるで蟻の行列のよう。
三途の川を渡す巨大な木の橋は幾人もの人で構成された行列が進んでいる。行列は横二列、最前から最後尾までは常人が目を凝らしたところでまず見えはしない程に連なっている。
列を成す者の殆どは水色の襦袢を着ている。まるで罪人が群れを成しているよう。
そんな隊列からはみ出すように、数人の男たちが長い長い列を取り囲むように一定の距離を開けつつ、同行している。
同行者は頭に白いハチマキ、着物の袖口を縛り、裾を折って帯の中にしまっている。長距離を歩くことを想定してか、手足には手甲脚絆をつけており、みな股引きを履いている。腰元に刀を差しているモノもいれば、長い杖を持っている者もいる。おそらくは制圧用だろう。
そんな中、ひとりだけ袴を履いた同行者がいる。腰元には身の丈に合わない二尺八寸の打刀を差しており、顔には凶悪な罪人のような左のこめかみから右の顎まで入った切り傷が入っている。そして、その目は濁っており、口許は無精髭で溢れている。
それが牛馬だった。
牛馬は行列に同行する見張りとほぼ同様の格好をして、三途を渡す橋を渡っている。
「何、三途の川を渡れだぁ?」
閻魔の屋敷でのこと、牛馬は閻魔に対して無礼な態度を取りつつ訊ねた。侍者の鬼は牛馬の無礼を非難しようとしたが、口許をキュッと結んだ閻魔がそれを制して、いった。
「そうだ。主には三途の川を渡って貰う」
「……まぁ、そうなるか」牛馬にしては珍しく素直な受け答え。「でも、三途の川となると舟に乗るんだろ? どれほど時間掛かるんだよ」
「いや、そうはならぬ」閻魔はいう。「舟に乗るのは現世の人間の想像に過ぎない」
閻魔がいうには、現世の人間たちは余りにも生き死にの回転が早過ぎて、舟で数人を渡して戻るという形を取るほどの余裕がないため、今ではひとつの大きな橋が架けられ、閻魔による断罪を終えた者たちを集団で渡すようになったということだった。
「なるほどな。今の時代、己の欲望に飲み込まれた奴らの犠牲になった奴らが多過ぎて、川を渡す人間の数が多過ぎるってことか」
「残念ながら、その通りだ。そして、それらを裁くワシの仕事も増えた。オマケに主に話したように天命もメチャクチャになっている」
「そういうことか。面白ぇな」
牛馬は高笑いする。だが、閻魔はクスリとも笑いはせず、むしろ苦い顔をする。
「何も面白くなどない。ワシはもうウンザリだ。だから主に仕事を頼みたいのだ」
「まぁ、それはいいんだけどよ。それよりも新しい刀が欲しい。もっと鋭く長い刀だ。地獄の刀とやらを見せて欲しい」
「それはいいが、その刀はどうする?」閻魔は牛馬の腰元に差された刀を指していった。
「この刀はナマクラだ。所詮は死んだ三下侍の遺品に過ぎない。見てみろーー」そういって牛馬は刀を抜いて刀身を閻魔に見せた。「刃こぼれが酷い。ここに来るまでに散々餓鬼や鬼を切ってきたが、それでここまでダメになるようじゃ、話にならない」
「しかし、それは主の刀の扱いもあるのではないか?」
閻魔はいってから後悔したように口をつぐんだ。が、牛馬は怒りを露にせずに、
「いや、そうでもない。優れた刀は何人を斬ろうと刃こぼれしないが、ダメな刀はすぐに刃がダメになる。扱いが下手なら、ひとり斬っただけでも曲がるか折れる。で、どうする?」
「……わかった。しばし待たれよ」
そういって閻魔は控えの侍者にいくつかの刀を持ってくるように指示した。
それから少しして、牛馬の目の前に数本の刀が置かれた。牛馬は早速端から刀を手に取り鞘から抜いた。一本目は長さ二尺五寸ほどの刀。牛馬は刀身を眺め、軽く正眼に構える。
「これはダメだな。先が重すぎる」牛馬は吐き捨てる。「均衡が悪くて、これじゃおれが刀を使うんじゃなくて、刀におれが使われることになる。柄のほうが重かったらまだ使いようがあるんだが、これじゃダメだ。次だーー」
二本目は長さ三尺ほどもある刀だった。が、牛馬はそれを眺めるだけで、手に取ろうともしなかった。
「三尺刀か。ダメだな。邪魔なだけだ。落としても閂で差してもお荷物にしかならない。それに、こんな長さの刀を持つくらいなら、薙刀を持ち歩くほうがいい」
牛馬の刀を吟味する姿勢を、閻魔は感心するように眺めていた。
「なるほど。一見すると豪快な人物に思えるが、刀に対しては繊細なのだな」
「当たり前だ。斬れればいい、刀なら何でもいいというのは雑魚の考えだ。真に人を斬ろうとするならば、モノには拘らなけきゃな」
そして、三本目。二尺八寸の比較的長い刀だった。牛馬は刀を鞘から抜き、刀身を眺めると、
「刃紋の乱れが美しい。それにこの輝き。使われた鉱石はもちろんだが、血を啜った後もしっかり手入れされていて妖艶な光を纏っている。バラしていいか?」
閻魔の許可を得ると、牛馬は刀から目釘を外し、柄にはばき、鍔に切羽を外した。そして、牛馬は鑢の部分に刻まれた銘を見て、
「『神獄』か。どういう意味だ?」
「主の仕事そのモノだ」
閻魔のことばに、牛馬はニヤリと笑ったーー
「牛馬殿」
橋の上を歩く鬼のひとりの声掛けに、牛馬は振り返る。その鬼とは、四天王のひとりで、唯一の生き残りーーあの失禁した鬼だった。
「何だよ、小便垂らし」牛馬はニヤケていう。
四天王の鬼はムッとして、
「その呼び名で呼ぶのは止めて貰えませんか」
「だって事実じゃねぇか。テメェみたいなのが一緒で仕事が勤まるのかね」
「確かにあの時は牛馬殿の気迫に圧されて無様な姿をさらしましたが、拙者も四天王のひとり。木偶の坊ではありませぬ」
「そいつはどうかな。そんなことより、あとどれくらいだ?」
「そうですね……、三時間といったところでしょうか……」
「……まだまだだな」
連なる行列が、長い長い橋の上をゆっくりと進んでいく。その先には巨大な門が大きな口を開けて待ち構えていたーー
【続く】
三途の川を渡す巨大な木の橋は幾人もの人で構成された行列が進んでいる。行列は横二列、最前から最後尾までは常人が目を凝らしたところでまず見えはしない程に連なっている。
列を成す者の殆どは水色の襦袢を着ている。まるで罪人が群れを成しているよう。
そんな隊列からはみ出すように、数人の男たちが長い長い列を取り囲むように一定の距離を開けつつ、同行している。
同行者は頭に白いハチマキ、着物の袖口を縛り、裾を折って帯の中にしまっている。長距離を歩くことを想定してか、手足には手甲脚絆をつけており、みな股引きを履いている。腰元に刀を差しているモノもいれば、長い杖を持っている者もいる。おそらくは制圧用だろう。
そんな中、ひとりだけ袴を履いた同行者がいる。腰元には身の丈に合わない二尺八寸の打刀を差しており、顔には凶悪な罪人のような左のこめかみから右の顎まで入った切り傷が入っている。そして、その目は濁っており、口許は無精髭で溢れている。
それが牛馬だった。
牛馬は行列に同行する見張りとほぼ同様の格好をして、三途を渡す橋を渡っている。
「何、三途の川を渡れだぁ?」
閻魔の屋敷でのこと、牛馬は閻魔に対して無礼な態度を取りつつ訊ねた。侍者の鬼は牛馬の無礼を非難しようとしたが、口許をキュッと結んだ閻魔がそれを制して、いった。
「そうだ。主には三途の川を渡って貰う」
「……まぁ、そうなるか」牛馬にしては珍しく素直な受け答え。「でも、三途の川となると舟に乗るんだろ? どれほど時間掛かるんだよ」
「いや、そうはならぬ」閻魔はいう。「舟に乗るのは現世の人間の想像に過ぎない」
閻魔がいうには、現世の人間たちは余りにも生き死にの回転が早過ぎて、舟で数人を渡して戻るという形を取るほどの余裕がないため、今ではひとつの大きな橋が架けられ、閻魔による断罪を終えた者たちを集団で渡すようになったということだった。
「なるほどな。今の時代、己の欲望に飲み込まれた奴らの犠牲になった奴らが多過ぎて、川を渡す人間の数が多過ぎるってことか」
「残念ながら、その通りだ。そして、それらを裁くワシの仕事も増えた。オマケに主に話したように天命もメチャクチャになっている」
「そういうことか。面白ぇな」
牛馬は高笑いする。だが、閻魔はクスリとも笑いはせず、むしろ苦い顔をする。
「何も面白くなどない。ワシはもうウンザリだ。だから主に仕事を頼みたいのだ」
「まぁ、それはいいんだけどよ。それよりも新しい刀が欲しい。もっと鋭く長い刀だ。地獄の刀とやらを見せて欲しい」
「それはいいが、その刀はどうする?」閻魔は牛馬の腰元に差された刀を指していった。
「この刀はナマクラだ。所詮は死んだ三下侍の遺品に過ぎない。見てみろーー」そういって牛馬は刀を抜いて刀身を閻魔に見せた。「刃こぼれが酷い。ここに来るまでに散々餓鬼や鬼を切ってきたが、それでここまでダメになるようじゃ、話にならない」
「しかし、それは主の刀の扱いもあるのではないか?」
閻魔はいってから後悔したように口をつぐんだ。が、牛馬は怒りを露にせずに、
「いや、そうでもない。優れた刀は何人を斬ろうと刃こぼれしないが、ダメな刀はすぐに刃がダメになる。扱いが下手なら、ひとり斬っただけでも曲がるか折れる。で、どうする?」
「……わかった。しばし待たれよ」
そういって閻魔は控えの侍者にいくつかの刀を持ってくるように指示した。
それから少しして、牛馬の目の前に数本の刀が置かれた。牛馬は早速端から刀を手に取り鞘から抜いた。一本目は長さ二尺五寸ほどの刀。牛馬は刀身を眺め、軽く正眼に構える。
「これはダメだな。先が重すぎる」牛馬は吐き捨てる。「均衡が悪くて、これじゃおれが刀を使うんじゃなくて、刀におれが使われることになる。柄のほうが重かったらまだ使いようがあるんだが、これじゃダメだ。次だーー」
二本目は長さ三尺ほどもある刀だった。が、牛馬はそれを眺めるだけで、手に取ろうともしなかった。
「三尺刀か。ダメだな。邪魔なだけだ。落としても閂で差してもお荷物にしかならない。それに、こんな長さの刀を持つくらいなら、薙刀を持ち歩くほうがいい」
牛馬の刀を吟味する姿勢を、閻魔は感心するように眺めていた。
「なるほど。一見すると豪快な人物に思えるが、刀に対しては繊細なのだな」
「当たり前だ。斬れればいい、刀なら何でもいいというのは雑魚の考えだ。真に人を斬ろうとするならば、モノには拘らなけきゃな」
そして、三本目。二尺八寸の比較的長い刀だった。牛馬は刀を鞘から抜き、刀身を眺めると、
「刃紋の乱れが美しい。それにこの輝き。使われた鉱石はもちろんだが、血を啜った後もしっかり手入れされていて妖艶な光を纏っている。バラしていいか?」
閻魔の許可を得ると、牛馬は刀から目釘を外し、柄にはばき、鍔に切羽を外した。そして、牛馬は鑢の部分に刻まれた銘を見て、
「『神獄』か。どういう意味だ?」
「主の仕事そのモノだ」
閻魔のことばに、牛馬はニヤリと笑ったーー
「牛馬殿」
橋の上を歩く鬼のひとりの声掛けに、牛馬は振り返る。その鬼とは、四天王のひとりで、唯一の生き残りーーあの失禁した鬼だった。
「何だよ、小便垂らし」牛馬はニヤケていう。
四天王の鬼はムッとして、
「その呼び名で呼ぶのは止めて貰えませんか」
「だって事実じゃねぇか。テメェみたいなのが一緒で仕事が勤まるのかね」
「確かにあの時は牛馬殿の気迫に圧されて無様な姿をさらしましたが、拙者も四天王のひとり。木偶の坊ではありませぬ」
「そいつはどうかな。そんなことより、あとどれくらいだ?」
「そうですね……、三時間といったところでしょうか……」
「……まだまだだな」
連なる行列が、長い長い橋の上をゆっくりと進んでいく。その先には巨大な門が大きな口を開けて待ち構えていたーー
【続く】