【藪医者放浪記~壱~】

文字数 2,169文字

 川越の空は青く澄んでいる。

 とてつもなく大きなあくび。

 大きく開かれたその口は、何モノをも飲み込んでしまいそうなほどに大きい。

 目には涙。それほど大きなアクビをしていたということだ。男は武家屋敷の縁側で頬杖をついて横になっている。

 年は三十前後といったところだろうか、紺色の着物に黒の袴、背は五尺六寸より少し高いくらいか。髪は総髪、金属の髪留めで前髪をうしろに撫で付けている。

 武家屋敷に仕えている身、というには態度がデカ過ぎるし、月代もない。おまけに腰元にも、傍にも脇差刀はない。あるのは、身体の前に置かれた、淡青色の柄巻と下緒を拵えた二尺四寸ほどの刀が一本だけ。

 ただ、その腰元には脇差の代わりに十手のような形状の何かを差している。

「眠ぃ……」

 男は再びあくびをしつついう。と、そこで突然の衝撃。男の頭は勢いよく前に折れる。男は頭を擦りながら、身体を起こしていう。

「痛ぇなぁ……」

「痛ぇ、じゃない!」にび色の着物に茶色の袴を穿いた武士がいう。

 この武士、紺色の侍と違って、ちゃんと頭は剃り上げており、髷も小銀杏にキメている。齢は四十を幾分か過ぎた位で、背丈は五尺四寸ほどだろうか、紺色と比べるとそこまで大きくはない。ただ、その横一文字に結ばれた口許と、そのまわりに刻まれたシワを見ると、その厳かな性格が見てとれる。

「何だよ、勘ちゃん」紺色がいう。

「何でございましょうか、守山様だ! 年上の者の名前を『ちゃん』づけするでない!」

「じゃあ、勘十郎?」

「呼び捨てはもっとダメに決まっておろうが! そんなことより源之助! 貴様、他の者がセッセと動いている中、何をしておる!」

「ん、昼寝かなぁ……」

「んなことは訊いておらん!」

 守山の声はデカ過ぎて、源之助も思わず両耳を塞ぐ。そこらに止まっていた鳥も驚いて飛び上がってしまう。

「まったく、この一大事に悠長な……」

「一大事?」源之助は少し考えて、「……あぁ、あのことか」

「貴様は、どうしてそんなにも余裕を見せていられるのだ。わたしを始め、他の者たちもみな慌てふためいているというのに!」

「慌てる?……何で?」

 源之助はまったく自然にそういってのける。だが、それが守山の怒りに火をつけてしまったらしく、顔は真っ赤っ赤。眉は地獄の釜の底のような形となり、横一文字に結ばれていた口許も噴火寸前の火山のような形になっている。

 だが、源之助はまったく動じるどころか、いつものこと、といったように構えている。

 と、そんな時である。

「うーむ、どうしたモノか……」

 そういって軒先から現れたのは恰幅のいい、五十代くらいの武士だった。鼻下にはよく整えられた髭が川流れのような美しい流線を描いている。腰元には白い柄巻の脇差。

「あぁ、天馬殿、どうかされたんですか?」

 源之助がたずねると、守山は阿修羅のような顔つきになって源之助のことを見る。だが、天馬と呼ばれた男は、守山が何かをいい出すよりも前に、

「あぁ、源之助。いやぁ、何、おさきのことなんだけどね」

「あぁ、おさきの君のことでしたか。別に、そんなに惑うこともないかと思うんですがねぇ」

 源之助のことばに、守山はげんこつを振り上げようとする。源之助はすぐさま両手で頭をかばう。が、天馬はそんなことには構わず、

「惑うことはない、というと?」

「何といいましょうか……」源之助はことばを選ぶようにいう。「いずれわかるというか、なるようにしかならないと思うのですが」

「それが、いずれじゃ困るのだよ」

「困る?」

 首を縦に振る天馬。

「そうなのだよ。あと二日もすれば、水戸の国から武田殿の御子息がおいでになる。そうなった時に今のような状況だとよろしくない」

「あぁ、そうでしたな……」

 源之助は漸くことの重要さをわかったとでもいわんばかりに息を吐く。守山はいう。

「そうだぞ、源之助。だから……」

「そこで、だ。源之助」天馬が守山を制していう。「頼みがあるのだがね」

「何でございましょうか?」

「松平様!?」

 守山は天馬にいう。が、天馬はやはり守山を制して源之助にいう。

「実は江戸から腕の立つお医者に来て貰うことになっておってな。すまんが、源之助、先生のもとへ遣いに行っては貰えんかね?」

「えぇ、おれで良ければ構いませんが」

 守山は源之助の口振りにモノ申したい様子だったが、天馬の様子を見て自重する。

「そうか、助かるぞ」

「で、その先生は何処におられるんで?」

「文によれば川越の宿場町におるはずだ。『仙波屋』の松の間に泊まると書いてあった」

「宿場町、仙波屋、松の間。承知致した」

「それと、何だがね……」そう続けると天馬は、守山に、「すまんが、外して貰えんかね」

 天馬のその様子を見て、守山は何かを察したように素直にその場から立ち去る。天馬は守山が去ったのを確認してからいう。

「件の依頼についても頼んだぞ……」

「それはもちろん。ですが、そうなると、犬も一緒のほうが良さそうですな」

「そうだな。犬吉にも声を掛けて貰えると有り難い。如何せん、何処にいるか、わたしには見当がつかんのでな」

「どうせ賭場じゃないでしょうか。それか……」源之助は口を閉ざす。「いえ、何でもないです」

「そうか。では、頼んだぞ……」

「えぇ。この猿田源之助、天馬殿の命のもとに、何とかしてみます」

 【続く】

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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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