【明日、白夜になる前に~参拾伍~】
文字数 2,327文字
昼時ともなると社食では若干の疲れを背負ったサラリーマンたちが大きく息をついている。
ぼくもそのひとりだーーいや、ぼくは別の意味で疲れているのかもしれないけど。
そんなぼくの前には宗方あかりが自前の弁当をちょこちょこと箸で摘まんでは、ハムスターのように小さな口へと運んだかと思うと、リスのように細かにご飯を噛んで食べている。
対するぼくの目の前にあるのは、社食のメニューであるあっさりしたラーメンとカツ丼だ。
あっさりしている、というのはちょっとしたエクスキューズに過ぎず、結局のところはカロリーの高いメニューのワンツーといっても過言ではない、360度、どの角度から見ても身体に悪そうなメニュー。意識の低さでいえば、ぼくのパーフェクト勝ちだ。
「それは大変でしたねぇ……」宗方さんが箸を動かす手を止めていう。
「うん、それでどうすれば良かったのかな、何て思っちゃって、さ」
ぼくが話していたのは昨夜の出来事についてーーそう、春香さんとのやり取りについてだった。宗方さんは少し難しそうな顔をする。
「うーん、そうなんですね……。でも、結果的に斉藤さんは正しかったんじゃないですか?やっぱり亡くなったとはいえ、お友達の奥さんはお友達の奥さんなんですから。確かにその奥さんの気持ちもわからないではないですけど、そのお友達に悪い気がするんだったら、斉藤さんがそうしたのは正解だったんじゃないかなって、わたしは思いました」
「そうか、……そう、だよね」
ぼくは彼女のことばを反芻し飲み込むように答える。彼女のことばに救われた気分だった。やはり直人のことを考えると、春香さんにどうこうするのは気が引ける。ならば、ぼくが取った行動は正しかった。言い方は悪いが、ぼくは自分の行動を正当化するための証人が欲しかったのかもしれない。
「ごめんね、昼休み誘っておいてこんな話しちゃって」ぼくは思わず謝罪する。
「とんでもないです! そういうことなら人間誰だって悩むのは当然ですし、斉藤さんのお力になれたのならそれだけで嬉しいです!」
真っ直ぐなことば。もはやぼくが忘れてしまったモノを目の前の女性は持っている。
多分、これが真摯さであり、ひたむきさ、なのだろう。そして、それこそが人に好感を持った人の持つ気持ちーー即ち「好き」という感情なのかもしれない。
人の気持ちをこうやって推測するなんて、ぼくも随分とイジワルで汚い大人になってしまったモノだなと思うけど、さっきの声掛けといい、ぼくに対する配慮というのは、彼女がぼくへ好感を持っているというのは、桃井さんの勘違いではないとハッキリいえるのではないか。
「宗方さんは、さ……」
ぼくはいい出したはいいが、そこでことばを切る。その質問が彼女にとって残酷なモノかもしれない、そう思ったからだ。
「何ですか?」
彼女はあっけらかんと答えてみせたが、その口調と表情は軽すぎた。多分、こころの奥底で感情が渦を巻いているに違いない。
「……やっぱ、いいや」
逃げの一手。やはりこういうことを軽々しく口にしてはいけないだろうと思い、ぼくは口を閉じる。だが、一度出そうとしたモノを引っ込めるというのは、人に更なる興味を抱かせてしまう。彼女はハニカミと苦笑いの中間のような複雑な笑みを浮かべていうーー
「そんな風にいわれると何か気になるじゃないですか、いって下さいよ」
そういう表情は柔らかく装っているつもりだろうが、その表情と声色には若干の強張りとギコチなさが表れており、いい終わってからのその表情には、その固さがより強く表れる。
ベルを鳴らして走ってきたパブロフの犬に対してエサを与えない、というのは非常に残酷なことだ。ぼくはーー
「嫌な気分になったらごめんね、答えたくなければ、答えなくていいから」
と前置きする。何とも卑怯なやり口。戦う意志はないといいつつ銃の引き金を引くようなモノだ。自分の性格の悪さにはつくづく嫌気が差すが、そんなカニバサミのトラップに引っ掛かるウサギのように、彼女は顔を強張らせて、
「大丈夫、です」
という。心中は緊張の坩堝だろうと一発でわかる顔つきだった。ぼくはいうーー
「じゃあ……、宗方さんは、さ……、好きな人が困ってたら、どうする?ーーというか、好きな人にはさ、どういう風に接してあげる?」
ぼくが訊ねると、彼女は一瞬「えっ!?」といった表情を浮かべつつ、「好きな人が困ってたらどう接するか、ですか……?」とおうむ返しをするようにして、ぼくの質問内容を飲み込もうとしつつ、ぼくが本当にそれを訊ねようとしているのか訊ね変えす。
ぼくは死刑執行人のように容赦なく「うん」と頷く。すると彼女は返答に困りながらもーー
「多分……、陰で見守りながら、その人のために出来ることをすると思います……」
彼女はチラリとぼくのほうを見つつも、その視線は殆どテーブルの表面を向いている。
「そっか……、ありがとう……」
ぼくはこの質問で何を知りたかったのかーー実は自分でも良くわかっていなかった。
彼女がぼくを好きなのか知りたかったか。はたまた、ぼくが春香さんをどう思っているのか、あるいはその逆ーー春香さんがぼくをどう思っているのか。それを彼女の意見をサンプルに紐解いて行こうとしたのか。
どちらにせよ最低なのはいうまでもないだろう。結局、ぼくはこうやって人の気持ちを翻弄しつつ、無視した振りをしていくだけの最低な人間でしかない、ということだ。
「ありがとう……」
ぼくが申し訳程度の礼をいうと、彼女はーー
「いえ、お役に立てたなら何よりです」
と朗らかだが、何処か寂しげな笑みを浮かべてそういって見せた。
罪の意識が重くのし掛かったーー
【続く】
ぼくもそのひとりだーーいや、ぼくは別の意味で疲れているのかもしれないけど。
そんなぼくの前には宗方あかりが自前の弁当をちょこちょこと箸で摘まんでは、ハムスターのように小さな口へと運んだかと思うと、リスのように細かにご飯を噛んで食べている。
対するぼくの目の前にあるのは、社食のメニューであるあっさりしたラーメンとカツ丼だ。
あっさりしている、というのはちょっとしたエクスキューズに過ぎず、結局のところはカロリーの高いメニューのワンツーといっても過言ではない、360度、どの角度から見ても身体に悪そうなメニュー。意識の低さでいえば、ぼくのパーフェクト勝ちだ。
「それは大変でしたねぇ……」宗方さんが箸を動かす手を止めていう。
「うん、それでどうすれば良かったのかな、何て思っちゃって、さ」
ぼくが話していたのは昨夜の出来事についてーーそう、春香さんとのやり取りについてだった。宗方さんは少し難しそうな顔をする。
「うーん、そうなんですね……。でも、結果的に斉藤さんは正しかったんじゃないですか?やっぱり亡くなったとはいえ、お友達の奥さんはお友達の奥さんなんですから。確かにその奥さんの気持ちもわからないではないですけど、そのお友達に悪い気がするんだったら、斉藤さんがそうしたのは正解だったんじゃないかなって、わたしは思いました」
「そうか、……そう、だよね」
ぼくは彼女のことばを反芻し飲み込むように答える。彼女のことばに救われた気分だった。やはり直人のことを考えると、春香さんにどうこうするのは気が引ける。ならば、ぼくが取った行動は正しかった。言い方は悪いが、ぼくは自分の行動を正当化するための証人が欲しかったのかもしれない。
「ごめんね、昼休み誘っておいてこんな話しちゃって」ぼくは思わず謝罪する。
「とんでもないです! そういうことなら人間誰だって悩むのは当然ですし、斉藤さんのお力になれたのならそれだけで嬉しいです!」
真っ直ぐなことば。もはやぼくが忘れてしまったモノを目の前の女性は持っている。
多分、これが真摯さであり、ひたむきさ、なのだろう。そして、それこそが人に好感を持った人の持つ気持ちーー即ち「好き」という感情なのかもしれない。
人の気持ちをこうやって推測するなんて、ぼくも随分とイジワルで汚い大人になってしまったモノだなと思うけど、さっきの声掛けといい、ぼくに対する配慮というのは、彼女がぼくへ好感を持っているというのは、桃井さんの勘違いではないとハッキリいえるのではないか。
「宗方さんは、さ……」
ぼくはいい出したはいいが、そこでことばを切る。その質問が彼女にとって残酷なモノかもしれない、そう思ったからだ。
「何ですか?」
彼女はあっけらかんと答えてみせたが、その口調と表情は軽すぎた。多分、こころの奥底で感情が渦を巻いているに違いない。
「……やっぱ、いいや」
逃げの一手。やはりこういうことを軽々しく口にしてはいけないだろうと思い、ぼくは口を閉じる。だが、一度出そうとしたモノを引っ込めるというのは、人に更なる興味を抱かせてしまう。彼女はハニカミと苦笑いの中間のような複雑な笑みを浮かべていうーー
「そんな風にいわれると何か気になるじゃないですか、いって下さいよ」
そういう表情は柔らかく装っているつもりだろうが、その表情と声色には若干の強張りとギコチなさが表れており、いい終わってからのその表情には、その固さがより強く表れる。
ベルを鳴らして走ってきたパブロフの犬に対してエサを与えない、というのは非常に残酷なことだ。ぼくはーー
「嫌な気分になったらごめんね、答えたくなければ、答えなくていいから」
と前置きする。何とも卑怯なやり口。戦う意志はないといいつつ銃の引き金を引くようなモノだ。自分の性格の悪さにはつくづく嫌気が差すが、そんなカニバサミのトラップに引っ掛かるウサギのように、彼女は顔を強張らせて、
「大丈夫、です」
という。心中は緊張の坩堝だろうと一発でわかる顔つきだった。ぼくはいうーー
「じゃあ……、宗方さんは、さ……、好きな人が困ってたら、どうする?ーーというか、好きな人にはさ、どういう風に接してあげる?」
ぼくが訊ねると、彼女は一瞬「えっ!?」といった表情を浮かべつつ、「好きな人が困ってたらどう接するか、ですか……?」とおうむ返しをするようにして、ぼくの質問内容を飲み込もうとしつつ、ぼくが本当にそれを訊ねようとしているのか訊ね変えす。
ぼくは死刑執行人のように容赦なく「うん」と頷く。すると彼女は返答に困りながらもーー
「多分……、陰で見守りながら、その人のために出来ることをすると思います……」
彼女はチラリとぼくのほうを見つつも、その視線は殆どテーブルの表面を向いている。
「そっか……、ありがとう……」
ぼくはこの質問で何を知りたかったのかーー実は自分でも良くわかっていなかった。
彼女がぼくを好きなのか知りたかったか。はたまた、ぼくが春香さんをどう思っているのか、あるいはその逆ーー春香さんがぼくをどう思っているのか。それを彼女の意見をサンプルに紐解いて行こうとしたのか。
どちらにせよ最低なのはいうまでもないだろう。結局、ぼくはこうやって人の気持ちを翻弄しつつ、無視した振りをしていくだけの最低な人間でしかない、ということだ。
「ありがとう……」
ぼくが申し訳程度の礼をいうと、彼女はーー
「いえ、お役に立てたなら何よりです」
と朗らかだが、何処か寂しげな笑みを浮かべてそういって見せた。
罪の意識が重くのし掛かったーー
【続く】