【男ふたり、夜の虫】
文字数 2,089文字
例のウイルス騒ぎが本格化して一年以上が経つ。
そう考えると時の流れというのは早いものだなと思うのだけど、ここまで深刻な話になるとは、去年のこの時期は全然思っていなかった。
そもそも、去年のこの時期といえばーー
麻生とふたりで旅行に行っていたのだ。
以前もーーというか多分、この駄文集における麻生の初登場の時だったと思うーーその話を少ししたと思うのだけど、去年のちょうどこの辺りにおれは麻生と旅行に行っていたワケだ。
何でこの時期にといわれるかもしれないけど、今日はそこらへんの話も含めて、その旅行について話して行こうかと思う。
そんな時期の旅行など、まったく褒められた話ではないのはわかっているし、もう過ぎてしまった話として読んで貰えれば幸いだ。
昨年の二月のことだったと思う。その時、麻生がたまたま五村に帰って来ていたこともあって、ふたりで飲もうということになったのだ。
その当時はまだ件のウイルスが中国にて問題にはなっていたけれど、日本国内での感染は何となく騒がれてはいたとはいえ、まだ全体的な意識は高くなかった時期だったと思う。
まだブラストの稽古も普通にやっていたし、次の芝居の本も何となく決まって、本番に向けての稽古に移ろうかといった感じになっていたぐらいだったしな。
そんな世間の動きの中で、おれと麻生は飲みの席でこんな話をしていたのだ。
「時間あるなら近い内に旅行でもいくか」
実をいえば、旅行の話自体は随分と前から出ていた。が、その話が進もうとした時に限って、おれがパニック障害でダウンしていた頃だったり、麻生が就職し、別の県へ引っ越してしまっていたりして、実現しなかったのだ。
ウイルスの件があったとはいえ、まだそこまで危機感は抱いていなかったこと、麻生の大学の実習が全部白紙になってしまっていたこともあって、おれと麻生は、三月の終わりぐらいに行こうかと計画を立てることにしたのだ。
飲みが終わると、後日、メッセージ上にて詳細を決めた。行き先は湯河原、期間は一泊二日に決まり、宿泊場所は麻生が安いプランを見つけたこともあって、三万も掛からなかった。
旅行の日がウィークデーだったこともあり、おれは早めに有給を取り、旅行に備えた。
旅行前日、おれはリュックに収まる程度の荷物を用意し、準備を整えた。テレビのようなメディアを中心にウイルスに関する緊張感が高まっている時期であったとはいえ、今さら予約したモノをキャンセルするのは勿体ないだろうと、そのまま決行することにしたのだ。
旅行当日、おれは私鉄電車に乗って新宿まで出ると、新宿駅まで歩いた。駅構内で麻生と合流すると、最後の確認をして、小田原線の改札をくぐった。
行き先である湯河原までは電車で一、二時間とのことだった。建物だらけのコンクリートジャングルも、気づけば歯抜けのようにスカスカになり始め、海が見えて来たと思えば、随分と自然が水晶体に映るようになっていた。
当たり前の日常が遠ざかっていく。それはウイルスによってではなく、だ。
旅行なんて久しぶりだった。
芝居の公演で遠征し、宿泊したことはあったけれど、純粋に歓楽、観光のためにした旅なんて、大学のサークルのメンバーとした卒業旅行が最後というレベルだった。
初めて見る景色を遠い目で見つめ、自分が今、いつもいる場所より遠い場所にいるのだ、と漠然と感じた。自分の時間も周りの時間も動いているのに、何かが止まったような感覚がとても心地よかった。
湯河原に着いた時には昼過ぎとなっていた。駅前の適当な飲食店にて昼食を取り、どこへ行こうかとなり、案内所でもらった地図とパンフレットを眺めた。そこで「文学のこみち」という興味深い名前を見つけ、行くことに。
あまり話そうとすると長くなりすぎるので簡単に話すと、とてもいいところだった。
そもそも、不勉強なおれは、湯河原が文学所縁の地だとは全然知らず、色々と感じることは多かったよな。長くなるんで、この件に関してはここまで。話し出すと長くなるのは、おれの悪いクセなのは、この駄文集でわかるだろ?
文学のこみちを歩き終えた頃には、ホテルのチェックインの時間も過ぎており、おれと麻生はバスに乗ってホテルまで向かった。
ホテルはキレイな所だった。フロントで鍵を受け取り、部屋に入る。和風の落ち着いた感じがおれはとても気に入った。
温泉に入って身体を清めると、夕飯の時間だ。豪奢な料理にヨダレを垂らすのを我慢しつつ、ゆっくりと、かつ大胆に料理を口に運ぶ。
食事のお供にはコンビニで買ったビールとウイスキー。いつもと違った環境下で飲む酒は、また一段と旨かった。
食事を終えると、テレビを見ながら、ダラダラと酒を飲んだ。そこで志村けんの訃報を聴いた。傷心の酒がおれのマインドを慰める。
志村けんーー最高のコメディアン。
そうか、志村けんが亡くなったか。例のウイルスが猛威を奮い始めた中でも、そして昨年のニュースの中でも最大級に大きな事件だった。
悲しさと虚しさがアルコールでボヤけた頭の中に染み入った。夜はまだ長いーー
【続く】
そう考えると時の流れというのは早いものだなと思うのだけど、ここまで深刻な話になるとは、去年のこの時期は全然思っていなかった。
そもそも、去年のこの時期といえばーー
麻生とふたりで旅行に行っていたのだ。
以前もーーというか多分、この駄文集における麻生の初登場の時だったと思うーーその話を少ししたと思うのだけど、去年のちょうどこの辺りにおれは麻生と旅行に行っていたワケだ。
何でこの時期にといわれるかもしれないけど、今日はそこらへんの話も含めて、その旅行について話して行こうかと思う。
そんな時期の旅行など、まったく褒められた話ではないのはわかっているし、もう過ぎてしまった話として読んで貰えれば幸いだ。
昨年の二月のことだったと思う。その時、麻生がたまたま五村に帰って来ていたこともあって、ふたりで飲もうということになったのだ。
その当時はまだ件のウイルスが中国にて問題にはなっていたけれど、日本国内での感染は何となく騒がれてはいたとはいえ、まだ全体的な意識は高くなかった時期だったと思う。
まだブラストの稽古も普通にやっていたし、次の芝居の本も何となく決まって、本番に向けての稽古に移ろうかといった感じになっていたぐらいだったしな。
そんな世間の動きの中で、おれと麻生は飲みの席でこんな話をしていたのだ。
「時間あるなら近い内に旅行でもいくか」
実をいえば、旅行の話自体は随分と前から出ていた。が、その話が進もうとした時に限って、おれがパニック障害でダウンしていた頃だったり、麻生が就職し、別の県へ引っ越してしまっていたりして、実現しなかったのだ。
ウイルスの件があったとはいえ、まだそこまで危機感は抱いていなかったこと、麻生の大学の実習が全部白紙になってしまっていたこともあって、おれと麻生は、三月の終わりぐらいに行こうかと計画を立てることにしたのだ。
飲みが終わると、後日、メッセージ上にて詳細を決めた。行き先は湯河原、期間は一泊二日に決まり、宿泊場所は麻生が安いプランを見つけたこともあって、三万も掛からなかった。
旅行の日がウィークデーだったこともあり、おれは早めに有給を取り、旅行に備えた。
旅行前日、おれはリュックに収まる程度の荷物を用意し、準備を整えた。テレビのようなメディアを中心にウイルスに関する緊張感が高まっている時期であったとはいえ、今さら予約したモノをキャンセルするのは勿体ないだろうと、そのまま決行することにしたのだ。
旅行当日、おれは私鉄電車に乗って新宿まで出ると、新宿駅まで歩いた。駅構内で麻生と合流すると、最後の確認をして、小田原線の改札をくぐった。
行き先である湯河原までは電車で一、二時間とのことだった。建物だらけのコンクリートジャングルも、気づけば歯抜けのようにスカスカになり始め、海が見えて来たと思えば、随分と自然が水晶体に映るようになっていた。
当たり前の日常が遠ざかっていく。それはウイルスによってではなく、だ。
旅行なんて久しぶりだった。
芝居の公演で遠征し、宿泊したことはあったけれど、純粋に歓楽、観光のためにした旅なんて、大学のサークルのメンバーとした卒業旅行が最後というレベルだった。
初めて見る景色を遠い目で見つめ、自分が今、いつもいる場所より遠い場所にいるのだ、と漠然と感じた。自分の時間も周りの時間も動いているのに、何かが止まったような感覚がとても心地よかった。
湯河原に着いた時には昼過ぎとなっていた。駅前の適当な飲食店にて昼食を取り、どこへ行こうかとなり、案内所でもらった地図とパンフレットを眺めた。そこで「文学のこみち」という興味深い名前を見つけ、行くことに。
あまり話そうとすると長くなりすぎるので簡単に話すと、とてもいいところだった。
そもそも、不勉強なおれは、湯河原が文学所縁の地だとは全然知らず、色々と感じることは多かったよな。長くなるんで、この件に関してはここまで。話し出すと長くなるのは、おれの悪いクセなのは、この駄文集でわかるだろ?
文学のこみちを歩き終えた頃には、ホテルのチェックインの時間も過ぎており、おれと麻生はバスに乗ってホテルまで向かった。
ホテルはキレイな所だった。フロントで鍵を受け取り、部屋に入る。和風の落ち着いた感じがおれはとても気に入った。
温泉に入って身体を清めると、夕飯の時間だ。豪奢な料理にヨダレを垂らすのを我慢しつつ、ゆっくりと、かつ大胆に料理を口に運ぶ。
食事のお供にはコンビニで買ったビールとウイスキー。いつもと違った環境下で飲む酒は、また一段と旨かった。
食事を終えると、テレビを見ながら、ダラダラと酒を飲んだ。そこで志村けんの訃報を聴いた。傷心の酒がおれのマインドを慰める。
志村けんーー最高のコメディアン。
そうか、志村けんが亡くなったか。例のウイルスが猛威を奮い始めた中でも、そして昨年のニュースの中でも最大級に大きな事件だった。
悲しさと虚しさがアルコールでボヤけた頭の中に染み入った。夜はまだ長いーー
【続く】