【丑寅は静かに嗤う~獄門】
文字数 2,901文字
村の外れは静けさに満ちている。
盗賊の襲撃によって喧騒巻き起こる村と違ってまるで死んだように静寂が広がっている。
桃川が甲子寺の門を走り抜けようとする。だが、桃川は何かを察知したように、刀に手を掛け、そのまま前に一回転して門を一気に潜る。
風が立つ。
瞬間的な風が立つ。
風と同時に鋭い刃ーー刀の刃が空を切る。
刀身に掘られた樋によって生じるビュンッ!という音が静寂の中でこだまする。
受け身を取り様、勢いで片ひざをついて屈んだ体制になり、体を半回転させる桃川。その視線の先にはーー
戌亥の仮面。
右手には妖しく光る刀身。だが、その刃はボロボロで、まったく研いでいないのがわかる。
「やりそこなったか……」戌亥が乾いた笑いを漏らす。「でも関係ねぇ。次はやる……」
刀を八相の形に構える戌亥。刀を天に突き刺さんとするようなその八相の構えは、まるで野太刀自顕流の構えを彷彿させる。
桃川はゆっくりと柄に手を掛ける。
空っ風が吹く。
木葉が舞う。
戌亥ーー刀をグッと握り締める。
桃川の目、戌亥の目。
桃川の顔から汗が垂れ、地面を濡らす。
先に動くは、戌亥。八相のまま声を上げて袈裟掛けに桃川に斬り掛かる。
桃川、それを刀を抜き様払いのける。その衝撃に桃川の顔が歪む。桃川は手が痺れたようになり怯み、その間に戌亥が二の手を次ぐ。
戌亥の戦法は単純そのもの。袈裟に斬りつけ、それがダメなら逆袈裟に斬り結ぶ。以下、それの繰り返し。技術さえあれば簡単に反撃できるようにも思えそうだが、そうはいかない。
戌亥の怪力が桃川を圧倒する。
戌亥の刀はまるで鈍器。打ち付ける衝撃が桃川を圧倒する。うしろずさる桃川。桃川の刀は根元から折れ、そして壁際に追い詰められる。
戌亥は勝利の愉悦を味わうかのように動きを瞬間的に緩めたかと思うと、それから一気に地面を蹴って桃川に飛び掛かる。
桃川、前に回って緊急回避。体勢を整え振り向き様に折れた刀を戌亥に投げつける。
折れた刀は戌亥の面に直撃。衝撃でふらつき、よろける戌亥。桃川は、すかさず鞘を抜き出し、戌亥の側頭部へと打ち付ける。
風の音がうるさく響く。
時間が止まったように動かないふたり。
桃川の鞘での一撃を喰らったまま何の動きも見せない戌亥。戌亥をじっと見つめ残心を取る桃川。土埃が舞い上がり、風がふたりの衣服と髪をなびかせる。
戌亥の身体が大きく揺らぐ。そして、そのままうしろに倒れ、大きく大の字になる。
桃川は気を抜くことなく、依然として残心を取っている。動かない。
桃川も倒れた戌亥も動きはしない。が、戌亥が立ち上がらないのを見て取ってか、桃川は徐に鞘を下ろし、そのまま残心を取りながら、ゆっくりと戌亥に近づく。
近づく。
近づく、ゆっくりと……。
戌亥は動かない。だが、桃川は残心を解かない。戌亥のすぐ傍まで来ると桃川は、刀を握る戌亥の右手の手首を左足で踏みつける。
うっすらと動く戌亥ーーだが、起き上がる気配はなく、反撃してくる様子もない。
桃川はゆっくりと戌亥の面に鞘を掛け、そのまま一気に面を除ける。
「桃川さんッ!」
寺の門のほうから男の声が。声のしたほうへ桃川が振り向くと、その先には男と女。お雉と猿田。どうやら無事だったようだ。
「猿田さんッ! お雉さんッ!」
猿田とお雉が桃川の元までたどり着く。走る足を緩め、桃川の前で足を止める。
猿田ーー吐く息は若干乱れてはいるが、そこまで疲れてはいない。腰には黒い柄巻の刀が差してある。お雉はまったく疲れた様子はなく、息もまったく上がっていない。
「大丈夫ですか?」猿田が訊ねる。
「えぇ」
「よかった、無事で……」今にも崩れ落ちそうな具合で、お雉はいった。
「おふたりもご無事で何よりです。それより、盗賊たちは?」
「全員引き上げました。あとはーー」戌亥に視線をやる猿田ーー「コイツ……ッ!」
猿田が真に迫った表情を浮かべる。それもそうだろう。仮面の下、戌亥の素顔は、ついさっき酒場で会ったばかりの男ーー
犬蔵という流れの商人だったのだ。
「何、知り合い?」お雉。
「最近、村に出入りしていた流れの商人だ。胡散臭いヤツだとは思っていたが……」猿田はハッとし、「それより桃川さん。寺のほうは?」
「それが、ちょうど門を潜ったところで襲われまして、これから向かうところです」
猿田の目が桃川の右手の鞘へ向く。
「その鞘は……、刀はどうしました?」
「それが、犬蔵さんの力と勢いが凄まじくて、刀身を折られてしまいました」
「そうですか。ならーー」猿田は腰に差された刀を抜き取り、桃川に差し出し、「これを持っていって下さい」
「それは……」
「何、盗賊の刀を貰ったまでです。一番マシなモノを取って来たとはいえ、どうせロクに手入れもしてないでしょうから、切れ味は保証できませんけどね。仮に斬れなくとも、刺すのなら問題ないでしょう」
「そうですか……、ではありがたく」
桃川は猿田から盗賊の刀を受け取ると、それを腰に差して、
「では、ここは頼みます!」
と、本堂のほうへと走り去る。桃川の背中を見送る猿田とお雉。猿田は桃川を送り出すような真摯な顔、お雉は不安げに顔を歪めている。
桃川の姿が見えなくなると、猿田は犬蔵の刀をもぎ取り眺める。
「……酷ぇな、これ」
「何が?」
「見ろよ、物打から鍔元まで刃溢れだらけだ」
猿田が犬蔵のボロボロの刀を掲げると、お雉はそれを見て、
「うわぁ、酷い。全然手入れしてないんだ」
「それもそうだろうけどーー」猿田が突然に口をつぐむ。
「何、どうしたの?」
「この柄巻を見てみ。縁金のすぐ下と柄の真ん中から少し下辺りがボロボロになってる」
「それがどうしたの?」
「クソ握りしてるってことだよ」
クソ握りとは、刀を握る際に、親指、人差し指、中指の上三本の指で強く握り込む握り方。本来は薬指と小指で握り、遊びを作って握るのが正しく、そうすると柄巻は中心からやや上と柄頭のやや上辺りに解れができる。だが、クソ握りの場合はその逆となる。
「んー、それはわかったけど、だとしたら何だっていうの?」
「技術もへったくれもない刀の使い方をしてるってことだ。桃川さんは力と勢いが凄まじくて刀が折られたっていっていた。それとこの刃溢れの仕方から見て、恐らく、コイツは薬丸自顕流の使い手だろう。まぁ、大した腕じゃないだろうけどな」
「薬丸自顕流かぁ」
薬丸自顕流ーー通称「野太刀自顕流」は、位のある武士が嗜んだ本家の自顕流とは異なり、薩摩の下級武士が身につけた剣術といわれている。その戦術は力と勢いで敵を捩じ伏せるというモノで、敵の勢力を少しでも削ることができれば、その命は問題ではないという相討ち剣、野蛮極まりないモノだった。
「でも、どうしてあんな盗賊がそんな剣術を使ってるの?」お雉が訊く。
「恐らく、ヤツラの戦術の基盤なんだろう」
「となると……」
風が吹く。土埃が舞う。
「……コイツは、もう少し生かしておかなきゃな」
猿田のひとことにお雉が静かに頷く。犬蔵は死んだようにピクリともしない。
真っ赤な夕陽がまるで血を流した心臓のように蠢いているーー
【続く】
盗賊の襲撃によって喧騒巻き起こる村と違ってまるで死んだように静寂が広がっている。
桃川が甲子寺の門を走り抜けようとする。だが、桃川は何かを察知したように、刀に手を掛け、そのまま前に一回転して門を一気に潜る。
風が立つ。
瞬間的な風が立つ。
風と同時に鋭い刃ーー刀の刃が空を切る。
刀身に掘られた樋によって生じるビュンッ!という音が静寂の中でこだまする。
受け身を取り様、勢いで片ひざをついて屈んだ体制になり、体を半回転させる桃川。その視線の先にはーー
戌亥の仮面。
右手には妖しく光る刀身。だが、その刃はボロボロで、まったく研いでいないのがわかる。
「やりそこなったか……」戌亥が乾いた笑いを漏らす。「でも関係ねぇ。次はやる……」
刀を八相の形に構える戌亥。刀を天に突き刺さんとするようなその八相の構えは、まるで野太刀自顕流の構えを彷彿させる。
桃川はゆっくりと柄に手を掛ける。
空っ風が吹く。
木葉が舞う。
戌亥ーー刀をグッと握り締める。
桃川の目、戌亥の目。
桃川の顔から汗が垂れ、地面を濡らす。
先に動くは、戌亥。八相のまま声を上げて袈裟掛けに桃川に斬り掛かる。
桃川、それを刀を抜き様払いのける。その衝撃に桃川の顔が歪む。桃川は手が痺れたようになり怯み、その間に戌亥が二の手を次ぐ。
戌亥の戦法は単純そのもの。袈裟に斬りつけ、それがダメなら逆袈裟に斬り結ぶ。以下、それの繰り返し。技術さえあれば簡単に反撃できるようにも思えそうだが、そうはいかない。
戌亥の怪力が桃川を圧倒する。
戌亥の刀はまるで鈍器。打ち付ける衝撃が桃川を圧倒する。うしろずさる桃川。桃川の刀は根元から折れ、そして壁際に追い詰められる。
戌亥は勝利の愉悦を味わうかのように動きを瞬間的に緩めたかと思うと、それから一気に地面を蹴って桃川に飛び掛かる。
桃川、前に回って緊急回避。体勢を整え振り向き様に折れた刀を戌亥に投げつける。
折れた刀は戌亥の面に直撃。衝撃でふらつき、よろける戌亥。桃川は、すかさず鞘を抜き出し、戌亥の側頭部へと打ち付ける。
風の音がうるさく響く。
時間が止まったように動かないふたり。
桃川の鞘での一撃を喰らったまま何の動きも見せない戌亥。戌亥をじっと見つめ残心を取る桃川。土埃が舞い上がり、風がふたりの衣服と髪をなびかせる。
戌亥の身体が大きく揺らぐ。そして、そのままうしろに倒れ、大きく大の字になる。
桃川は気を抜くことなく、依然として残心を取っている。動かない。
桃川も倒れた戌亥も動きはしない。が、戌亥が立ち上がらないのを見て取ってか、桃川は徐に鞘を下ろし、そのまま残心を取りながら、ゆっくりと戌亥に近づく。
近づく。
近づく、ゆっくりと……。
戌亥は動かない。だが、桃川は残心を解かない。戌亥のすぐ傍まで来ると桃川は、刀を握る戌亥の右手の手首を左足で踏みつける。
うっすらと動く戌亥ーーだが、起き上がる気配はなく、反撃してくる様子もない。
桃川はゆっくりと戌亥の面に鞘を掛け、そのまま一気に面を除ける。
「桃川さんッ!」
寺の門のほうから男の声が。声のしたほうへ桃川が振り向くと、その先には男と女。お雉と猿田。どうやら無事だったようだ。
「猿田さんッ! お雉さんッ!」
猿田とお雉が桃川の元までたどり着く。走る足を緩め、桃川の前で足を止める。
猿田ーー吐く息は若干乱れてはいるが、そこまで疲れてはいない。腰には黒い柄巻の刀が差してある。お雉はまったく疲れた様子はなく、息もまったく上がっていない。
「大丈夫ですか?」猿田が訊ねる。
「えぇ」
「よかった、無事で……」今にも崩れ落ちそうな具合で、お雉はいった。
「おふたりもご無事で何よりです。それより、盗賊たちは?」
「全員引き上げました。あとはーー」戌亥に視線をやる猿田ーー「コイツ……ッ!」
猿田が真に迫った表情を浮かべる。それもそうだろう。仮面の下、戌亥の素顔は、ついさっき酒場で会ったばかりの男ーー
犬蔵という流れの商人だったのだ。
「何、知り合い?」お雉。
「最近、村に出入りしていた流れの商人だ。胡散臭いヤツだとは思っていたが……」猿田はハッとし、「それより桃川さん。寺のほうは?」
「それが、ちょうど門を潜ったところで襲われまして、これから向かうところです」
猿田の目が桃川の右手の鞘へ向く。
「その鞘は……、刀はどうしました?」
「それが、犬蔵さんの力と勢いが凄まじくて、刀身を折られてしまいました」
「そうですか。ならーー」猿田は腰に差された刀を抜き取り、桃川に差し出し、「これを持っていって下さい」
「それは……」
「何、盗賊の刀を貰ったまでです。一番マシなモノを取って来たとはいえ、どうせロクに手入れもしてないでしょうから、切れ味は保証できませんけどね。仮に斬れなくとも、刺すのなら問題ないでしょう」
「そうですか……、ではありがたく」
桃川は猿田から盗賊の刀を受け取ると、それを腰に差して、
「では、ここは頼みます!」
と、本堂のほうへと走り去る。桃川の背中を見送る猿田とお雉。猿田は桃川を送り出すような真摯な顔、お雉は不安げに顔を歪めている。
桃川の姿が見えなくなると、猿田は犬蔵の刀をもぎ取り眺める。
「……酷ぇな、これ」
「何が?」
「見ろよ、物打から鍔元まで刃溢れだらけだ」
猿田が犬蔵のボロボロの刀を掲げると、お雉はそれを見て、
「うわぁ、酷い。全然手入れしてないんだ」
「それもそうだろうけどーー」猿田が突然に口をつぐむ。
「何、どうしたの?」
「この柄巻を見てみ。縁金のすぐ下と柄の真ん中から少し下辺りがボロボロになってる」
「それがどうしたの?」
「クソ握りしてるってことだよ」
クソ握りとは、刀を握る際に、親指、人差し指、中指の上三本の指で強く握り込む握り方。本来は薬指と小指で握り、遊びを作って握るのが正しく、そうすると柄巻は中心からやや上と柄頭のやや上辺りに解れができる。だが、クソ握りの場合はその逆となる。
「んー、それはわかったけど、だとしたら何だっていうの?」
「技術もへったくれもない刀の使い方をしてるってことだ。桃川さんは力と勢いが凄まじくて刀が折られたっていっていた。それとこの刃溢れの仕方から見て、恐らく、コイツは薬丸自顕流の使い手だろう。まぁ、大した腕じゃないだろうけどな」
「薬丸自顕流かぁ」
薬丸自顕流ーー通称「野太刀自顕流」は、位のある武士が嗜んだ本家の自顕流とは異なり、薩摩の下級武士が身につけた剣術といわれている。その戦術は力と勢いで敵を捩じ伏せるというモノで、敵の勢力を少しでも削ることができれば、その命は問題ではないという相討ち剣、野蛮極まりないモノだった。
「でも、どうしてあんな盗賊がそんな剣術を使ってるの?」お雉が訊く。
「恐らく、ヤツラの戦術の基盤なんだろう」
「となると……」
風が吹く。土埃が舞う。
「……コイツは、もう少し生かしておかなきゃな」
猿田のひとことにお雉が静かに頷く。犬蔵は死んだようにピクリともしない。
真っ赤な夕陽がまるで血を流した心臓のように蠢いているーー
【続く】