【指導者への道】

文字数 1,039文字

 居合の稽古だったワケだ。

 いつもは師匠のもとで稽古をつけて頂く立場なのだけど、今日は師匠の命で自分が指導する立場。

 流石に四段ともなると、教わってばかりでなく、人に教えることも含めて稽古して行かなければならないのは言うまでもなく、自分でもわかっているつもりだ。

 しかし、人に何かを教えるのは本当に難しい。

 そこに必要なのは背骨の通った「生きたことば」で、理のないデタラメではない。背骨の通った「生きたことば」は人を成長させるが、理のないデタラメは人から時間と機会と可能性を奪う。

 おれは人にモノを教える以上、その人の時間と機会と可能性を奪いたくない。

  だからこそ、人に何かを教える時は一層緊張するし、慎重にもなる。

 加えて言うなら、背骨のないデタラメや適当なことばかり言って自分の意見を押し付けることしかできない手合は論外だと思っている。言い換えれば、指導者でもないのに、間違ったことをさも正しいんだぞと、偉そうに上から言ってくるヤツは相手にすらしたくない、ということだ。

 大体、そういった手合は人からあらゆるモノを奪っている自覚がない上に、自分が巧者のように振る舞うからタチが悪い。

 だが、残念ながら、そういった手合で素晴らしいモノを持っている者は殆どいない。これは自分の襟を正せないヤツが大したファッションをしていないのと同じ理屈だ。

 そして、少しキツイことを言ってしまうと、こういった人種をこそ『老害』と云うのだと思う。

 これは年が行ってようが若かろうが、関係ない。何故なら、これは性質の問題だから。

 さて、ここでひとつ言えるのは、

「モノを教えるのが上手い人は、モノを教わるのが上手い人だ」

 ということだ。

 非凡な才能がない限り、人の話をまともに聴けない人が、人に何かを教えられるワケがない。何故なら、人の話を受け入れられない人間のことばには「背骨がない」から。要は中身がないから説得力に欠けるということだ。

 だからこそ、何をやるにしても慎重に自問しながらトライ・アンド・エラーを繰り返していくのが大事なんだと思う。

 人の話に耳を傾け、その内容を考え吟味し、それを具体化しようと試みる。それが出来る人こそが「教え上手」になるのだと思う。

 人にモノを教えるためには、自分の襟元も気にしなければならない。

 ロッキングチェアにふん反り返って誰かを見下すようなマネは死んでもしたくないし、そんなことをしないよう、強く自戒しなければならないと思う。

 指導者への道は長く険しい。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み