【いろは歌地獄旅~ルージング~】

文字数 2,575文字

 敗北は死ということばがあった気がする。

 誰がいったかは覚えていないけど、それは正しいと思う。敗北は死、戦場において、それは法律であり、他の何物でもない。

 敗北し、恥を忍んでまで生き続ける価値はこの世にあるのだろうか。それならば、死して恥を絶ち切るほうが余程いいのではないか。

 空を飛ぶクロガネの鳥が、鋼鉄の糞と小便を撒き散らす。家屋は吹き飛び倒壊し、街は燃え上がり、地獄のような光景を写し出す。

 枯れ葉と禿げた木々のようになった街並みーーそして気づけば、あれだけ偉そうにしていた連中が項垂れて罪深そうな表情をしている。

 これが敗北かーー不意にそう思う。

 ぼくは地面にたまった泥の水溜まりを覗き込む。いくら水が濁っていようと、ぼくの顔は水面に反射して鮮明に写り込む。何とも皮肉な話だ。この世の中、正義とされていたモノが一日にして崩れ去り、悪とされる瞬間が来ることを、ぼくはその時になって初めて知った。

 闇市をうろついていると、そこには雑多な景色。人、人ーー人、人の海の中を泳ぎ回る。露店に飾られた豚の頭。これを煮て食べたら美味しいだろうと思わずヨダレが垂れる。

 だが、当たり前のように値段の高い闇市の商品を子供の自分が買えるワケなどない。ぼくは銀シャリで握られた上物の寿司を眺め、それを貪る軍服の日本人を見て羨む。

 同じ日本人だというのに天と地だ。お国のためと拳を振り上げてメリケンに戦いを挑んだかと思えば、神風で玉砕して英霊になることもなしに、今じゃ偉そうに銀シャリの寿司を食べている。何とも哀れな話だ、とぼくは思う。

 ぼくは泥まみれの石を拾い上げ、銀シャリの寿司を頬張る無様な元兵隊に石を投げてやる。

 命中。

 背中に違和感を抱いた元兵隊はすぐさま振り返り、何があったのかキョロキョロと辺りを見回す。だが、ぼくは雑踏に隠れて姿を消す。それでかわからないが、元兵隊も気のせいとでも思ったのだろう。すぐに食事へ戻ろうとする。

 ぼくはもう一度石を投げてやろうと、地面に転がる特に大きな泥だらけの石を拾い上げる。

 突然の警報が鳴り響く。戦争は終わったというのにーーぼくは思わず、その場に伏せようとしてしまう。他の通行人は、あたふたするか、ぼくと同様身を隠そうとするか、だ。

 警報が近づく。同時に自動車の音がドゥクドゥクと聴こえてくる。ぼくは音のするほうへ目をやる。と、そこにはーー

 MPの姿がある。

 MP、たしか名前を「ミリタリィ・ポリース」とかいうのだったろうか。ぼくも何となくそういう名前を聴いただけなので、正式な名前は知らなかった。

 だが、ウワサで聴いていたMPの隊員たちを実際に見ると、その迫力は想像以上だ。肌は白く背は鬼のように大きい。制服はぼくらの着ている薄汚れた服とは比べモノにならないくらいキレイで、まさに勝利者の風格を有している。

 MPたちはしかめた面を引っ提げて闇市を歩き回る。多分その存在が気に食わないのだろう。それはそうだ。米軍の許しもなく、あれやこれやと物資を提供しているのだから。

 MPの隊員たちは、とある露店の店主に因縁をつけ始める。明らかに困惑している店主。これまで散々横文字、英語を禁じられて生きてきたというのに、唐突に英語で話し掛けられれば、相手が何をいっているかもわからないのは当たり前の話。わかるのは、相手の喋る勢いや調子だけで、ぼくら日本人に出来ることはそれを頼りに感情がどんなものか、と推測することだけだ。といっても、怒りと嘲笑以外のことをMPが喋るとはまったく思わなかったが。

 ぼくは先程から銀シャリの寿司を食べている元日本兵に目をやる。だが、日本兵は肩を狭めて俯くばかりだ。先程までの寿司を頬張る威勢は一体何処に行ってしまったのだろう。だが、それでもぼくはわかっていた。そうーー

 これこそが、勝者と敗者の差、なのだと。

 日本兵がどんなに偉そうにしたところで、メリケンの兵隊たちには勝てっこないのだ。そう、あの広島と長崎に落とされたピカドンによって、格付けはとっくに済まされてしまっていた。

 恐怖に戦く人々を尻目に、ぼくは手にグッと握り締めていた泥まみれの大きな石をMPのひとりに向かって思い切り投げつける。

 石がMP隊員の横顔に当たる。

 思った以上にキレイに当たってしまったようで、石が当たったMP隊員は呻きながらその場にうずくまってしまう。

 その突然の出来事に、他のMP隊員たちは辺りを見回し、そしてぼくのほうへと目を向ける。手を伸ばし、ぼくのほうを指すと、隊員たちはこちらに向かって走ってくる。

 ぼくは逃げる。雑踏の中を泳ぎ、人の波を掻き分け、遠くへ、どこまでも遠くへ逃げる。

 全速力で走ったからか、雑踏を抜け出し少し行くと、ぼくはヘトヘト。脚は縺れ、ぼくはその場で勢いよく一回転して転んでしまった。

 仰向けになって倒れると、ぼくの目に何処までも続く青い空が広がっている。少し前まで、赤黒かった空も、今ではすっかり青くなっている。だが、その青さがどこか皮肉めいているようで、何だか恨めしかった。

 ぼくは大声で豪快に笑う。理由は自分でもわからなかった。何だかわからないけど、何故か笑いが止まらなかったのだ。そしてーー、

 唐突に涙がこぼれる。

 可笑しいじゃないか。ぼくは今、笑っているというのに、どうして涙が出るのだろう。

 悲しいワケではないはずなのに、どうして涙が止まらないのだろう。

 クソッ、クソッーークソッ!

 呪詛のことばが止まらない。どうして、どうして負けたのだ! こんなことになるくらいならば、ぼくも死んでしまえば良かった。いや、ほんとは死ぬのが怖くて仕方がないのだ。

 やりきれない想いがぼくの頭を、まるで日本中を植民地にしたメリケンのように占拠する。

 ぼくは前腕で涙を乱暴に拭う。

 上で何かを踏み締める音ーーぼくは地面で大の字になったまま上を見上げる。そこにはーー

 鉄の棒を持ったMP隊員が数人。

 そして、その奥にいるのは片方の横面が赤く腫れた隊員の姿ーー。

 ギブ・ミー・チョコレートなんて冗談じゃなかった。負けて、すべてを失って。誇りも矜持も何もない。だからこそ、捨て身で戦うしかなかった。でも、これがぼくにとって似合いの最期だったのかもしれない。

 ぼくはMPに向かって、ふと微笑するーー
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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