【いろは歌地獄旅~薄れた記憶~】
文字数 2,954文字
千切れた腕が泥水へと落ちる。
弾ける悲鳴。ぬかるんだ地面の一角が鮮血に染まると、その場にいた男たちはみな一様に撃たれた男へと注目する。
切れた右腕を左手で庇う男。だが、そうしていられるのも数秒が限界だった。
空気を裂くような銃声が轟く。
右腕が千切れた男、その頭がダイナマイトのように炸裂する。倒れた男の頭からは血の混じった脳漿が弾け飛んでいる。
「隠れろ! ヤツは何処かから狙ってる!」
黒のテンガロンハットを被った細身の若い男がいうと、回りの、やはりテンガロンハットを被った連中も慌てて建物の陰に身を隠す。
19世紀、西部の開拓も終わりを告げる頃のことだ。アメリカとメキシコの国境近くにある街、サンペウロでは殆ど雨が降らず、一年の内の殆どにおいて地面は乾いている。
だが、数日前、そんなサンペウロに雨が降った。どしゃ降りの雨だった。そんな最中、ひとりの男が現れた。
男は、身長5フィート7インチ程度の比較的小柄で、贅肉はややついているくらい。肥満というには痩せすぎているが、痩身というには太りすぎている。年齢は不詳だが、真っ白なうしろに撫で付けた髪と口髭が特徴的だった。
男は突如、街に現れたかと思うと、どしゃ降りのサンペウロを硝煙と鮮血で満たし、次々と死体の山を築いていった。
サンペウロの街にはまともな一般人はひとりもいなかった。街自体がメキシカン・ギャング『ロス・インディオ』に乗っ取られ、まともなヤツはみな殺されるか、追い出されるかしてしまったからだった。
つまり、このサンペウロという街全体が、ロス・インディオのアジトになっていた。
街には近隣から配給が来ることになっており、食料やその他必要な物資の心配をすることはない。とはいえ、そうなっているのもロス・インディオによる暴力的支配の賜物なのだが。
だからこそ、サンペウロに近づこうとする者は殆どいなかった。賞金稼ぎすらも近づきたがらず、仮に街に入ろうモノならば、一生出てこれない、といったザマだった。
だが、男は街へ侵入し、インディオのメンバー数人をどしゃ降りと泥濘の中で撃ち殺した。
その銃痕から見て、男が使っているのは、カートリッジ式の拳銃で間違いはなかった。
そこで、インディオのボスである『マリオ』は翌日の雨上がりに、インディオのメンバーを総動員して街全体での侵入者捜索を始めた。
だが、捜索は不振だった。
郊外から街の中心へ、また中心から郊外へという波を描くような捜索体系を取ったにも関わらず、男の姿は見当たらなかった。
が、突如、銃声は轟いたのだ。
その肉体を引き裂くとてつもない威力はウィンチェスターのライフルによるモノだと思われた。黒のテンガロンハットを被った細身の男ーーインディオのリーダーであるマリオは、突然の奇襲に対し即座に仲間に隠れるよういった。
が、久しぶりのどしゃ降りでぬかるんだ地面は底なしの沼のように走る男たちのブーツを飲み込んで行く。
またもやライフルの銃声が轟く。
と、後頭部が炸裂する者がまたひとり。その威力におののくインディオのメンバーたち。またひとり、今度は喉を撃ち抜かれ絶命する。
マリオは何とか近場のサロンに隠れる。他の者たちはどうしているか探るようにハットを脱ぎ、ゆっくりとスウィングドアの隙間から顔を出して辺りを伺う。
何もない。一体ヤツは何処から狙撃しているのか。それがわからない限りは下手なことも出来ない。街全体が自分たちのアジトということもあって下手な鉄砲を売ったり、ダイナマイトを使えば後が面倒だ。
結局、インディオは街全体を「人質」として握られている限り、下手なことは出来ない。
突然の爆音。
マリオは身体を大きく強張らせ、震わせる。ダイナマイト。それに爆音に混じっていくつかの男たちの悲鳴。
間違いない。男はインディオのメンバーの動きに制約があることを知っている。でなければ、ここまでド派手なことはやれない。
マリオはSAAから使用済の弾を排し、新しい弾を籠める。耳を澄ます。ライフルならば、射った後にレバーをコッキングしなければならない。銃声は拡散し、おおよその場所までしかわからないが、レバーコッキングの音ぐらいならそこまで拡散することはない。
つまり、排莢の音に耳を澄ませば、まだ男の居場所を探り当てることが出来るに違いない。
マリオはゆっくりとSAAの撃鉄を起こす。
……いや、違う!
ライフルの銃声は連続していない。オマケに野郎はダイナマイトまで使っている。
ならば、勢いでライフルを撃つことを避けているということだ。それはすなわち、コッキングと薬莢が地面を叩く音を可能な限り殺しているということだ。
マリオは目をつむり、頭を抱える。自分の思惑が如何に浅はかだったか。まるで、そんな思いを反省するように。
また銃声、そして悲鳴。これで一体何人が殺されただろう。何者だ。一体何者なんだ。マリオの表情は恐れに満ちている。
今まで、インディオに銃口を向けた者は五分と生きていた者はいなかった。それがーー
「マリオ・ロッホ」マリオを呼ぶ重い声に、マリオはハッとする。「出て来たらどうだ。仲間はみんな地獄へ行っちまったぜ」
マリオは静かに外を伺う。インディオのメンバーと同じ数だけの寝かされたブーツとその上には膨らみを持ち、凸凹した大きな布。その凸凹とブーツを頼りに、マリオは指で数を数える。三つまでしか数を数えられないマリオにとって、何度三つを積み重ねるか、それでメンバーの数を管理していた。
一、二、三、一、二、三、一……
間違いない、メンバー全員分の死体がそこにある。だが、観念してこのまま出ていけば、ウィンチェスターの餌食になるだけだ。
「誰がライフルの餌食になりに出て行くか! 全員死んだのは確認した! だけどな、おれはテメェから棺桶に入りに行くつもりはねぇ!」
マリオのことばが街に響く。残響が聴こえる。それから少しして、
「……確かにそうだな。いいだろう」
ベチャッという汚ならしい音がし、マリオはその音のほうを見る。そこにはウィンチェスターが一丁。銃口は北を向き、引き金は西を向いている。ということは、男がいるのは西……。
「どうしてライフルが一丁だとわかる。それに、そのまま出て行って拳銃のカートリッジの餌食になりに行く理由はーー」
突如、マリオの頭が弾け飛ぶ。
横に倒れ、ほんの僅かに残った意識を凝らして、歪み行く視界に集中する。
足音。ぬかるんだ足音。割れたガラスにその窓際、壁を挟んだそこには白髪に口髭の男がひとり立ちすくんでいる。
しまった。そう思った時にはもう遅い。
マリオの手はもう動かない。SAAを構えようにも、神経はいうことを聞かない。
「最期に教えてやる」白髪の男がいう。「どんな時でも人を信じちゃダメなのさ。況してや、音を立てるなんてバカのすることだぜ」
マリオは口を動かして話そうとする。が、もはや息しか出て来ない。
歪む視界、その奥に佇む白髪の男の姿がマリオにはやけに懐かしく感じられた。
何処かでかいだ懐かしいにおい。
まるで故郷に帰ったような。だが、その意識はすぐに闇に包まれた。
白髪の男の微笑む姿は、何処か寂しそうだった。
弾ける悲鳴。ぬかるんだ地面の一角が鮮血に染まると、その場にいた男たちはみな一様に撃たれた男へと注目する。
切れた右腕を左手で庇う男。だが、そうしていられるのも数秒が限界だった。
空気を裂くような銃声が轟く。
右腕が千切れた男、その頭がダイナマイトのように炸裂する。倒れた男の頭からは血の混じった脳漿が弾け飛んでいる。
「隠れろ! ヤツは何処かから狙ってる!」
黒のテンガロンハットを被った細身の若い男がいうと、回りの、やはりテンガロンハットを被った連中も慌てて建物の陰に身を隠す。
19世紀、西部の開拓も終わりを告げる頃のことだ。アメリカとメキシコの国境近くにある街、サンペウロでは殆ど雨が降らず、一年の内の殆どにおいて地面は乾いている。
だが、数日前、そんなサンペウロに雨が降った。どしゃ降りの雨だった。そんな最中、ひとりの男が現れた。
男は、身長5フィート7インチ程度の比較的小柄で、贅肉はややついているくらい。肥満というには痩せすぎているが、痩身というには太りすぎている。年齢は不詳だが、真っ白なうしろに撫で付けた髪と口髭が特徴的だった。
男は突如、街に現れたかと思うと、どしゃ降りのサンペウロを硝煙と鮮血で満たし、次々と死体の山を築いていった。
サンペウロの街にはまともな一般人はひとりもいなかった。街自体がメキシカン・ギャング『ロス・インディオ』に乗っ取られ、まともなヤツはみな殺されるか、追い出されるかしてしまったからだった。
つまり、このサンペウロという街全体が、ロス・インディオのアジトになっていた。
街には近隣から配給が来ることになっており、食料やその他必要な物資の心配をすることはない。とはいえ、そうなっているのもロス・インディオによる暴力的支配の賜物なのだが。
だからこそ、サンペウロに近づこうとする者は殆どいなかった。賞金稼ぎすらも近づきたがらず、仮に街に入ろうモノならば、一生出てこれない、といったザマだった。
だが、男は街へ侵入し、インディオのメンバー数人をどしゃ降りと泥濘の中で撃ち殺した。
その銃痕から見て、男が使っているのは、カートリッジ式の拳銃で間違いはなかった。
そこで、インディオのボスである『マリオ』は翌日の雨上がりに、インディオのメンバーを総動員して街全体での侵入者捜索を始めた。
だが、捜索は不振だった。
郊外から街の中心へ、また中心から郊外へという波を描くような捜索体系を取ったにも関わらず、男の姿は見当たらなかった。
が、突如、銃声は轟いたのだ。
その肉体を引き裂くとてつもない威力はウィンチェスターのライフルによるモノだと思われた。黒のテンガロンハットを被った細身の男ーーインディオのリーダーであるマリオは、突然の奇襲に対し即座に仲間に隠れるよういった。
が、久しぶりのどしゃ降りでぬかるんだ地面は底なしの沼のように走る男たちのブーツを飲み込んで行く。
またもやライフルの銃声が轟く。
と、後頭部が炸裂する者がまたひとり。その威力におののくインディオのメンバーたち。またひとり、今度は喉を撃ち抜かれ絶命する。
マリオは何とか近場のサロンに隠れる。他の者たちはどうしているか探るようにハットを脱ぎ、ゆっくりとスウィングドアの隙間から顔を出して辺りを伺う。
何もない。一体ヤツは何処から狙撃しているのか。それがわからない限りは下手なことも出来ない。街全体が自分たちのアジトということもあって下手な鉄砲を売ったり、ダイナマイトを使えば後が面倒だ。
結局、インディオは街全体を「人質」として握られている限り、下手なことは出来ない。
突然の爆音。
マリオは身体を大きく強張らせ、震わせる。ダイナマイト。それに爆音に混じっていくつかの男たちの悲鳴。
間違いない。男はインディオのメンバーの動きに制約があることを知っている。でなければ、ここまでド派手なことはやれない。
マリオはSAAから使用済の弾を排し、新しい弾を籠める。耳を澄ます。ライフルならば、射った後にレバーをコッキングしなければならない。銃声は拡散し、おおよその場所までしかわからないが、レバーコッキングの音ぐらいならそこまで拡散することはない。
つまり、排莢の音に耳を澄ませば、まだ男の居場所を探り当てることが出来るに違いない。
マリオはゆっくりとSAAの撃鉄を起こす。
……いや、違う!
ライフルの銃声は連続していない。オマケに野郎はダイナマイトまで使っている。
ならば、勢いでライフルを撃つことを避けているということだ。それはすなわち、コッキングと薬莢が地面を叩く音を可能な限り殺しているということだ。
マリオは目をつむり、頭を抱える。自分の思惑が如何に浅はかだったか。まるで、そんな思いを反省するように。
また銃声、そして悲鳴。これで一体何人が殺されただろう。何者だ。一体何者なんだ。マリオの表情は恐れに満ちている。
今まで、インディオに銃口を向けた者は五分と生きていた者はいなかった。それがーー
「マリオ・ロッホ」マリオを呼ぶ重い声に、マリオはハッとする。「出て来たらどうだ。仲間はみんな地獄へ行っちまったぜ」
マリオは静かに外を伺う。インディオのメンバーと同じ数だけの寝かされたブーツとその上には膨らみを持ち、凸凹した大きな布。その凸凹とブーツを頼りに、マリオは指で数を数える。三つまでしか数を数えられないマリオにとって、何度三つを積み重ねるか、それでメンバーの数を管理していた。
一、二、三、一、二、三、一……
間違いない、メンバー全員分の死体がそこにある。だが、観念してこのまま出ていけば、ウィンチェスターの餌食になるだけだ。
「誰がライフルの餌食になりに出て行くか! 全員死んだのは確認した! だけどな、おれはテメェから棺桶に入りに行くつもりはねぇ!」
マリオのことばが街に響く。残響が聴こえる。それから少しして、
「……確かにそうだな。いいだろう」
ベチャッという汚ならしい音がし、マリオはその音のほうを見る。そこにはウィンチェスターが一丁。銃口は北を向き、引き金は西を向いている。ということは、男がいるのは西……。
「どうしてライフルが一丁だとわかる。それに、そのまま出て行って拳銃のカートリッジの餌食になりに行く理由はーー」
突如、マリオの頭が弾け飛ぶ。
横に倒れ、ほんの僅かに残った意識を凝らして、歪み行く視界に集中する。
足音。ぬかるんだ足音。割れたガラスにその窓際、壁を挟んだそこには白髪に口髭の男がひとり立ちすくんでいる。
しまった。そう思った時にはもう遅い。
マリオの手はもう動かない。SAAを構えようにも、神経はいうことを聞かない。
「最期に教えてやる」白髪の男がいう。「どんな時でも人を信じちゃダメなのさ。況してや、音を立てるなんてバカのすることだぜ」
マリオは口を動かして話そうとする。が、もはや息しか出て来ない。
歪む視界、その奥に佇む白髪の男の姿がマリオにはやけに懐かしく感じられた。
何処かでかいだ懐かしいにおい。
まるで故郷に帰ったような。だが、その意識はすぐに闇に包まれた。
白髪の男の微笑む姿は、何処か寂しそうだった。