【真昼の星に手を伸ばし】
文字数 2,232文字
本番には強いほうだろうか?
こればかりは個人の度胸というか、性質というか、そういったモノが強く関係してくるのでは、と思うのだけど、逆にいってしまうと、
本番に強い、とはどういうことなのか、ということである。
そういわれてどう答えるだろうか。やはり、練習や稽古の時よりもいい結果を出すということだろうか。あるいは、本番の緊張に飲まれない鋼のようなマインドを持っていることだろうか。それとも、練習や稽古の時と何ひとつ変わらないようなパフォーマンスができる、ということになるのだろうか。
これはいってしまえば、様々な形態が存在するのではないか、と思うのだ。
どんなに緊張していても、練習時よりもいい結果を出せるポテンシャルがあるというのは、本番に強いということになるだろう。
そもそも緊張なんて概念が存在しないというくらいに揺れないこころを持っているということもあるだろう。
そして、当然、何も変わらない、まるで職人のようにいつもと同じような働きぶりを見せることが出来る、というのも本番に強いということにもなるのではないか、と思うのだ。
上で話した三通り、そのどれもが「本番に強い」ということになるだろうし、もしかしたら、それ以外でも「本番に強い」という別の形態が存在するのかもしれない。
では、肝心のおれはどうか。
これは過去に何度も話していることなのだけど、おれという人間は本番には弱いほうだーー少なくとも自分ではそう思っている。
過去、何度か、「お前は本番に強い」だとか、「本番前だというのに、何で緊張しないのか」だとか、「緊張とは無縁の生き方だな」とかいわれたことはあるけど、個人的にはそんなことは思ったことがない。
そもそも、おれのベースにあるのは「緊張しい」という性質であって、緊張に動じないような鋼のマインドは持っていない。
本番前には袖中で、「帰りたい」、「止めときゃ良かった」など、アホみたいな弱音を平気で吐くし、本番に強いという地点から最も遠い場所に存在しているのがおれだと思っている。
では、どうしておれが本番に強いといわれがちなのか。
それは、自分の緊張している姿が全然深刻に見えないから、だと思う。
そもそも楽屋や控え室では、いつも下らない話ばかりしているし、本番は本番で自棄になってメチャクチャなことをやり出してしまう。そんな姿を誤解されて「本番に強い」と思われる原因となっているのだと思うのだ。
だが、断じていえるのは、おれは自分の人生の中で緊張に強かったことなど一度もないし、そもそも緊張なんて大嫌いで、パフォーマンスも落ちるからそんなモノは感じたくないと本気で思っているワケだ。
さて、アンタらはどうだろうか。緊張には強いほうだろうか。それとも弱いだろうか。
いずれにせよ、最後の最後に自分を救うのは、自分自身でしかないということだ。
さて、『音楽祭篇』の続きである。本編と脇、どっちから攻めるかとも思ったけど、先に脇を終わらせて、その後じっくり本編を書こうかと思っている。あらすじーー
「中三男子の有志によるアカペラ斉唱も無事曲目が決まり、練習に移ることとなった。練習は週に数回、昼休みに催されることとなっていたが、非常に楽しく、伸び伸びと練習することができて、個人的な息抜きとしてとてもいいモノとなった。練習は順調に進み、気づけば本番がすぐ目の前に近づいていたのだーー」
とまぁ、こんな感じか。じゃ、やってくーー
時間の進みが早かった。
朝起きてメシを食って家を出るーーその毎日のルーティンの中で、自分が何を思い、どう動いたのかすら曖昧だった。
緊張していたのだとは思うが、体育祭の時ほどは緊張していなかったのは覚えている。やはり、体育祭の応援団長の経験は伊達じゃなかったのかもしれない。応援団長をやるというプレッシャーに比べれば、ただ榎本の伴奏に合わせて指揮を振るというだけの仕事をするというのは、はるかに余裕のあることだった。
朝、エヴァネッセンスーーもしかしたら違うかもしれないけどーーの曲をMDで聴きながら、すべての準備を終えて制服に袖を通す。
だが、こころ持ちはいつもと違いへヴィだったと思う。緊張が肩と背中に重くのしかかっていたと思う。秋のちょっとした肌寒さと身体の強張りがシンクロする。
普段の登校時は乗らない自転車に乗って家を出る。その感覚が新鮮というか、だがスピードは抑えめにしてゆっくりと走る。
内に向いたマインドが音もなく何かを囁く。だが、その内容はわからない。
家を出て10~15分後、会場へと到着した。
場所は五村市民ホールの大ホールだった。収用人数は六百以上、その広さは蚊の鳴くようなか細い声をすべて吸い取ってしまうほど。
二階の正面入り口前にて各クラスごとで集合し、整列。それが終わると施設内、大ホールに入って、その時が来るのをただ待つことに。
おれはヘラヘラとしていた。キャナや外山、健太郎くんと喋ってはバカみたいにヘラヘラしていた。多分、これがおれにとっての緊張に対する抵抗だったのかもしれない。
そして、時は来る。
司会の生徒が壇上に上がり、プログラムの進行が始まる。校長の挨拶から、諸注意等が終わると、全校生徒による校歌斉唱が始まる。
高らかなピアノの音色と幾多の歌声が交差する。音楽祭の開始が告げられたーー
とまぁ、今回はこんな感じか。あと一、二回で終わると思う。そんなワケでーー
アスタラ。
こればかりは個人の度胸というか、性質というか、そういったモノが強く関係してくるのでは、と思うのだけど、逆にいってしまうと、
本番に強い、とはどういうことなのか、ということである。
そういわれてどう答えるだろうか。やはり、練習や稽古の時よりもいい結果を出すということだろうか。あるいは、本番の緊張に飲まれない鋼のようなマインドを持っていることだろうか。それとも、練習や稽古の時と何ひとつ変わらないようなパフォーマンスができる、ということになるのだろうか。
これはいってしまえば、様々な形態が存在するのではないか、と思うのだ。
どんなに緊張していても、練習時よりもいい結果を出せるポテンシャルがあるというのは、本番に強いということになるだろう。
そもそも緊張なんて概念が存在しないというくらいに揺れないこころを持っているということもあるだろう。
そして、当然、何も変わらない、まるで職人のようにいつもと同じような働きぶりを見せることが出来る、というのも本番に強いということにもなるのではないか、と思うのだ。
上で話した三通り、そのどれもが「本番に強い」ということになるだろうし、もしかしたら、それ以外でも「本番に強い」という別の形態が存在するのかもしれない。
では、肝心のおれはどうか。
これは過去に何度も話していることなのだけど、おれという人間は本番には弱いほうだーー少なくとも自分ではそう思っている。
過去、何度か、「お前は本番に強い」だとか、「本番前だというのに、何で緊張しないのか」だとか、「緊張とは無縁の生き方だな」とかいわれたことはあるけど、個人的にはそんなことは思ったことがない。
そもそも、おれのベースにあるのは「緊張しい」という性質であって、緊張に動じないような鋼のマインドは持っていない。
本番前には袖中で、「帰りたい」、「止めときゃ良かった」など、アホみたいな弱音を平気で吐くし、本番に強いという地点から最も遠い場所に存在しているのがおれだと思っている。
では、どうしておれが本番に強いといわれがちなのか。
それは、自分の緊張している姿が全然深刻に見えないから、だと思う。
そもそも楽屋や控え室では、いつも下らない話ばかりしているし、本番は本番で自棄になってメチャクチャなことをやり出してしまう。そんな姿を誤解されて「本番に強い」と思われる原因となっているのだと思うのだ。
だが、断じていえるのは、おれは自分の人生の中で緊張に強かったことなど一度もないし、そもそも緊張なんて大嫌いで、パフォーマンスも落ちるからそんなモノは感じたくないと本気で思っているワケだ。
さて、アンタらはどうだろうか。緊張には強いほうだろうか。それとも弱いだろうか。
いずれにせよ、最後の最後に自分を救うのは、自分自身でしかないということだ。
さて、『音楽祭篇』の続きである。本編と脇、どっちから攻めるかとも思ったけど、先に脇を終わらせて、その後じっくり本編を書こうかと思っている。あらすじーー
「中三男子の有志によるアカペラ斉唱も無事曲目が決まり、練習に移ることとなった。練習は週に数回、昼休みに催されることとなっていたが、非常に楽しく、伸び伸びと練習することができて、個人的な息抜きとしてとてもいいモノとなった。練習は順調に進み、気づけば本番がすぐ目の前に近づいていたのだーー」
とまぁ、こんな感じか。じゃ、やってくーー
時間の進みが早かった。
朝起きてメシを食って家を出るーーその毎日のルーティンの中で、自分が何を思い、どう動いたのかすら曖昧だった。
緊張していたのだとは思うが、体育祭の時ほどは緊張していなかったのは覚えている。やはり、体育祭の応援団長の経験は伊達じゃなかったのかもしれない。応援団長をやるというプレッシャーに比べれば、ただ榎本の伴奏に合わせて指揮を振るというだけの仕事をするというのは、はるかに余裕のあることだった。
朝、エヴァネッセンスーーもしかしたら違うかもしれないけどーーの曲をMDで聴きながら、すべての準備を終えて制服に袖を通す。
だが、こころ持ちはいつもと違いへヴィだったと思う。緊張が肩と背中に重くのしかかっていたと思う。秋のちょっとした肌寒さと身体の強張りがシンクロする。
普段の登校時は乗らない自転車に乗って家を出る。その感覚が新鮮というか、だがスピードは抑えめにしてゆっくりと走る。
内に向いたマインドが音もなく何かを囁く。だが、その内容はわからない。
家を出て10~15分後、会場へと到着した。
場所は五村市民ホールの大ホールだった。収用人数は六百以上、その広さは蚊の鳴くようなか細い声をすべて吸い取ってしまうほど。
二階の正面入り口前にて各クラスごとで集合し、整列。それが終わると施設内、大ホールに入って、その時が来るのをただ待つことに。
おれはヘラヘラとしていた。キャナや外山、健太郎くんと喋ってはバカみたいにヘラヘラしていた。多分、これがおれにとっての緊張に対する抵抗だったのかもしれない。
そして、時は来る。
司会の生徒が壇上に上がり、プログラムの進行が始まる。校長の挨拶から、諸注意等が終わると、全校生徒による校歌斉唱が始まる。
高らかなピアノの音色と幾多の歌声が交差する。音楽祭の開始が告げられたーー
とまぁ、今回はこんな感じか。あと一、二回で終わると思う。そんなワケでーー
アスタラ。