【いろは歌地獄旅~抜け道の女神~】

文字数 3,769文字

 焦燥感が脳と神経を焼いていた。

 張り積めた空気に、息の詰まる雰囲気。ぼくにできることは椅子の上で縮こまっていることだけだった。内臓、というか身体の中味が粟立つような不快感が込み上げて来た。

 無音なのに耳の中では何かがけたたましく響いているような感覚だった。

 目が悪くて視界はぼやけていた。だが、メガネは掛けなくなっていた。掛けたところですぐに壊されてしまうからだ。

 長い話になるかもしれないが、イジメが始まったのは、中学二年に上がってすぐだった。理由は、ぼくが「キモチ悪い」からとのことだったと思うが、そんなのは建前で、本当はただ単に「生け贄」が欲しかっただけなのだろう。

 具体的に何をされたかといえば、多分想像しうるイジメのメニューはすべて経験しているといっても過言ではないだろう。

 悪口なんて当たり前、暴力は勿論、持ち物を隠されるのは初期の話で、今となっては捨てられるのが普通になった。呼び出されて服を脱がされもした。それを写真、動画にも撮られた。何かあればそれをネタに脅された。お金も取られた。最初はこっそり、今堂々ーー所謂カツアゲというヤツだ。

 ぼくは耐えた、耐えたーー耐え続けた。イジメが始まって一週間もすれば学校なんか行きたくないと憂鬱になってはいたが、親を心配させたくなくて無理してでも学校に行った。

 正直、それからよく不登校にならずに三ヶ月近くも通ったモノだった。だが、ある瞬間にすべてがキレた。理由は、親を侮辱されたから。

「ゴミはゴミからしか生まれない」

 主犯格の松村はぼくを指差してそういって笑った。そして、その取り巻きたちも。ぼくは耐えられなくなっていた。

 これまでも散々悪口をいわれてはいたが、その悪口を聴いた途端、何かがキレた。

 毎日帰宅するぼくを笑顔で迎えてくれ、美味しいご飯を作ってくれる母と、朴訥で穏やかな性格の父の顔が突然に脳内に映し出された。

 確かにぼくはゴミかもしれない。だが、いつだって優しい両親、そんなふたりをこんなヤツラにゴミ認定されるのは我慢がならなかった。

 そこからは殆ど何も覚えていない。立ち上がって自分の座っていた椅子を掴み、思い切り振り上げたのは覚えている。

 そして、正気戻った時にはクラスメイトは呆然としているか、泣いているかで、ぼくをイジメていたヤツラは床に横たわって痙攣していた。

 そう、ぼくは暴力事件の犯人になっていたのだ。そして、ぼくの行動は問題となり、今は会議室で担任の先生とふたりっきりで向き合っているというワケだ。

「で、どうしてあんなことをしたの?」

 先生はため息まじりにそういった。ぼくは身体を震わしながら、両股の間の椅子の座面を眺めていた。それ以外には何も出来なかった。

「何かいわなきゃ何も始まらないよ。少なくとも、今のままだと間宮くんが衝動的に松村くんたちを椅子で殴打したってことになる」

 先生の口調は何処か覚めていたように思えた。それもそうだろう。学校も先生も、こういったトラブルにはいつだって見て見ぬ振りをする。そんなことで学校の評判を落としたくもないだろうし、自分のクラスで面倒が起きれば、その先生の評価にも繋がる。

 つまり、イジメが発覚することは、イジメっ子にとっても教師にとっても、学校というひとつのコミュニティとしてもデメリットしかない、というワケだ。そう考えれば、先生と学校がイジメっ子の味方をするのは至極当然だ。

 きっと、目の前にいるこの先生も、面倒だなと思いながらぼくと対面しているのだろう。

 ぼくはすべての銃弾が頭上を通りすぎるまで塹壕の中に身を隠す傷ついた兵士のようになっていた。いや、ぼくは兵士のようにタフではなかったし、戦うどころか逃げ続けた結果、傷口を広げてしまっただけだった。
 
 先生がぼくのほうへ乗り出して来た。

「キミは特段勉強が出来るワケでもなければ、運動が出来るワケでもない。とはいえ、生活態度が悪いというワケでもない。むしろ、そのスタイルは非常に真面目に見える」

 それはそうだ。ぼくだって出来ることならトラブルは避けて通りたい性分だ。それなら、息を殺してあたかも真面目であることを装うに決まっているだろう。それに、ぼくが真面目でないのは成績という形で反映してしまっているではないか。確かに、イジメで勉強どころではないというのはあるけれど、ぼく自身、元々勉強も運動も出来るほうではない。

「何もいうつもりはないーーそういうワケなんだね」先生はいった。「こういうことはあまりしたくなかったけどーー」

 そういって先生はテーブルの上にICレコーダーを置いた。ぼくは何だろうという想いでそれを眺めていた。先生はレコーダーを二、三、操作した後に、再生ボタンを押した。

 ぼくは目を見開かずにはいられなかった。

 体内が爆発するような焦燥感。先生がレコーダーで再生した音声、それはーー

 ぼくのイジメの現場を記録した音声だった。

「これは……!」

「わたし、知ってたんだよ。でも、わたしから何かをアプローチすることは出来ない。クラスの子たちは誰もイジメのことをわたしにいわないのに、わたしがイジメのことを知っていたら不自然だからね。それに学校はイジメという不都合な真実を揉み消したがるし、わたしも学校側の人間だからね。動くには『理由』が必要にもなるし、あまり大っぴらなことはできない。それに、わたしからイジメを止めるようにおわせれば、キミへのイジメはより陰湿に、悪質になって深い深い闇の中へ消えて行くと思う」

 ぼくはことばを失っていた。それは先生が何故、こんなにもぼくのイジメの事情を知っているのかーーそして、ぼくに何をさせたいかわかりかねたからだ。先生は尚も続ける。

「この音声だって、記録するのに随分と苦労したんだから。他にも色々とイジメの証拠は記録してある」

「止めて下さい!」ぼくは叫んでいた。「バラさないで!」

「バラしはしないよ。キミはわたしの生徒だもん。キミを守るのはわたしの義務でもあるし、殴打された彼らのことも守らなければならないのが、わたしの義務なの。だから、卑怯かもしれないけど、わたしがイジメのことで貴方に何かをするということは良くも悪くも出来ない。ただ、裏で知恵を貸すことは出来る。ひとついえるのはーーキミ自身がイジメに打ち勝たなければ、また悲劇は訪れるということ」

 ぼくは呆然としていた。

「つまり、何がいいたいんですか……?」

「この音声も、他の記録も、必要なら何時でも貸して上げる。だから、キミ自身の口からイジメのことを告発するの」

 ぼくは狼狽えた。

「で、でも……」

「お父さんとお母さんにバレたくないから?」

 そう問われて、ぼくは曖昧に頷いた。だが、先生を欺くことは出来なかった。

「やっぱりね。でも残念だけど、御両親はきっとキミがイジメられていることに気づいているよ。御両親に心配掛けたくない。きっと、あなたはそう考えているのだろうけど、御両親はキミが衰弱して元気を失っていくのを長きに渡って見せられるほうが、ずっと辛いと思う」

 先生のいう通りだったかもしれない。だが、

「確かに、そうかもしれません。でも……、ぼく、強くないから……」

「強さって何? 少なくとも、何人もで集ってひとりを攻撃するのは強さではないとわたしは思う。そして、抵抗せずにただ耐え続けるのも、ね。キミはキミ自身の人生を取り戻さなきゃならない。今まで戦ったことがないなら、今ここで戦いを始めればいい。いや、キミはもう戦いを始めた。あのイジメへの抵抗が、キミ自身、戦いの火蓋を切ったことになる。大丈夫、あんなことが出来るなら、何とかなるよ。それに、積極的に動いて行けば、必ず誰かが味方になってくれるから。わたしが約束する」

「でも……」

 ぼくは煮え切らなかった。が、

「心配しないで。何かあったらわたしを頼りなさい。責任を擦りつけちゃってもいいから。確かに教師は自分からイジメがどうこう動くことは出来ないけど、生徒からSOSを出されて動かなければ、それはただの最低人間だから。わたしは、そんな風にはなりたくない」

 初めてだった。こんな可笑しなことをいう先生は初めてだった。

 女の人にしては身長は高いし、見た目はクールな感じなのに、性格はおっとりしているこの先生が、こんなにも熱くモノを語るなんて思ってもいなかったし、ここまで熱意を持って職務に取り組んでいる先生も初めてだった。

「大丈夫、わたしとキミは運命共同体。絶対イジメに負けてはならない。やってやろう、わたしとキミのふたりでーー」

 ぼくのこころは揺れていた。だが、冷たく冷えきっていたこころに温かい火が点るのも、すべては時間の問題だった。

 そもそも、松村たちをブン殴ってしまったのも、こころに火がついたから起きたことだったのだから。再生ーー再生するのだ。どんな困難が待ち受けていようと、戦わなければ生き残れない。ならば、徹底的にやるまでだ。大丈夫、ぼくにはこの先生がついているから。

 長谷川八重、ぼくはこの先生の名前を生涯忘れることはないと思う。

 長谷川先生は、ぼくに取って憂鬱な毎日から抜け出すキッカケを作ってくれる女神になるかもしれないーーふとそう思った。そして、

 ぼくはーー立ち上がる決意をした。
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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