【冷たい墓石で鬼は泣く~拾死~】
文字数 1,075文字
雨が降っていた。
すべてを洗い流さんほどに強烈な雨が降っていた。だが、洗い流したのは流れる血だけだった。わたしがその無惨な姿を見たのは、すぐのことだった。
わたしは傘を落とした。落としていた。手に力が入らなかった。手が震えた。音が聴こえなくなった。人垣が無に思えた。
昨日までは元気そうに笑っていた彼女が、今では肩掛けに大きな切り傷を作り、はらわたをこぼして寝転がっている。
そう、おはるが死んだのだ。
現実など、受け入れられるはずがなかった。かわいらしい茶屋娘のおはる。彼女が西方へ旅立ってしまっただなんて信じられなかった。信じることが出来なかった。近くにいた同心に話を訊いた。すると、
「これは、最近街を騒がしている辻斬りの仕業でしょう」
辻斬り。ここ最近、打撲傷を負った者が多いのは、ひとえに辻斬りのせいだといわれていた。だが、それはあくまで打撲傷。人を斬り殺したという事例はなかった。では、どうしておはるは......。
「殴るのでは飽きたらず、真剣で斬りたくなってしまったのでしょう」
与力の推測はそうだった。確かに、これが快楽的なモノであるならば、はじめは殴って傷つけるだけで済んでいたことが、斬り殺すところまで発展してしまったと考えられないことはない。
しかし、何故おはるだったのだ。
別に他の者だったらいいということでもない。だが、どうしておはるが殺されなければならなかったのだ。気づけば、目から大粒の涙がこぼれていた。堪えられなかった。最愛の人がこんなむごい形で、わたしの前からいなくなってしまうなんて、誰が予想出来ただろうか。
涙は雨に溶け、地面に消えていった。わたしはいいようのない絶望と悲しみに染まった。それから、わたしが何をどうしたのか、数刻程のことは何も覚えていない。だが、気づいた時には悲しみと絶望は、怒りと復讐心に変わっていた。
おはるをあのようにした下手人を必ずや仕留めて見せる。
わたしはこころの中でそう誓った。そして、それからわたしが取った行動といえば、至極単純なモノだった。それは自ら夜の街に繰り出し、自ら辻斬りの餌食となりに行かんとすることだった。
いくらわたし自身大した腕ではないとはいえ、この時ばかりは怒りと復讐心でそんなことはどうでも良くなっていた。それよりも、ただ件の辻斬りを殺すことだけを考えていた。
夜、わたしは両親と馬乃助の目を盗んで屋敷を抜け出した。わたしには闇に紛れ、血を滴らせた刀を片手に持つ辻斬りの姿しか見えていなかった。
皮肉にも、彼女の死が、わたしから甘さを殺したのだった。
【続く】
すべてを洗い流さんほどに強烈な雨が降っていた。だが、洗い流したのは流れる血だけだった。わたしがその無惨な姿を見たのは、すぐのことだった。
わたしは傘を落とした。落としていた。手に力が入らなかった。手が震えた。音が聴こえなくなった。人垣が無に思えた。
昨日までは元気そうに笑っていた彼女が、今では肩掛けに大きな切り傷を作り、はらわたをこぼして寝転がっている。
そう、おはるが死んだのだ。
現実など、受け入れられるはずがなかった。かわいらしい茶屋娘のおはる。彼女が西方へ旅立ってしまっただなんて信じられなかった。信じることが出来なかった。近くにいた同心に話を訊いた。すると、
「これは、最近街を騒がしている辻斬りの仕業でしょう」
辻斬り。ここ最近、打撲傷を負った者が多いのは、ひとえに辻斬りのせいだといわれていた。だが、それはあくまで打撲傷。人を斬り殺したという事例はなかった。では、どうしておはるは......。
「殴るのでは飽きたらず、真剣で斬りたくなってしまったのでしょう」
与力の推測はそうだった。確かに、これが快楽的なモノであるならば、はじめは殴って傷つけるだけで済んでいたことが、斬り殺すところまで発展してしまったと考えられないことはない。
しかし、何故おはるだったのだ。
別に他の者だったらいいということでもない。だが、どうしておはるが殺されなければならなかったのだ。気づけば、目から大粒の涙がこぼれていた。堪えられなかった。最愛の人がこんなむごい形で、わたしの前からいなくなってしまうなんて、誰が予想出来ただろうか。
涙は雨に溶け、地面に消えていった。わたしはいいようのない絶望と悲しみに染まった。それから、わたしが何をどうしたのか、数刻程のことは何も覚えていない。だが、気づいた時には悲しみと絶望は、怒りと復讐心に変わっていた。
おはるをあのようにした下手人を必ずや仕留めて見せる。
わたしはこころの中でそう誓った。そして、それからわたしが取った行動といえば、至極単純なモノだった。それは自ら夜の街に繰り出し、自ら辻斬りの餌食となりに行かんとすることだった。
いくらわたし自身大した腕ではないとはいえ、この時ばかりは怒りと復讐心でそんなことはどうでも良くなっていた。それよりも、ただ件の辻斬りを殺すことだけを考えていた。
夜、わたしは両親と馬乃助の目を盗んで屋敷を抜け出した。わたしには闇に紛れ、血を滴らせた刀を片手に持つ辻斬りの姿しか見えていなかった。
皮肉にも、彼女の死が、わたしから甘さを殺したのだった。
【続く】