【西陽の当たる地獄花~拾四~】

文字数 2,754文字

 人を斬る感触を知っているだろうか?

 あの、刀を振るって、一瞬刃が肉に食い込んでほんの少し重くなったかと思えば、またすぐに元の重さに戻る感覚だ。

 例えるなら非常に難しいかもしれないが、敢えていうとしたら包丁で豆腐を斬る感覚に近いかもしれない。また、人を刺す感覚も同様だ。

 初めて人を斬った時のことは未だに覚えている。多分、人を何十、何百と斬っていようと、最初に殺したヤツのことを忘れるヤツは殆どいないんじゃないか、とおれは思う。

 あの、死を意識、目前にした絶望、あるいは哀しみに満ちたような引き吊った相手の表情を初めて目の当たりにした経験は、これまでの人生のすべてを吹き飛ばしてしまうほどの衝撃といっても過言ではなく、その記憶はいつまでも自分の頭にこびりついて離れることはない。

 一斉に向かってくる神の従者たちーーコイツらもきっと同じような悲哀か絶望に似た表情で顔を引き吊らせることとなるだろう。

 いってしまえば、コイツらも犠牲者なのだ。誰の犠牲者かって? それはーー

 支配者の、だ。

 ヤツラは支配者の見栄や傲り、豪奢さを演出するために犠牲となる名もなき脇役に過ぎない。いってしまえば、ヤツラは芝居に於ける背景の草木と同等の扱いでしかないのだ。

 主役は何時だって勝利者ーー死闘に勝ち残った者のことをいうのだ。

 そして、死者はいつだって敗者として語られる。それが歴史であり、真理である。

 ならば、おれは主役ではない。おれは「あの男」に敗北し、死んだ。おれは現世では主役足りうる存在ではなかった。

 この神の従者たちもそういうことだ。

 神という腐った支配者のために自分の命を捧げるだけの憐れな犠牲者、奴隷。憐れな魂を鎮めるには、支配者を討つしかない。

 おれは走り出す。何故かはわからないが笑みを浮かべながら。ひりつく感覚。生きるか死ぬかという究極の二択。だが、おれの頭には恐怖はなく、あの時の闘いを思い出していたーー

 初めて人を殺したのは、おれが家を飛び出して少し経った頃のことだった。

 おれは「勘当」という形で家を追い出された。当然、親父、あるいは爺さんはおれを病死ということで届けを出していることだろう。

 屋敷を出て最初に困ったことといえば、やはり銭のことだった。それもそうだろう。勉学に武術に、と修行ばかりしていたおれには、商いのことなどさっぱりわからなかった。

 おれに出来ることといえば、辻斬りかヤクザの用心棒ぐらいしかなかったのだろうが、当時まだ少年に毛が生えた程度の青臭いガキでしかなかったおれは、顔も幼く、とてもじゃないがヤクザが雇ってくれるワケはなかった。

 そこでおれは、腕試しを兼ねて道場破りをすることにしたのだ。

 おれが選んだのは、おれ同様『無外流』の道場だった。道場ではたくさんの若造ーーおれも若造だったがーーが木刀をかち合わせ、互いの汗を飛ばし合っていた。おれは道場に入るなり、大きな声を飛ばして、その場にいるすべてのヤツラの稽古の手を止めさせた。

 みな、怪訝そうにこちらを見ていた。

 おれはその胡散臭いモノを見るような視線にたじろぎそうになったが、口許を震わしながら自分の名前を名乗り、

「この度は、お手合わせ願いたく参上致しました」

 といった。ざわつく道場内。全体的な割合でいえば、稽古を中断させられた苛立ち半分、分不相応な申し出をするおれへの嘲笑半分といった感じだった。

「一体、何事かな?」

 奥にいた比較的年配の男がいった。男は中背だがよく引き締まった肉体、凛とした風貌で如何にも強者といった様相を呈していた。おれはその男の前に立ち、自分の用件を告げた。

「なるほど……、拙者がこの道場の師範をしている『守屋惣兵衛』という者だ。で、お主は道場破りとのことだが、仮に我が道場を破ったとて、どうされたいというのかな?」

 おれは答えたーー

「この道場にある金を根こそぎ頂きたい」

 この回答には道場内のざわつきはより一層強くなった。同時に道場内の嘲笑がほぼ十割になった。守屋惣兵衛は、

「いいだろう。では、準備なされよーー」

 と、自分の道場生に下座側に並ぶよういいつけた。道場生の整列が終わり、惣兵衛はおれに向かい合うと、

「では、此方から五人を選出しようーー」といって適当な若造の名前を五人呼んだ。「今呼んだ五名がお相手しよう。如何かな?」

「そんな三下には用はない」

 おれは気丈にいった。そのことばが道場生の間で苛立ちの業火を焚き付けた。惣兵衛は、

「では、どうなさると?」

 おれは笑みを浮かべていったーー

「惣兵衛殿以下、この道場で強者といわれる四名、計五名とお手合わせしたい」

 これには道場生からもヤジが飛んだ。中にはおれを気違い扱いする者もあった。だが、おれは紛れもなく正気だった。惣兵衛ーー

「それは良いが、もし仮に主が負けたら、その時はどうなさる?」

「その時はーー」おれは答えた。「主らの好きにして貰って構わぬ」

 好きにして構わない。それは即ち、自分の命を投げ出すことと同じだった。だが、おれは自分が腹を斬ることとなろうとも、集団でタコ殴りに遭おうと構わなかった。

 そして、勝負の時が来たーー

 勝負は一方的だった。一方的というのは、おれの一方的な勝利という意味で、だ。

 惣兵衛に次ぐ四名の道場生はみなアマチャンだった。大した腕ではないーーおれはわかった。木刀を握って向かい合ったその瞬間、相手が余裕の面持ちでおれを舐め腐っているのがわかった。だからこそ、ヤツラは負けたのだ。

 明らかなド素人でもない限り、相手に対して舐め腐った態度を取るのは非常に危険だ。それは相手に対して失礼だから、とか道徳や倫理観の話ではない。それが相手の感情を揺さぶるための戦略ならばいいのだが、ただ単純に相手を舐めているだけなら、それは話にならない。

 上ばかり見ているヤツは足許を掬われる。足許ばかりを見ているヤツは頭をカチ割られる。過度に思い上がるのも、自分を貶めるのも、自ら死を選ぶのと何ら変わりはしない。

 みな、無外流の教書通りに袈裟を切ろうとしてきた。だが、それが命取りだった。

 袈裟斬りは相手を仕留めるには絶好の手だが、その手が及ぶ範囲は短くなる。おれはそれに合わせて範囲で勝てる手でヤツラを瞬殺した。

 そして、真打ちーー守屋惣兵衛。

 守屋の顔は緊張に満ちていた。それもそうだ。ここまで四人ーーそれも道場きっての腕の持ち主である四人が瞬時に敗れたのだ、緊張感がないワケがなかった。

 互いに礼をして木刀を構える。

 守屋の木刀の切先がおれの喉へ向く。おれは木刀をグッと握り、口許をキュッと締めた。汗がこめかみから頬を伝う。自分の吐息が自分の肉体全体で共鳴しているように喧しかった。

 火蓋が切られたーー

 【続く】
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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