【いろは歌地獄旅~オールド・ルーキー~】
文字数 3,505文字
人生に遅すぎるなどということはない。
それはある意味では正しく、ある意味では間違いだとわたしは思っている。
六〇過ぎのわたしが、今更になって青年アイドルになれるワケもなければ、プロスポーツ選手にもなれないのはいうまでもないからだ。
ある特定のジャンルーーそれもかなりプロフェッショナルな分野においていえば、人間には賞味期限が存在する。
そして、その入り口にたどり着くためのスタート地点に立てる年齢の足切りもーー。
そう、人生というのは、時間を経れば経るほどに、獲得出来るチケットの種類は減っていく。悲しいことにそれがこの世の現実だ。
更にいえば、人は年を経るごとに諦めるための理由と素材を探すのが上手くなる。
「あれをやってみたい」
そう思っても、「仕事が忙しいから」とか「もう年だから」とか何かしらの理由を引っ張り出して来ては、断念するための理由作りに勤しむようになってしまう。
そして、それはわたしも例外ではなかった。
やってみたいことならいくらでもあった。だが、その度に何かしらの理由をつけてやらなかった。しかし、その果てに訪れたのは、定年後の何もやることのない虚無的な日常だ。
朝早く起きる必要もない。仕事をする必要もない。その準備をする必要もなくなる。するとあとやれることといえば、食事をして、排便してテレビを見ることぐらいだった。
つまらない日常だった。
何をしても、何も生み出されることはない。これまで仕事をしてきて、肉体的にも精神的にも疲弊し帰宅するというのが、実は結構大事なことだったということが初めてわかった。
そして、定年後にボケが急激に進行する理由もわかった気がした。
緊張感がまるでないのだ。
それはつまり、人生に対する面白味もないということだ。
このままではいけないーーそう思い始めたわたしは、何でもいいから、と何か趣味を見つけてみようと思った。
だが、運動は苦手だし、身体も痛い。本や映画は目が悪すぎてよく見えない。
わたしは、またもや自分にとって「都合のいい理由」を作り上げようとしていた。だが、それが如何に自分の人生から色彩や華を奪っていったか、を思い出すともうウンザリだった。
そこでわたしは半ば自棄になって「あること」を始めてみることにした。
人間、やろうと思えば何でも出来る。年齢など単なる数字に過ぎないのだ。
そう信じるしかなかったーーというより、これからわたしはそれを証明してやろうと思う。
わたしの対面に立つは、わたしよりふたつ年上の68歳の男ーー上半身裸に下はハーフパンツという姿だが、その身体は引き締まり筋肉が浮き出ており、顔つきも精悍で、とてもじゃないが、わたしより年上とは思えない。
対するわたしは、というと、確かに仕事をしていた時よりは身体も引き締まり、顔つきも鋭くはなったとはいえ、まだまだ昔の贅肉が残っているような感じだった。
そして、わたしも相手も、頭にヘッドギアをしているーー
「ボクシングとか、何考えてんだよ!」
色んな人からそういわれた。いわれて当たり前だと思った。60代からのボクシング、なんて非現実的なのはいうまでもなかったし、仮に自分の父親がそんなことをしようものなら、わたしも同じことばをぶつけていたと思う。
だが、わたしはそれ以上に憧れが勝った。
小さい頃から逞しく引き締まった身体を武器に戦うボクサーに憧れていたわたしは、ずっとボクシングの虜だった。生で試合を観たことは、自分の「悪いクセ」のせいでなかったが、テレビで試合があれば食い入るように見た。
自分の拳ひとつで目の前の驚異に立ち向かうーー自分には無理だと思いつつも、そんなボクサーに憧れていた。だが、やろうと思ってはいても、やはり自分には無理だと自分の可能性を見限ってしまっていた。
それが今となっては、リングに立つわたしの姿がそこにある。
自分を変えなければならないと思った。
何もしないで、ただ太り、ただボケていくだけの老人にはなりたくなかった。
だからこそ、あらゆる「理由」を捨てて、「憧れ」へと突っ走ってしまった。
若い人が通うようなフィットネスジムというのには行けなかった。若い人と上手くやれる自信がなかったからだ。
そこでわたしが選んだのが、昔からあるような倉庫のような建物で運営されている古き良きボクシングジムだった。
会長もコーチもいい年で、はじめわたしがジムに入ると、何か如何わしい存在と間違われたようで、追い払われ掛けたが、それもワケを話すと口をポッカリ開けていた。
その年齢からではーーそうもいわれたが、わたしは食い下がった。そして、何とか会長を説得し、ボクシングを始めることとなった。
最初はパンチの打ち方も見よう見まねで、全然だった。スパーリングも所詮は三分ーーと思いきや、その三分が地獄だった。息が上がって立ち上がれなくなり、胃の中のモノがすべて逆流しそうになった。
キツかった。だが、そんな中でも諦めたくなかった。これ以上、下らない理由をでっち上げて自分を諦めたくなかった。
だから、必死に食らいついた。
そうやって何とか続けて行くと、身体は次第に引き締まって行き、パンチの打ち方も様になり、スパーリングにもついていけるようになった。
嬉しかった。トレーナーに誉められるだけで、自分がレベルアップしているのがわかったし、痛いとはわかっていても、相手の拳が自分の身体にヒットすると、その痛みだけで自分が生きていると実感できた。
そしてーー
「村川さん、試合に出てみない?」
会長にそういわれた。本来、ボクシングのアマチュアは40歳定年で、それ以上は試合に出れないのだそうだが、それ以上の年齢でも経験者か、ジムに所属している人間であれば参加できる大会があるとのことだった。
因みに、その大会はヘッドギアをつけて戦い、年齢的な条件も兼ねてストップも通常より早いから、まだ安心とのことだった。
だが、正直怖かった。とはいえ、あまり試合で痛い思いはしたくはないが、それでも自分の腕を試したくなった。
その時には、わたしのボクシングに反対していた妻も息子も何もいわなくなっていた。
ならば、と思い、何の相談もせずに、試合に出てみようと思った。
大会に出ることを話すと、妻は猛反対。だが、ボクシングを始めるといった当初は反対していた息子は、「やりたいならやれよ」と背中を押してくれた。何でもーー
「最近の親父、何か輝いてる、っていうか」
とのことらしい。息子のそのことばを信じ、わたしは妻の反対を押しきって大会に出ることにした。そのことで当たり前のように妻とはひと悶着あった。そして、
「これが終わったらボクシングを辞める」
そういう条件で大会に出ることを承知してもらった。そして今、妻は最前の席に陣取り、わたしを見守っている。
その隣にはわたしの息子が、そしてその更に隣には奥さんと子供がいて、いずれもわたしのことを見守ってくれている。
レフェリーの指示でリングの中央まで歩き、自分より年上の相手と向き合う。
何とも厳かな顔つき。この人は一体どのような人生を歩んできたのだろう。余程苦労したのだろうーーそう顔に刻まれた深いシワが物語っているようだった。
レフェリーから試合上の注意を聴き、すべてを聴くと相手とグローブを重ねて互いのコーナーへ戻る。そしてーー
ゴングが鳴る。
さぁ、試合の始まりだーー
次にわたしが気づいた時はわたしは控え室にいた。妻と息子、そしてその家族がわたしを取り囲む。口々に、「残念だった」とか「でも、よく頑張った」とかそんなことをいわれる。
そうか、わたしは負けたのか。
試合中は無我夢中で、自分が何を見て、何を思っていたのかわからなかった。だが、何処かで腹を殴られて息苦しくなり、リングに大の字になって照明によるハレーションを見たのは何となく覚えている。
今さっき起きたことでありながら、遠い過去の記憶であるような試合の光景を思い出す。
妻は泣いていた。
泣きながら、「よくやりました、カッコよかったですよ」といっていた。
息子は熱狂し、わたしを鼓舞していた。その奥さんと子供も同様だった。
「村川さん」わたしを遠目で見守ってくれていた会長が口を開いた。「いい試合だった」
そのことばに続いてトレーナーが頷いた。
そうか、わたしはーー
わたしは思わずバンデージを巻いたままの右手を大きく掲げた。
試合には負けた。
だが、わたしはーー年老いたオールド・ルーキーのわたしは、わたし自身に勝利したのだ。
会場から、微かにゴングの音が聴こえたーー
それはある意味では正しく、ある意味では間違いだとわたしは思っている。
六〇過ぎのわたしが、今更になって青年アイドルになれるワケもなければ、プロスポーツ選手にもなれないのはいうまでもないからだ。
ある特定のジャンルーーそれもかなりプロフェッショナルな分野においていえば、人間には賞味期限が存在する。
そして、その入り口にたどり着くためのスタート地点に立てる年齢の足切りもーー。
そう、人生というのは、時間を経れば経るほどに、獲得出来るチケットの種類は減っていく。悲しいことにそれがこの世の現実だ。
更にいえば、人は年を経るごとに諦めるための理由と素材を探すのが上手くなる。
「あれをやってみたい」
そう思っても、「仕事が忙しいから」とか「もう年だから」とか何かしらの理由を引っ張り出して来ては、断念するための理由作りに勤しむようになってしまう。
そして、それはわたしも例外ではなかった。
やってみたいことならいくらでもあった。だが、その度に何かしらの理由をつけてやらなかった。しかし、その果てに訪れたのは、定年後の何もやることのない虚無的な日常だ。
朝早く起きる必要もない。仕事をする必要もない。その準備をする必要もなくなる。するとあとやれることといえば、食事をして、排便してテレビを見ることぐらいだった。
つまらない日常だった。
何をしても、何も生み出されることはない。これまで仕事をしてきて、肉体的にも精神的にも疲弊し帰宅するというのが、実は結構大事なことだったということが初めてわかった。
そして、定年後にボケが急激に進行する理由もわかった気がした。
緊張感がまるでないのだ。
それはつまり、人生に対する面白味もないということだ。
このままではいけないーーそう思い始めたわたしは、何でもいいから、と何か趣味を見つけてみようと思った。
だが、運動は苦手だし、身体も痛い。本や映画は目が悪すぎてよく見えない。
わたしは、またもや自分にとって「都合のいい理由」を作り上げようとしていた。だが、それが如何に自分の人生から色彩や華を奪っていったか、を思い出すともうウンザリだった。
そこでわたしは半ば自棄になって「あること」を始めてみることにした。
人間、やろうと思えば何でも出来る。年齢など単なる数字に過ぎないのだ。
そう信じるしかなかったーーというより、これからわたしはそれを証明してやろうと思う。
わたしの対面に立つは、わたしよりふたつ年上の68歳の男ーー上半身裸に下はハーフパンツという姿だが、その身体は引き締まり筋肉が浮き出ており、顔つきも精悍で、とてもじゃないが、わたしより年上とは思えない。
対するわたしは、というと、確かに仕事をしていた時よりは身体も引き締まり、顔つきも鋭くはなったとはいえ、まだまだ昔の贅肉が残っているような感じだった。
そして、わたしも相手も、頭にヘッドギアをしているーー
「ボクシングとか、何考えてんだよ!」
色んな人からそういわれた。いわれて当たり前だと思った。60代からのボクシング、なんて非現実的なのはいうまでもなかったし、仮に自分の父親がそんなことをしようものなら、わたしも同じことばをぶつけていたと思う。
だが、わたしはそれ以上に憧れが勝った。
小さい頃から逞しく引き締まった身体を武器に戦うボクサーに憧れていたわたしは、ずっとボクシングの虜だった。生で試合を観たことは、自分の「悪いクセ」のせいでなかったが、テレビで試合があれば食い入るように見た。
自分の拳ひとつで目の前の驚異に立ち向かうーー自分には無理だと思いつつも、そんなボクサーに憧れていた。だが、やろうと思ってはいても、やはり自分には無理だと自分の可能性を見限ってしまっていた。
それが今となっては、リングに立つわたしの姿がそこにある。
自分を変えなければならないと思った。
何もしないで、ただ太り、ただボケていくだけの老人にはなりたくなかった。
だからこそ、あらゆる「理由」を捨てて、「憧れ」へと突っ走ってしまった。
若い人が通うようなフィットネスジムというのには行けなかった。若い人と上手くやれる自信がなかったからだ。
そこでわたしが選んだのが、昔からあるような倉庫のような建物で運営されている古き良きボクシングジムだった。
会長もコーチもいい年で、はじめわたしがジムに入ると、何か如何わしい存在と間違われたようで、追い払われ掛けたが、それもワケを話すと口をポッカリ開けていた。
その年齢からではーーそうもいわれたが、わたしは食い下がった。そして、何とか会長を説得し、ボクシングを始めることとなった。
最初はパンチの打ち方も見よう見まねで、全然だった。スパーリングも所詮は三分ーーと思いきや、その三分が地獄だった。息が上がって立ち上がれなくなり、胃の中のモノがすべて逆流しそうになった。
キツかった。だが、そんな中でも諦めたくなかった。これ以上、下らない理由をでっち上げて自分を諦めたくなかった。
だから、必死に食らいついた。
そうやって何とか続けて行くと、身体は次第に引き締まって行き、パンチの打ち方も様になり、スパーリングにもついていけるようになった。
嬉しかった。トレーナーに誉められるだけで、自分がレベルアップしているのがわかったし、痛いとはわかっていても、相手の拳が自分の身体にヒットすると、その痛みだけで自分が生きていると実感できた。
そしてーー
「村川さん、試合に出てみない?」
会長にそういわれた。本来、ボクシングのアマチュアは40歳定年で、それ以上は試合に出れないのだそうだが、それ以上の年齢でも経験者か、ジムに所属している人間であれば参加できる大会があるとのことだった。
因みに、その大会はヘッドギアをつけて戦い、年齢的な条件も兼ねてストップも通常より早いから、まだ安心とのことだった。
だが、正直怖かった。とはいえ、あまり試合で痛い思いはしたくはないが、それでも自分の腕を試したくなった。
その時には、わたしのボクシングに反対していた妻も息子も何もいわなくなっていた。
ならば、と思い、何の相談もせずに、試合に出てみようと思った。
大会に出ることを話すと、妻は猛反対。だが、ボクシングを始めるといった当初は反対していた息子は、「やりたいならやれよ」と背中を押してくれた。何でもーー
「最近の親父、何か輝いてる、っていうか」
とのことらしい。息子のそのことばを信じ、わたしは妻の反対を押しきって大会に出ることにした。そのことで当たり前のように妻とはひと悶着あった。そして、
「これが終わったらボクシングを辞める」
そういう条件で大会に出ることを承知してもらった。そして今、妻は最前の席に陣取り、わたしを見守っている。
その隣にはわたしの息子が、そしてその更に隣には奥さんと子供がいて、いずれもわたしのことを見守ってくれている。
レフェリーの指示でリングの中央まで歩き、自分より年上の相手と向き合う。
何とも厳かな顔つき。この人は一体どのような人生を歩んできたのだろう。余程苦労したのだろうーーそう顔に刻まれた深いシワが物語っているようだった。
レフェリーから試合上の注意を聴き、すべてを聴くと相手とグローブを重ねて互いのコーナーへ戻る。そしてーー
ゴングが鳴る。
さぁ、試合の始まりだーー
次にわたしが気づいた時はわたしは控え室にいた。妻と息子、そしてその家族がわたしを取り囲む。口々に、「残念だった」とか「でも、よく頑張った」とかそんなことをいわれる。
そうか、わたしは負けたのか。
試合中は無我夢中で、自分が何を見て、何を思っていたのかわからなかった。だが、何処かで腹を殴られて息苦しくなり、リングに大の字になって照明によるハレーションを見たのは何となく覚えている。
今さっき起きたことでありながら、遠い過去の記憶であるような試合の光景を思い出す。
妻は泣いていた。
泣きながら、「よくやりました、カッコよかったですよ」といっていた。
息子は熱狂し、わたしを鼓舞していた。その奥さんと子供も同様だった。
「村川さん」わたしを遠目で見守ってくれていた会長が口を開いた。「いい試合だった」
そのことばに続いてトレーナーが頷いた。
そうか、わたしはーー
わたしは思わずバンデージを巻いたままの右手を大きく掲げた。
試合には負けた。
だが、わたしはーー年老いたオールド・ルーキーのわたしは、わたし自身に勝利したのだ。
会場から、微かにゴングの音が聴こえたーー