【冷たい墓石で鬼は泣く~拾~】
文字数 2,269文字
それから十年の歳月が経った。
馬乃助は、父上への反逆後は、相も変わらず素行は悪かったとはいえ、それ以上、楯突いたりすることはなくなっていた。
十八歳、大人でもなければ子供でもない年齢。父上も四十代となっており、以前よりは体力も落ちたとはいえ、その頑固一徹さは変わらなかった。
わたしは、以前ほどは父上から怒られることもなくなっていた。わたしはわたしなりに、怒鳴られ折檻されて行く内に、ある程度の抜け道というか、苛烈な激昂を避けられるような行動様式を自ら身につけることが出来ていた。
ただ、学力も剣術の腕も相変わらずで、全体から見て中間からちょっと上くらいの成績を維持し続けていた。
それに対して、馬乃助は学問も剣術も最高位の成績を納めていた。
知識も教養もあり、地の頭もよく回る。剣術に至っては、一対一ではつまらないといって、道場生五人を相手取り手合わせをするという無茶なこともしていた。が、それだけ無茶なことをしても、馬乃助の身体にはキズひとつなく、五人に対して圧勝して見せたりしていた。
もはや、剣術において馬乃助に勝てる者はいなくなっていた。師範代の先生も、馬乃助には勝てなくなっていたし、師範は馬乃助との手合わせをひたすらに避け続けていた。
加えて、馬乃助は師範には決して挑戦しようとはしなかった。自分が負けるのが怖いのか。が、それは違った。だが、馬乃助は師範には決して挑戦しようとしなかった。理由はわからない。わからないが、何となく予想はつく。
恐らくだが、馬乃助は師範のメンツを潰したくなかったのだろう。
後に浪人のヤクザ者になり下がる馬乃助ではあるが、馬乃助は誰よりも剣術の師範に親しみを抱いていた。小さな頃から師事し、その技術を教わってはすぐさまモノにし、継承してきた。そんな師範は、馬乃助にとって殆ど唯一といっていい信頼出来る人物だったに違いない。
だからこそ、戦うことを避けたのだろう。
本来、弟子は師のことを超えていくモノ。それこそが師の喜び。そう思わない者もいたには違いないだろうが、それはあくまで大した腕前を持たぬ者の話。我々の師範は誰よりも弟子が自分を超えて行くことを望んでいた。
だが、そんな師範も老いを重ねて病に苦しむようになってしまった。今では師範代に道場の教育を任せつつ、余裕がある時は自ら後進の教育に精を出していた。
師範は病に苦しむ老人となっていた。そんな師範と、若くして剣術に魅入られた馬乃助が戦えば、いくら師範が達人であるとはいえ、馬乃助が勝つことは目に見えていた。
それにもし仮に馬乃助が勝ってしまえば、道場の看板は馬乃助のモノとなるのが常道だ。馬乃助はそれがイヤだったに違いない。自分の敬愛する師範の道場を自分のモノにし、乗っ取るということがイヤだったのだろう。
そもそも、馬乃助は指導者になりたかったワケでもなければ、ひとつの道場の主になりたかったワケでもない。馬乃助はただ自分の腕をひたすらに磨きたかっただけだった。
とある日のことだった。わたしは馬乃助に用があり、道場内を探していた。馬乃助は師範の部屋にいた。師範とともに。普段は素行も態度もあまりよろしくない馬乃助も、師範の前では正座をし、慎ましくしていた。
と、そこで師範はいった。
「お前とわたしではどちらが強いかな?」
それを聴いて馬乃助は即答した。
「師範でございます」
これは間違いなく馬乃助が心底そう思っていったに違いなかった。だが、師範は朗らかな表情をいっぺんに崩して馬乃助を見、いった。
「お前の弱点はそこだな」
馬乃助はそのことばに対し、やや顔を叛けた。かと思いきやひとこと「はい……」と頷いた。わたしにはそれが何のことかわからなかった。一体、ふたりの間で何の会話がなされたのか。わたしが何か聞きそびれたのか。
いや、今考えると、それだけの会話で意味が通じるか否か、それこそがわたしと馬乃助の差だったのだろう。
それから少ししてのことだった。
師範が亡くなった。
始め、その知らせを聞いたのは牛野邸でのことだった。伝えに来たのは道場生のひとりで、その場にはわたしだけでなく、馬乃助もいた。わたしはわたしで衝撃を受けたモノだが、馬乃助はそれどころではなかった。
絶望。この世のすべてが無に帰してしまうような悲しみがいっぺんに襲って来たような、そんな表情を浮かべていた。かと思いきや、馬乃助の表情は鬼のようになり、屋敷を出て行ってしまった。わたしは馬乃助のことを引き止めようとしたが、彼はわたしのことばが聴こえていないように真っ直ぐに出て行ってしまった。
それからというモノ、馬乃助は道場内にて家捜しをするようにあちこちを調べるようになった。それと平衡して新しい師範を決めなければならなくなった。が、それもいっぺんに決まった。師範代のひとり、掛川門左衛門だった。
掛川は四十を少し過ぎたほどの男で、道場内でも指折りの実力者だった。が、その実力は既に馬乃助に抜かれており、掛川自身も自分よりも腕の立つ馬乃助を良く思っていなかった。
そのせいもあってか、師範の死後、馬乃助は道場から破門されることとなった。理由は、剣術を修行する者として相応しくない行いを日常的にしているから、ということだった。
破門された馬乃助は道場から姿を消した。屋敷では顔を見ていたが、その顔はげっそりとしているにも関わらず、目付きが鬼のように鋭く光っていた。
わたしはその時はまだ、馬乃助が何を思い、何をしようとしていたか、知る由もなかった。
【続く】
馬乃助は、父上への反逆後は、相も変わらず素行は悪かったとはいえ、それ以上、楯突いたりすることはなくなっていた。
十八歳、大人でもなければ子供でもない年齢。父上も四十代となっており、以前よりは体力も落ちたとはいえ、その頑固一徹さは変わらなかった。
わたしは、以前ほどは父上から怒られることもなくなっていた。わたしはわたしなりに、怒鳴られ折檻されて行く内に、ある程度の抜け道というか、苛烈な激昂を避けられるような行動様式を自ら身につけることが出来ていた。
ただ、学力も剣術の腕も相変わらずで、全体から見て中間からちょっと上くらいの成績を維持し続けていた。
それに対して、馬乃助は学問も剣術も最高位の成績を納めていた。
知識も教養もあり、地の頭もよく回る。剣術に至っては、一対一ではつまらないといって、道場生五人を相手取り手合わせをするという無茶なこともしていた。が、それだけ無茶なことをしても、馬乃助の身体にはキズひとつなく、五人に対して圧勝して見せたりしていた。
もはや、剣術において馬乃助に勝てる者はいなくなっていた。師範代の先生も、馬乃助には勝てなくなっていたし、師範は馬乃助との手合わせをひたすらに避け続けていた。
加えて、馬乃助は師範には決して挑戦しようとはしなかった。自分が負けるのが怖いのか。が、それは違った。だが、馬乃助は師範には決して挑戦しようとしなかった。理由はわからない。わからないが、何となく予想はつく。
恐らくだが、馬乃助は師範のメンツを潰したくなかったのだろう。
後に浪人のヤクザ者になり下がる馬乃助ではあるが、馬乃助は誰よりも剣術の師範に親しみを抱いていた。小さな頃から師事し、その技術を教わってはすぐさまモノにし、継承してきた。そんな師範は、馬乃助にとって殆ど唯一といっていい信頼出来る人物だったに違いない。
だからこそ、戦うことを避けたのだろう。
本来、弟子は師のことを超えていくモノ。それこそが師の喜び。そう思わない者もいたには違いないだろうが、それはあくまで大した腕前を持たぬ者の話。我々の師範は誰よりも弟子が自分を超えて行くことを望んでいた。
だが、そんな師範も老いを重ねて病に苦しむようになってしまった。今では師範代に道場の教育を任せつつ、余裕がある時は自ら後進の教育に精を出していた。
師範は病に苦しむ老人となっていた。そんな師範と、若くして剣術に魅入られた馬乃助が戦えば、いくら師範が達人であるとはいえ、馬乃助が勝つことは目に見えていた。
それにもし仮に馬乃助が勝ってしまえば、道場の看板は馬乃助のモノとなるのが常道だ。馬乃助はそれがイヤだったに違いない。自分の敬愛する師範の道場を自分のモノにし、乗っ取るということがイヤだったのだろう。
そもそも、馬乃助は指導者になりたかったワケでもなければ、ひとつの道場の主になりたかったワケでもない。馬乃助はただ自分の腕をひたすらに磨きたかっただけだった。
とある日のことだった。わたしは馬乃助に用があり、道場内を探していた。馬乃助は師範の部屋にいた。師範とともに。普段は素行も態度もあまりよろしくない馬乃助も、師範の前では正座をし、慎ましくしていた。
と、そこで師範はいった。
「お前とわたしではどちらが強いかな?」
それを聴いて馬乃助は即答した。
「師範でございます」
これは間違いなく馬乃助が心底そう思っていったに違いなかった。だが、師範は朗らかな表情をいっぺんに崩して馬乃助を見、いった。
「お前の弱点はそこだな」
馬乃助はそのことばに対し、やや顔を叛けた。かと思いきやひとこと「はい……」と頷いた。わたしにはそれが何のことかわからなかった。一体、ふたりの間で何の会話がなされたのか。わたしが何か聞きそびれたのか。
いや、今考えると、それだけの会話で意味が通じるか否か、それこそがわたしと馬乃助の差だったのだろう。
それから少ししてのことだった。
師範が亡くなった。
始め、その知らせを聞いたのは牛野邸でのことだった。伝えに来たのは道場生のひとりで、その場にはわたしだけでなく、馬乃助もいた。わたしはわたしで衝撃を受けたモノだが、馬乃助はそれどころではなかった。
絶望。この世のすべてが無に帰してしまうような悲しみがいっぺんに襲って来たような、そんな表情を浮かべていた。かと思いきや、馬乃助の表情は鬼のようになり、屋敷を出て行ってしまった。わたしは馬乃助のことを引き止めようとしたが、彼はわたしのことばが聴こえていないように真っ直ぐに出て行ってしまった。
それからというモノ、馬乃助は道場内にて家捜しをするようにあちこちを調べるようになった。それと平衡して新しい師範を決めなければならなくなった。が、それもいっぺんに決まった。師範代のひとり、掛川門左衛門だった。
掛川は四十を少し過ぎたほどの男で、道場内でも指折りの実力者だった。が、その実力は既に馬乃助に抜かれており、掛川自身も自分よりも腕の立つ馬乃助を良く思っていなかった。
そのせいもあってか、師範の死後、馬乃助は道場から破門されることとなった。理由は、剣術を修行する者として相応しくない行いを日常的にしているから、ということだった。
破門された馬乃助は道場から姿を消した。屋敷では顔を見ていたが、その顔はげっそりとしているにも関わらず、目付きが鬼のように鋭く光っていた。
わたしはその時はまだ、馬乃助が何を思い、何をしようとしていたか、知る由もなかった。
【続く】