【冷たい墓石で鬼は泣く~弐拾弐~】
文字数 1,251文字
まるで障子は氷のようになめらかに滑った。
わたしの障子を引こうとするその手には、決して躊躇いがなかったワケではない。いくら決心したからといって、純粋なる決意などあり得ない。......いや、わたしには覚悟が足りなかった。だからこそ、勉学も武術もそこまで上達しなかったのだろう。だが、悔いてももう遅い。ならば、その忌まわしき輪廻をここで断ち切らなければならないだろう。
「何だ?」障子の向こう側に座っていた人物が微かに振り返っていった。「何だ、その格好は! 屋敷がーー」
「父上」わたしはいった。「ご無礼は承知の上です」
「何だ貴様、気でも触れおったか!」
相変わらずの調子で激昂する父上に対し、わたしは声をやや震わせながらも、何処か淡々とことばを紡いでいった。
「父上に折り入ってお頼み申し上げたいことがございます」
恐らくわたしのことばは死人の声色のようだったろう。覇気がなく、生気がまったく感じられない骸のような声。父上はそんな声に何か異常性を感じたのか、しっかりと振り向いて座り直し、わたしにしっかりと相対した。
「......一体、何事だ?」
父上の声色には明らかに緊張が混じっていた。顔は強硬な姿勢を貫かんとするように歪んでいたが、それは同時に緊張であり、緊張を隠すための鎧であるようにも見えた。そうして見ると、これまで、まるで鬼のようであった父上がただのちっぽけな人間でしかなかったのだと思えてならなかった。わたしは身体を強張らせる父上に、こういった。
「わたしと剣術で勝負して頂きたい」
わたしの申し出に父上はまるでわたしを小バカにするような笑いを破裂させるように発した。
「何をいい出すかと思えば......」
「やって、頂けますよね?」
自分でも自分の声色が平淡で冷たいモノになっていることがわかった。父上はそのことを不気味に思ったのか、一瞬の沈黙を置きつつ、少し身を退きながらわたしのことを査定するようにじろりと見、そしてすべてを振り切るような勢いで前に向き直ると、そのままの勢いでいった。
「今日はもう遅い。稽古は明日だ。その姿のことは不問にするから、早く着替えて寝なさい。風邪を引く」
「お逃げになるのですか?」
そのことばが余程気に障ったのだろう、父上は鋭い視線でわたしをねめつけた。
「貴様、自分が何をいっているかわかっておるのか?」
「わかっています。これは火急な用件ですから。馬乃助が屋敷を出ていった今、わたしの行くべき道はふたつにひとつ」
「......ハッ、あの出来損ない。とうとう出て行きおったか。ならばよろしい。貴様には立派な跡継ぎになって貰わんとな。良かろう。特別に稽古をーー」
「わたしは、跡継ぎになどなりませんよ」
父上は凍りついたように呆気に取られた。何、とわたしに訊ねた声はすっかり消え入り、まるで蚊が鳴いたようだった。わたしは構わず続けた。
「それより、ひとつお訊きしたいのです」わたしは一旦間を置いてから、振り絞るようにいった。「おはるを殺したのは、アナタですか?」
【続く】
わたしの障子を引こうとするその手には、決して躊躇いがなかったワケではない。いくら決心したからといって、純粋なる決意などあり得ない。......いや、わたしには覚悟が足りなかった。だからこそ、勉学も武術もそこまで上達しなかったのだろう。だが、悔いてももう遅い。ならば、その忌まわしき輪廻をここで断ち切らなければならないだろう。
「何だ?」障子の向こう側に座っていた人物が微かに振り返っていった。「何だ、その格好は! 屋敷がーー」
「父上」わたしはいった。「ご無礼は承知の上です」
「何だ貴様、気でも触れおったか!」
相変わらずの調子で激昂する父上に対し、わたしは声をやや震わせながらも、何処か淡々とことばを紡いでいった。
「父上に折り入ってお頼み申し上げたいことがございます」
恐らくわたしのことばは死人の声色のようだったろう。覇気がなく、生気がまったく感じられない骸のような声。父上はそんな声に何か異常性を感じたのか、しっかりと振り向いて座り直し、わたしにしっかりと相対した。
「......一体、何事だ?」
父上の声色には明らかに緊張が混じっていた。顔は強硬な姿勢を貫かんとするように歪んでいたが、それは同時に緊張であり、緊張を隠すための鎧であるようにも見えた。そうして見ると、これまで、まるで鬼のようであった父上がただのちっぽけな人間でしかなかったのだと思えてならなかった。わたしは身体を強張らせる父上に、こういった。
「わたしと剣術で勝負して頂きたい」
わたしの申し出に父上はまるでわたしを小バカにするような笑いを破裂させるように発した。
「何をいい出すかと思えば......」
「やって、頂けますよね?」
自分でも自分の声色が平淡で冷たいモノになっていることがわかった。父上はそのことを不気味に思ったのか、一瞬の沈黙を置きつつ、少し身を退きながらわたしのことを査定するようにじろりと見、そしてすべてを振り切るような勢いで前に向き直ると、そのままの勢いでいった。
「今日はもう遅い。稽古は明日だ。その姿のことは不問にするから、早く着替えて寝なさい。風邪を引く」
「お逃げになるのですか?」
そのことばが余程気に障ったのだろう、父上は鋭い視線でわたしをねめつけた。
「貴様、自分が何をいっているかわかっておるのか?」
「わかっています。これは火急な用件ですから。馬乃助が屋敷を出ていった今、わたしの行くべき道はふたつにひとつ」
「......ハッ、あの出来損ない。とうとう出て行きおったか。ならばよろしい。貴様には立派な跡継ぎになって貰わんとな。良かろう。特別に稽古をーー」
「わたしは、跡継ぎになどなりませんよ」
父上は凍りついたように呆気に取られた。何、とわたしに訊ねた声はすっかり消え入り、まるで蚊が鳴いたようだった。わたしは構わず続けた。
「それより、ひとつお訊きしたいのです」わたしは一旦間を置いてから、振り絞るようにいった。「おはるを殺したのは、アナタですか?」
【続く】