【冷たい墓石で鬼は泣く~拾捌~】
文字数 1,454文字
その夜は珍しく嵐になった。
あんなにも穏やかだった空模様が、一瞬にして地獄の底のような荒ぶりようを見せることとなるとは誰が思っただろうか。
風は吹き、雨は殴り、何もかもが吹き飛んでしまいそうだった。雷鳴が轟いた。だが、わたしの身体はビクともしなかった。グッショリと濡れた着物は鎧よりも重く、履きモノと足許、袴の裾にへばりついた泥は今にもわたしを地の底まで引き摺り込んでしまいそうだった。
目の前が荒ぶる。だが、頭の中はそれ以上に混沌としていた。様々な記憶の場面が乱れ飛ぶ。投げた提灯、その灯りにてボンヤリと浮かんだ馬乃助の顔、邸内の一室にてわたしに背中を向けて座っていた馬乃助と立ち上がり振り返った彼がわたしに放ったひとこと。バカなと呟くわたし。
ウソだ。そう信じ込めれば何と幸いだっただろうか。だが、馬乃助のいうことに可笑しな点は何処にも見当たらなかった。いや、むしろ、どう考えてもそれこそが真実だろうと確信してしまうような説得力があった。
わたしは天を仰いだ。無数の雨がわたしの目を、髪を、頬を叩いていく。その中にはきっと涙も混じっている。
馬乃助の姿はもう邸内にはない。あの男は何処かへ消えてしまった。そしてもう二度とは帰ってこないであろう。向かった先は闇か地獄か。だが、わたしには謎の確信があった。あの男とはまた出会うこととなるであろう、と。
馬乃助の去り際、わたしと馬乃助は屋敷裏の人気のない通りに立っていた。提灯を持つのは馬乃助。きっとわたしと違ってそれを投げつけることはない。何処へ行くのか。そう訊ねても、馬乃助はわからないと答えるばかりだった。
「最後に......」わたしはいった。「最後に一刀、交えてはくれないか?」
馬乃助はうっすらと笑って見せていった。
「ハッ、おれじゃねえっていってるんだがな。そんなに信用ならねえか」
「そうじゃない。わたしはこれまで一度たりともお前に勝つことが出来なかった。だから、お前がここを去るというのならば、最後に一刀でも交えておきたい。それが例え、勝っても負けても」
「負ければ死ぬ、というのにか?」
「死にはせん」
わたしは手に持っていた巻き藁を解いた。中から二本の木刀がこぼれ落ちた。一本はそのままあ地面に寝、もう一本は切っ先から一寸ばかり立ち上がり、少ししてから倒れ、何度か弾んで死んだように横になった。
「互いの門出を、いずれかの死で汚すワケにはいかぬだろう」
鼻で笑う馬乃助。
「そんなこといって、本当は怖いんじゃねえのか?」
「あぁ、怖い」わたしは即答した。「わたしだって死にたくはない。刃が肉体を切り裂き、突き刺さるのを想像するだけでも身体は震え、血の気が引く」
馬乃助は、うっすらとした笑い声を上げたかと思うと、その声を次第に強めていき、最後には屋敷の中へ聴こえんばかりに笑って見せた。
「おれも、だ」馬乃助は恥じらう女子のようにいった。「おれだって死ぬのは怖い。痛いのもごめんだ。想像するだけでイヤな震えが来る」
わたしは驚いたーー驚かざるを得なかった。そんな表情を見て、馬乃助は、
「信じられねえって顔だな。でも、おれも人間なんだ。それに、いくらテメエに恨まれていようと、テメエを斬りたくなんかないんだよ......、兄貴」
と、馬乃助がこちらへ向かってきた。わたしの身体は硬直した。が、馬乃助は木刀を一本拾い上げると、わたしに堂々と背中を向けて元の位置へ戻り、構えを取った。
「さっさと拾えよ、はじめようぜ」
わたしは慌ただしく木刀を拾った。
【続く】
あんなにも穏やかだった空模様が、一瞬にして地獄の底のような荒ぶりようを見せることとなるとは誰が思っただろうか。
風は吹き、雨は殴り、何もかもが吹き飛んでしまいそうだった。雷鳴が轟いた。だが、わたしの身体はビクともしなかった。グッショリと濡れた着物は鎧よりも重く、履きモノと足許、袴の裾にへばりついた泥は今にもわたしを地の底まで引き摺り込んでしまいそうだった。
目の前が荒ぶる。だが、頭の中はそれ以上に混沌としていた。様々な記憶の場面が乱れ飛ぶ。投げた提灯、その灯りにてボンヤリと浮かんだ馬乃助の顔、邸内の一室にてわたしに背中を向けて座っていた馬乃助と立ち上がり振り返った彼がわたしに放ったひとこと。バカなと呟くわたし。
ウソだ。そう信じ込めれば何と幸いだっただろうか。だが、馬乃助のいうことに可笑しな点は何処にも見当たらなかった。いや、むしろ、どう考えてもそれこそが真実だろうと確信してしまうような説得力があった。
わたしは天を仰いだ。無数の雨がわたしの目を、髪を、頬を叩いていく。その中にはきっと涙も混じっている。
馬乃助の姿はもう邸内にはない。あの男は何処かへ消えてしまった。そしてもう二度とは帰ってこないであろう。向かった先は闇か地獄か。だが、わたしには謎の確信があった。あの男とはまた出会うこととなるであろう、と。
馬乃助の去り際、わたしと馬乃助は屋敷裏の人気のない通りに立っていた。提灯を持つのは馬乃助。きっとわたしと違ってそれを投げつけることはない。何処へ行くのか。そう訊ねても、馬乃助はわからないと答えるばかりだった。
「最後に......」わたしはいった。「最後に一刀、交えてはくれないか?」
馬乃助はうっすらと笑って見せていった。
「ハッ、おれじゃねえっていってるんだがな。そんなに信用ならねえか」
「そうじゃない。わたしはこれまで一度たりともお前に勝つことが出来なかった。だから、お前がここを去るというのならば、最後に一刀でも交えておきたい。それが例え、勝っても負けても」
「負ければ死ぬ、というのにか?」
「死にはせん」
わたしは手に持っていた巻き藁を解いた。中から二本の木刀がこぼれ落ちた。一本はそのままあ地面に寝、もう一本は切っ先から一寸ばかり立ち上がり、少ししてから倒れ、何度か弾んで死んだように横になった。
「互いの門出を、いずれかの死で汚すワケにはいかぬだろう」
鼻で笑う馬乃助。
「そんなこといって、本当は怖いんじゃねえのか?」
「あぁ、怖い」わたしは即答した。「わたしだって死にたくはない。刃が肉体を切り裂き、突き刺さるのを想像するだけでも身体は震え、血の気が引く」
馬乃助は、うっすらとした笑い声を上げたかと思うと、その声を次第に強めていき、最後には屋敷の中へ聴こえんばかりに笑って見せた。
「おれも、だ」馬乃助は恥じらう女子のようにいった。「おれだって死ぬのは怖い。痛いのもごめんだ。想像するだけでイヤな震えが来る」
わたしは驚いたーー驚かざるを得なかった。そんな表情を見て、馬乃助は、
「信じられねえって顔だな。でも、おれも人間なんだ。それに、いくらテメエに恨まれていようと、テメエを斬りたくなんかないんだよ......、兄貴」
と、馬乃助がこちらへ向かってきた。わたしの身体は硬直した。が、馬乃助は木刀を一本拾い上げると、わたしに堂々と背中を向けて元の位置へ戻り、構えを取った。
「さっさと拾えよ、はじめようぜ」
わたしは慌ただしく木刀を拾った。
【続く】