【タヌキ親父と狂った猿】
文字数 2,605文字
夕暮れ時の川越街道。虫の音が響く中を籠を持った武士たちが行列をなして歩いている。
その人数はおよそ二十人といったところ。篭は荘厳で、ひと目見て旗本のモノだとわかる。
ふたりの籠持ちも、その周りを取り囲む護衛役も皆、緊張感に満ちた顔つきで歩いている。そう考えると、籠の中の人物は余程位の高い者と見える。
旗本の籠行列が現れれば、道行く人たちは皆、膝をついて頭を下げたり、その場からそそくさと逃げ去ってしまったりする。
旗本の籠行列が川越の街に差し掛かる頃になると空は暗くなり、燈籠の僅かな火だけが足元を照らす灯りとなる。
籠はゆく。護衛と籠持ちの足音。その中にひとつ、無作法な足音が鳴り響く。
まず護衛役が立ち止まり、それに合わせて籠役ふたりも立ち止まる。
「どうした?」籠の中の誰かがいう。男だ。
「守山殿が止まれと、いったもので」籠役のひとりがそう答え、「どうなされました?」
「待て!」守山は後方の籠役に向かっていうと、そのまま前方を注視し、「そこにいるヤツ、出てこい」
守山が叫ぶと、燈籠の灯りによってボンヤリと何かが浮かび上がる。
人の顔ーー男のモノだ。
まるで亡霊。見た目は見るからに野良犬。顔は凛々しく、髷は結っていない総髪で、金属の髪留めで髪をうしろに撫で付けている。
男は不敵に笑う。
「何者だ! 名を名乗れ!」守山。
「名前をいわせるなら、まずは自分からいうのが礼儀だと思うぜ」
男の不遜なことばに守山は顔を歪めた。
「守山勘十郎、武州川越の直参旗本、松平天馬様の護衛役、その長を務めている。さぁ、いったぞ! 貴様は何者だ?」
「名前を知りたければ、生き残ることだな」
男は、狂犬のようにくぐもった目付きでそういい放った。男の不気味ないい様に、守山も他の護衛役も狼狽を隠せない。そんな中、護衛役のひとりが、
「狼藉者め! 切り捨ててくれる!」
と刀を抜く。
「待て!」
守山がたしなめると、刀を抜いた侍は曖昧な態度で立ち竦む。武士である者、刀を抜いた手前、おちおちと引き下がれるモノでもない。
それを見た男、口元を緩ませ、
「面白い。試してみようぜ」
男のいい様に、刀を抜いた侍はもちろん、他の侍も刀に手を掛ける。
「待てといっておろうに!」守山は他の者にいい聞かせると男に向かって、「そんなことをして何になる! 貴様はひとり。こちらはゆうに二十もの武士が控えている。本来ならば許されることではないが、今回の無礼は目を瞑ろう。直ちに退くのだ」
守山のことばで、男の目から笑いが消える。
「お断りだ」
そういって、男は無表情のまま行列の真ん中に向かって歩き出す。
ゆっくりと詰まっていく距離。
そして、火蓋は切られる。
最初に刀を抜いた侍が声を荒げながら八相の構えで男に向かって行ったのだ。
「待てッ!」
守山の制止はもはや無駄。侍は今にも袈裟懸けに男に斬りかかろうとしている。
斬るーー太刀が風を切る。
守山は顔を歪めた。
突然の悲鳴。だが、それが男のではないと守山にはわかったようだ。そう、悲鳴を上げたのは、最初に刀を抜いた侍だったのだ。
「木下!」
守山の呼び掛けも虚しく、木下は何もいわない。それどころか、
「よぉ、守山。刀が抜かれたってことは、そういうことでいいんだよな。まぁ、安心しろよ。木下は気絶してるだけだ。死んじゃいねぇさ。さ、次は誰だ。難なら、おれは刀を抜かずにやってもいい」
男の挑発とも取れるひとことに、他の護衛役も刀を抜き、そのまま男に向かって走り出す。
「止めろ!」
守山は正しかったのかもしれない。というのも、守山の目に、男が刀を抜かず、見たこともない徒手空拳を使って、守山の配下の侍たちを倒しているのが見えたからだ。
籠役のふたりは、完全に腰を抜かして、その場に座り込んでしまっている。
僅か三分ーー守山の配下の侍が全滅するのに掛かった時間。
「さて、どうするよ。みんな気絶しちまったぜ」男が死んだ笑みを浮かべる。「守山、アンタはどうする。やるか、やらないか」
守山は口を答えを出しかねるように、口を真一文字に結んでいる。
「どうするんだ?」
男に問われ、守山は決心したように口を開こうとするーーが、
「待て」籠の中から声。「わざわざそんなことをするまでもない」
そういって、籠を閉ざしていた御簾が開き、そこから男がひとり現れる。小太りで身長は小さく、見た目はまるでタヌキのよう。豪奢な絹の服を着、腰には白い柄巻の脇差を差してはいるが、その雰囲気はまるで合っていない。
「怖じ気づいたのか」男。
「いやぁ、そうではない」
籠の男は屈託もなく笑って見せる。その顔には恐れなどこれっぽっちもなく、それどころか不適当なまでの余裕まである。
「じゃあ、どうするっていうんだ?」男の顔から笑みが消える。
「お主のその命知らずな根性を買いたい」
籠の男の突然の申し出に、男も守山もワケがわからないといった様子を隠せない。
「松平様、何をおっしゃられます!」
「わたしは本気だよ。さぁ、アンタ、どうなされる。もちろん、報酬はたんまりと出そう」
「それがウソじゃないと、どうしていい切れる?」男の顔に不信感。
が、籠の男ーー松平は尚も笑みを浮かべ、
「その時は首を跳ねてもらって構わない」
「松平様!」
「聞け。わたしは、アンタのような人間が欲しいのだ。何、わたしの屋敷で奉公しろとはいわない。イヤなら髷も結わなくていいし、二本差しになる必要もない。ただ、アンタさえよかったら、わたしに力を貸して欲しい。勿論、断ったからって無礼討などしない。わたしとアンタが他人になるだけだ。さぁ、如何かな?」
男は慎重な顔つき。黙り込んで、何かを考えているよう。少し考えた後に、
「奉公なし、やりたいようにしていい、ウソをついたらおれがアンタ首を跳ねる。それでいいんだな?」
「勿論。まぁ、そのための試練は受けて貰うことになるが、アンタなら何てことはないだろう。何せ大金が掛かっているのだ。それくらいの条件は飲んでくれても構わないだろう?」
松平のことばに、男はゆっくりと微笑を浮かべ、
「面白い、乗ったぜ」
「まさか……!」守山は信じられないといったご様子。
「ありがたい。だが、アンタ。わたしにずっと『アンタ』と呼ばれるのはイヤだろう。そろそろ名前を教えてはくれないかな?」
男は不敵な笑みを浮かべ、
「猿田、猿田源之助だ」
【幕】
その人数はおよそ二十人といったところ。篭は荘厳で、ひと目見て旗本のモノだとわかる。
ふたりの籠持ちも、その周りを取り囲む護衛役も皆、緊張感に満ちた顔つきで歩いている。そう考えると、籠の中の人物は余程位の高い者と見える。
旗本の籠行列が現れれば、道行く人たちは皆、膝をついて頭を下げたり、その場からそそくさと逃げ去ってしまったりする。
旗本の籠行列が川越の街に差し掛かる頃になると空は暗くなり、燈籠の僅かな火だけが足元を照らす灯りとなる。
籠はゆく。護衛と籠持ちの足音。その中にひとつ、無作法な足音が鳴り響く。
まず護衛役が立ち止まり、それに合わせて籠役ふたりも立ち止まる。
「どうした?」籠の中の誰かがいう。男だ。
「守山殿が止まれと、いったもので」籠役のひとりがそう答え、「どうなされました?」
「待て!」守山は後方の籠役に向かっていうと、そのまま前方を注視し、「そこにいるヤツ、出てこい」
守山が叫ぶと、燈籠の灯りによってボンヤリと何かが浮かび上がる。
人の顔ーー男のモノだ。
まるで亡霊。見た目は見るからに野良犬。顔は凛々しく、髷は結っていない総髪で、金属の髪留めで髪をうしろに撫で付けている。
男は不敵に笑う。
「何者だ! 名を名乗れ!」守山。
「名前をいわせるなら、まずは自分からいうのが礼儀だと思うぜ」
男の不遜なことばに守山は顔を歪めた。
「守山勘十郎、武州川越の直参旗本、松平天馬様の護衛役、その長を務めている。さぁ、いったぞ! 貴様は何者だ?」
「名前を知りたければ、生き残ることだな」
男は、狂犬のようにくぐもった目付きでそういい放った。男の不気味ないい様に、守山も他の護衛役も狼狽を隠せない。そんな中、護衛役のひとりが、
「狼藉者め! 切り捨ててくれる!」
と刀を抜く。
「待て!」
守山がたしなめると、刀を抜いた侍は曖昧な態度で立ち竦む。武士である者、刀を抜いた手前、おちおちと引き下がれるモノでもない。
それを見た男、口元を緩ませ、
「面白い。試してみようぜ」
男のいい様に、刀を抜いた侍はもちろん、他の侍も刀に手を掛ける。
「待てといっておろうに!」守山は他の者にいい聞かせると男に向かって、「そんなことをして何になる! 貴様はひとり。こちらはゆうに二十もの武士が控えている。本来ならば許されることではないが、今回の無礼は目を瞑ろう。直ちに退くのだ」
守山のことばで、男の目から笑いが消える。
「お断りだ」
そういって、男は無表情のまま行列の真ん中に向かって歩き出す。
ゆっくりと詰まっていく距離。
そして、火蓋は切られる。
最初に刀を抜いた侍が声を荒げながら八相の構えで男に向かって行ったのだ。
「待てッ!」
守山の制止はもはや無駄。侍は今にも袈裟懸けに男に斬りかかろうとしている。
斬るーー太刀が風を切る。
守山は顔を歪めた。
突然の悲鳴。だが、それが男のではないと守山にはわかったようだ。そう、悲鳴を上げたのは、最初に刀を抜いた侍だったのだ。
「木下!」
守山の呼び掛けも虚しく、木下は何もいわない。それどころか、
「よぉ、守山。刀が抜かれたってことは、そういうことでいいんだよな。まぁ、安心しろよ。木下は気絶してるだけだ。死んじゃいねぇさ。さ、次は誰だ。難なら、おれは刀を抜かずにやってもいい」
男の挑発とも取れるひとことに、他の護衛役も刀を抜き、そのまま男に向かって走り出す。
「止めろ!」
守山は正しかったのかもしれない。というのも、守山の目に、男が刀を抜かず、見たこともない徒手空拳を使って、守山の配下の侍たちを倒しているのが見えたからだ。
籠役のふたりは、完全に腰を抜かして、その場に座り込んでしまっている。
僅か三分ーー守山の配下の侍が全滅するのに掛かった時間。
「さて、どうするよ。みんな気絶しちまったぜ」男が死んだ笑みを浮かべる。「守山、アンタはどうする。やるか、やらないか」
守山は口を答えを出しかねるように、口を真一文字に結んでいる。
「どうするんだ?」
男に問われ、守山は決心したように口を開こうとするーーが、
「待て」籠の中から声。「わざわざそんなことをするまでもない」
そういって、籠を閉ざしていた御簾が開き、そこから男がひとり現れる。小太りで身長は小さく、見た目はまるでタヌキのよう。豪奢な絹の服を着、腰には白い柄巻の脇差を差してはいるが、その雰囲気はまるで合っていない。
「怖じ気づいたのか」男。
「いやぁ、そうではない」
籠の男は屈託もなく笑って見せる。その顔には恐れなどこれっぽっちもなく、それどころか不適当なまでの余裕まである。
「じゃあ、どうするっていうんだ?」男の顔から笑みが消える。
「お主のその命知らずな根性を買いたい」
籠の男の突然の申し出に、男も守山もワケがわからないといった様子を隠せない。
「松平様、何をおっしゃられます!」
「わたしは本気だよ。さぁ、アンタ、どうなされる。もちろん、報酬はたんまりと出そう」
「それがウソじゃないと、どうしていい切れる?」男の顔に不信感。
が、籠の男ーー松平は尚も笑みを浮かべ、
「その時は首を跳ねてもらって構わない」
「松平様!」
「聞け。わたしは、アンタのような人間が欲しいのだ。何、わたしの屋敷で奉公しろとはいわない。イヤなら髷も結わなくていいし、二本差しになる必要もない。ただ、アンタさえよかったら、わたしに力を貸して欲しい。勿論、断ったからって無礼討などしない。わたしとアンタが他人になるだけだ。さぁ、如何かな?」
男は慎重な顔つき。黙り込んで、何かを考えているよう。少し考えた後に、
「奉公なし、やりたいようにしていい、ウソをついたらおれがアンタ首を跳ねる。それでいいんだな?」
「勿論。まぁ、そのための試練は受けて貰うことになるが、アンタなら何てことはないだろう。何せ大金が掛かっているのだ。それくらいの条件は飲んでくれても構わないだろう?」
松平のことばに、男はゆっくりと微笑を浮かべ、
「面白い、乗ったぜ」
「まさか……!」守山は信じられないといったご様子。
「ありがたい。だが、アンタ。わたしにずっと『アンタ』と呼ばれるのはイヤだろう。そろそろ名前を教えてはくれないかな?」
男は不敵な笑みを浮かべ、
「猿田、猿田源之助だ」
【幕】