【余力か手抜きか】

文字数 1,200文字

 いい塩梅を見極めるのは非常に難しい。

 これくらいがちょうどいい。では、これくらいというのはどれくらいなのか。その微妙な感覚を見極めるには、かなりの経験を積まなければならないと個人的には思っている。

 ひとついえるのは、何事もやり過ぎは良くないし、不足していてもよろしくないということだ。過剰に何かをするのは、その一度はいいとしても次に続かなくなりかねないし、不足していては次に繋がりはしても、次への展望は見えなくなってしまうーーつまりは、惰性での継続に繋がりかねないということだ。

 なかなかに観念的というか、非常に難しい命題ではあるのだけど、ここに来て唐突にそのことについて考えるようになったのだ。理由は特にない。ただ、ひとつ気づいたことがあったのだ。では、何に気づいたか。それはーー

「手抜きをする」ことと「余力を残す」ことは似て非なることだということだ。

 似て非なるとはいったけど、正直これらは全然違うモノだと思う。ただ、おれはこの境界を見極めることが著しく苦手だったーーというか、今でも全然見極めできていない。

 おれが自分で思う最大の悪い点は、「一回に力を込め過ぎてしまう」ことだ。

 何をやるにしても身体全体、特に肩に力が入り過ぎてしまうのだ。そして毎回どんな分野においてもそれを指摘される。

 おれはその理由が自分でもわからなかった。だが、ここに来て漸くその理由に気づいた気がしたのだ。というのはーー

 おれは「手抜き」と「余力を残す」ということをごっちゃにしていたということだ。

 これは致命的だと思う。おれはしっかりと力を入れないと、自分がそれをやっているという実感を得られずにいた。だが、それは逆効果ーーつまり、余裕がないということとイコールだということに漸く気づいたのだ。

 余裕の有無でいったら、余裕が有るほうがどう考えても好感触だし、余裕のない立ち回りは精彩を欠く上に間抜けになりがちだし、緩急もなくなって趣もなくなる。重厚さも消えるし、やはり余裕を持つのは大事だと漸く気づいたワケだ。

 ただ、ことばの意味として「手抜き」と「余力を残す」ことの違いを頭で理解したところで、それを肉体的な感覚で理解しないことにはどうにもならないと思うのだ。しかし、それを理解するのは本当に難しい。

 やはり、色々な経験を積み、能力の向上を図り、感覚を研ぎ澄ませるのが一番なのだと思う。そうなると道は遠いように思えるけど、逆にそれこそが最大の近道なのかもしれない。

「手抜き」は単純に怠惰なこと。「余力を残す」は次に備えて、それに対応できる力を残すということ。それを肉体にラーニングすること、これが当面の課題だろうねーー

 一体何の話をしているのか。

 まぁ、ここ最近感じた思考の流れをまとめた感じになってしまったのだけど、まぁ、こういうことを考えるのも悪くはないだろう。

 取り敢えず今日はこんなとこだな。

 アスタラ。
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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