【西陽の当たる地獄花~弐拾漆~】
文字数 2,350文字
やたらと豪奢な食堂に多くのモノがいる。
極楽院の食堂、その長机の上座奥には神が座っており、その対面である下座の手前には、あの白装束の浪人が座っている。
「いやぁ、どうだね、気分は?」
神がいうと白装束の男は大きくため息をし、
「最低な気分ですなぁ」
と枡に入った濁酒を呷る。
「最低?」
神の疑問に対し、白装束の男は沈黙と枡に入った混濁する濁酒を眺めることで答える。
「……何だ、何か不満があるのかね?」
「何か?」白装束は濁酒の入った枡を静かに机に置く。「何かって、それがわからないなんて、神様は頭のご病気か何かかな?」
勢い良く机に置かれた枡の中、濁酒が波打ち揺れている。
「失礼だぞ! 口を慎め!」
極楽の上級役人が声を荒げる。が、神ーー
「まぁ、よい。この男は朕がどれほどの男か、わかっちゃいないのだ。朕を何だと思う。極楽と地獄。いや、彼岸。そして、現世。すべての創造主であり、支配者。それが朕なのだ」
白装束の男は高笑いする。場は白装束の甲高い笑い声を残して静まり返る。不快感と焦燥感、怒りと恐れを漂わせて。
「……何が可笑しいのかな?」
「なるほど、これはダメですな」
白装束の断言に、神の顔は強張る。
「何が……、何がダメだというのだ!」
「アナタがこの彼岸、ひいては現世の支配者であるということが、です」
神の顔が真っ赤に染まっていく。
「過去の栄光を詠いたがる者は今を生きていない。今ある地位や権力を誇示する者は足許ばかりを見ていて未来を見ていない。アナタのような御方が支配者ならば、彼岸も現世もろくでもないのは納得、ということでございますよ」
神は音を立てて勢い良く立ち上がる。
「貴様ッ……! 貴様まで朕にそのような口を利くとは許さぬ……ッ! 許さぬぞ!」
「貴様まで、ということは、あの牛馬とやらも同じことを仰ったので? これは傑作だ」
「そうだ! 貴様ら野良犬、それも命知らずの狂犬どもは相手を敬うことを知らない! 飼い犬どもは勿論、大抵の困窮した野良犬どもも、ちょっとしたエサをチラつかせてやれば、簡単に尻尾を振ってひれ伏すというのに。中には貴様やあの牛馬とかいう不届き者、礼節を欠いたゴミクズが存在する……。今は朕が用心棒として雇っているからいいものを……、それがなければ貴様はとっくの昔に……」
「死んでいた、とでもいうのですか?」
「そうだ!」
神の真っ赤な顔ーー今にも頭の血管が音を立ててはち切れそうな勢い。が、白装束は、
「残念ながら、それは無理でしょうね」
「無理……?」
「えぇ、所詮極楽の武士どもなんて、ヌクヌクとした食事と飼所を与えられた飼い殺しの畜生。オマケに、そのこころは敬意ではなく、恐怖によって縛られている。人を支配するならば恐怖を植え付けることができれば充分。だが、信頼させるには情がなければならない」
神は鼻で嗤うーー
「ハッ、まぁ、貴様のいいたいことも何となくはわからないでもない。だが、下の者を信頼させるのに、恐怖では足りぬというのは間違っているのではないか? 人は恐怖によって支配することは勿論、信頼させることも可能なのだ」
白装束は神のことばに答えることなく、懐から煙管を取り出し、暖炉まで歩くと屈んで煙草に火をつけ立ち上がり、その場で煙管を吸うとそのまま煙を大きく吐く。白い煙が靄のように漂い、神の姿をボヤけさせる。
「……確かに、表向きはそうかもしれない。だが、その表面的な『信頼ごっこ』は簡単に切れてしまう解れた糸のようなモノ。磐石さがない分、ちょっとしたことで簡単に切れてしまう。下のヤツラはアナタを信頼しているのではない。信頼する振りをさせられているだけだ」
「……ッ! 貴様ァ!」
神は背後の刀掛けに掛けてあった白鞘の刀に手を掛け、鞘から半分ほど刀を抜く。が、その手は止まる。緊張し強張った表情を携えて。
「それを抜いて、わたしに勝てるとでも?」
まるで氷瀑のように佇む白装束ーー視線は氷柱のように鋭く、表情は凍った鉛のよう。神はそんな白装束を見て、動きを止める。何もいえない。歯軋りをし、力んだ右手を震わせるばかりで、刀を抜こうとはしない。そして、ゆっくりと、ゆっくりと刀を鞘に納める。
「……それが正しい選択です。アナタもアナタの手下も、わたしを殺せない。そして牛馬も」
「牛馬ぁ!? あのサンピンは貴様が殺してしまったではないか! 死んだ者が朕に刃向かうなどあるワケがーー」
「あるかもしれませんよ」
白装束ニヤリ。神の顔に緊張が走る。
「まさか、貴様……」
「いえ、ちゃんと殺しはしました。ですが、ここに首が並んでいないように、死体は消えてしまった。あの男は死ぬ間際、自らの亡骸を隠匿するように、川に身を投げ、滝へと飲まれた。この晩餐に参加することがなかったのは、あの男にとっては幸いだったでしょう」
白装束は長机の表面を拳で強く打ち付ける。バンッという音と共に、ゴトリと何かが転がる。
首ーー男の生首。
その首は、極楽の中級役人のモノだ。それだけではない。閻魔の遣いとして極楽に送り込まれた者の首も並んでいる。そして、その中には、絶望と苦痛に歪んだ鬼水と宗賢の首も。みな、長机の上に並び、首の前には豪奢な食器に載った豪勢な食事が置かれている。
晩餐会ーーそれは神が自分に刃向かった者の首と共に食事をするという悪辣としたモノ。
神は嗤うーー
「だが、そこにいる『客人』たちは紛れもない貴様が斬ったのだ。殺したのだ。罪悪感を抱くとしたら、貴様自身ではないのかね?」
「これが、わたしの仕事ですから」
「何を格好つけておる。いいことを教えてやろう。貴様が殺したあの牛馬という男ーー」
白装束の目がギロリと光る。
【続く】
極楽院の食堂、その長机の上座奥には神が座っており、その対面である下座の手前には、あの白装束の浪人が座っている。
「いやぁ、どうだね、気分は?」
神がいうと白装束の男は大きくため息をし、
「最低な気分ですなぁ」
と枡に入った濁酒を呷る。
「最低?」
神の疑問に対し、白装束の男は沈黙と枡に入った混濁する濁酒を眺めることで答える。
「……何だ、何か不満があるのかね?」
「何か?」白装束は濁酒の入った枡を静かに机に置く。「何かって、それがわからないなんて、神様は頭のご病気か何かかな?」
勢い良く机に置かれた枡の中、濁酒が波打ち揺れている。
「失礼だぞ! 口を慎め!」
極楽の上級役人が声を荒げる。が、神ーー
「まぁ、よい。この男は朕がどれほどの男か、わかっちゃいないのだ。朕を何だと思う。極楽と地獄。いや、彼岸。そして、現世。すべての創造主であり、支配者。それが朕なのだ」
白装束の男は高笑いする。場は白装束の甲高い笑い声を残して静まり返る。不快感と焦燥感、怒りと恐れを漂わせて。
「……何が可笑しいのかな?」
「なるほど、これはダメですな」
白装束の断言に、神の顔は強張る。
「何が……、何がダメだというのだ!」
「アナタがこの彼岸、ひいては現世の支配者であるということが、です」
神の顔が真っ赤に染まっていく。
「過去の栄光を詠いたがる者は今を生きていない。今ある地位や権力を誇示する者は足許ばかりを見ていて未来を見ていない。アナタのような御方が支配者ならば、彼岸も現世もろくでもないのは納得、ということでございますよ」
神は音を立てて勢い良く立ち上がる。
「貴様ッ……! 貴様まで朕にそのような口を利くとは許さぬ……ッ! 許さぬぞ!」
「貴様まで、ということは、あの牛馬とやらも同じことを仰ったので? これは傑作だ」
「そうだ! 貴様ら野良犬、それも命知らずの狂犬どもは相手を敬うことを知らない! 飼い犬どもは勿論、大抵の困窮した野良犬どもも、ちょっとしたエサをチラつかせてやれば、簡単に尻尾を振ってひれ伏すというのに。中には貴様やあの牛馬とかいう不届き者、礼節を欠いたゴミクズが存在する……。今は朕が用心棒として雇っているからいいものを……、それがなければ貴様はとっくの昔に……」
「死んでいた、とでもいうのですか?」
「そうだ!」
神の真っ赤な顔ーー今にも頭の血管が音を立ててはち切れそうな勢い。が、白装束は、
「残念ながら、それは無理でしょうね」
「無理……?」
「えぇ、所詮極楽の武士どもなんて、ヌクヌクとした食事と飼所を与えられた飼い殺しの畜生。オマケに、そのこころは敬意ではなく、恐怖によって縛られている。人を支配するならば恐怖を植え付けることができれば充分。だが、信頼させるには情がなければならない」
神は鼻で嗤うーー
「ハッ、まぁ、貴様のいいたいことも何となくはわからないでもない。だが、下の者を信頼させるのに、恐怖では足りぬというのは間違っているのではないか? 人は恐怖によって支配することは勿論、信頼させることも可能なのだ」
白装束は神のことばに答えることなく、懐から煙管を取り出し、暖炉まで歩くと屈んで煙草に火をつけ立ち上がり、その場で煙管を吸うとそのまま煙を大きく吐く。白い煙が靄のように漂い、神の姿をボヤけさせる。
「……確かに、表向きはそうかもしれない。だが、その表面的な『信頼ごっこ』は簡単に切れてしまう解れた糸のようなモノ。磐石さがない分、ちょっとしたことで簡単に切れてしまう。下のヤツラはアナタを信頼しているのではない。信頼する振りをさせられているだけだ」
「……ッ! 貴様ァ!」
神は背後の刀掛けに掛けてあった白鞘の刀に手を掛け、鞘から半分ほど刀を抜く。が、その手は止まる。緊張し強張った表情を携えて。
「それを抜いて、わたしに勝てるとでも?」
まるで氷瀑のように佇む白装束ーー視線は氷柱のように鋭く、表情は凍った鉛のよう。神はそんな白装束を見て、動きを止める。何もいえない。歯軋りをし、力んだ右手を震わせるばかりで、刀を抜こうとはしない。そして、ゆっくりと、ゆっくりと刀を鞘に納める。
「……それが正しい選択です。アナタもアナタの手下も、わたしを殺せない。そして牛馬も」
「牛馬ぁ!? あのサンピンは貴様が殺してしまったではないか! 死んだ者が朕に刃向かうなどあるワケがーー」
「あるかもしれませんよ」
白装束ニヤリ。神の顔に緊張が走る。
「まさか、貴様……」
「いえ、ちゃんと殺しはしました。ですが、ここに首が並んでいないように、死体は消えてしまった。あの男は死ぬ間際、自らの亡骸を隠匿するように、川に身を投げ、滝へと飲まれた。この晩餐に参加することがなかったのは、あの男にとっては幸いだったでしょう」
白装束は長机の表面を拳で強く打ち付ける。バンッという音と共に、ゴトリと何かが転がる。
首ーー男の生首。
その首は、極楽の中級役人のモノだ。それだけではない。閻魔の遣いとして極楽に送り込まれた者の首も並んでいる。そして、その中には、絶望と苦痛に歪んだ鬼水と宗賢の首も。みな、長机の上に並び、首の前には豪奢な食器に載った豪勢な食事が置かれている。
晩餐会ーーそれは神が自分に刃向かった者の首と共に食事をするという悪辣としたモノ。
神は嗤うーー
「だが、そこにいる『客人』たちは紛れもない貴様が斬ったのだ。殺したのだ。罪悪感を抱くとしたら、貴様自身ではないのかね?」
「これが、わたしの仕事ですから」
「何を格好つけておる。いいことを教えてやろう。貴様が殺したあの牛馬という男ーー」
白装束の目がギロリと光る。
【続く】