神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(7)
文字数 858文字
12月5日にフランクフルトでフランス王フィリップ2世と教皇の使者が見届ける中でフリードリヒはローマ王に選出され、12月9日にマインツで戴冠した。フリードリヒはフランスからの援助を受け、諸侯に対しては特許状を発行して支持を集めてオットーに対抗した。1214年のブーヴィーヌの戦いでの敗北でオットーの没落は決定的になり、フリードリヒは名実共にローマ王として認められた。
1215年にフリードリヒはアーヘン大聖堂でローマ法王に正式に戴冠され十字軍の遠征に赴くことを誓約した。フリードリヒの宣言に満足したインノケンティウス3世はハインリヒがゲルマニアに移ることを認め、翌1216年に没した。
ゲルマニアに滞在中フリードリヒはエルザス、ライン河畔、ヴォルムス、シュパイアーに滞在し、諸侯に積極的に干渉しようとはしなかった。フリードリヒはゲルマニアの統治において、ハインリヒ6世没後に諸侯が獲得した特権を1213年と1220年の2度にわたって承認し、聖俗両方から支持を獲得した。