カール4世(8)
文字数 993文字
「ハンザ同盟」の名称で知られる経済共同体は、デンマーク王ヴァルデマー4世がバルト海、北海を中心とする北方貿易を独占しようと試みたことに対し、いくつかの都市が反発して同盟をむすんだことに端を発している。1375年カール4世はリューベックを盟主とするハンザ同盟の貿易独占権を承認した。同盟を構成する有力都市は他にハンブルク、ケルン、ブレーメン、ダンツィヒ(グダニスク)などがあり、最盛期には200以上の都市が加盟していた。
翌1376年、新たな「シュヴァーベン都市同盟」が結成され、カール4世はこれも許可した。この許可は、一説には帝位世襲工作の資金調達のためであったといわれている。しかし、自ら定めた金印勅書に違反しての同盟許可は帝国諸侯を憤慨させる結果となった。
ヴェンツェルは幸せですね。私なんて長男であっても、父上は仲の悪い私よりも弟のマルティンに王位を継がせたがっているとか、後妻に男の子が生まれたら殺されるかもしれないとか、いろいろ考えていつも不安でいっぱいでした。
このころ外交においては、フランスやポーランドとの国境問題を解決し、1377年には教皇のアヴィニョン滞在に終止符を打って教皇グレゴリウス11世のローマ帰還を実現させて自らの声望を高め、神聖ローマ帝国の国際的地位を向上させた。