エメリー・ド・リュジニャン(1)

文字数 736文字

ギー・ド・リュジニャンの兄でキプロス王、エルサレム王にもなったエメリー・ド・リュジニャンについてです。作品集は下の画像から入って下さい。
エメリーのシールと紹介してありました。
ギーの方は後の時代に描かれたものですが立派な肖像画があるのにくらべ、兄のエメリーはシールがあるだけなのですね。
エメリー・ド・リュジニャンまたはアモーリー・ド・リュジニャン(1145年ー1205年)はフランスの騎士でキプロス王(在位1195年ー1205年)、エルサレム王(在位1197年ー1205年)。弟ギー・ド・リュジニャンの跡を継いでキプロス王になり、ついでエルサレム女王イザベル1世と結婚しエルサレム王を兼ねた。エルサレム王としてはアモーリー2世ともいわれる。
結局兄エメリーの子孫がキプロス王を継いでいるのに、弟のギーに比べてエメリーは影が薄いですね。
エメリーの弟ギーはエルサレム女王シビーユと結婚しエルサレム王位にあったが、1190年のシビーユの死によりシビーユの妹イザベルが王位継承者となる中、1192年にはエルサレム王位を放棄する代わりにイングランド王リチャード1世よりキプロス島の割譲を受けた。ギーは1194年に死去し、キプロス島は兄エメリーが継承した。1195年にはエメリーは皇帝ハインリヒ6世からキプロス王の称号を与えられ、1197年に皇帝より派遣されたコンラート・フォン・ヒルデスハイムから王冠を受けた。
キプロス王国はその後300年ほどリュジニャン王朝が続きます。
また、同年、夫シャンパーニュ伯アンリ2世と死別したばかりのエルサレム女王イザベルと結婚し、エルサレム王位についた。
弟ギーに比べて兄エメリーの方がキプロスやエルサレムをきちんと統治しているのに影が薄いように思いました。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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