サラゴサ旧市街とゴヤ美術館

文字数 1,267文字

『スペイン旅行の写真』では引き続きサラゴサ旧市街の紹介をしています。作品集は下の写真から入ってください。
サラゴサの旧市街は本当に素晴らしい教会や大聖堂があるのですが、ゴヤ美術館もまた別の意味で強烈に印象に残りました。
ゴヤというのは僕たちの生きた時代よりかなり後の時代の画家ですよね。
1746年から1828年まで生きた人です。40歳代になってからはスペインのカルロス3世、カルロス4世の宮廷画家になって活躍しました。
スペイン王家は我々の生きた時代、ハプスブルク家とは変わっているのか?
はい、スペインのハプスブルク家ではカルロス2世に後継者がいなくて、ちょうど1700年、カルロス2世の死でハプスブルク朝スペインは終わり、フェリペ5世のブルボン朝が始まります。カルロス3世はフェリペ5世の子になります。
似たような名前の王様が続いているけど、僕たちの時代より200年以上過ぎているのですね。
スペインのハプスブルク家はオーストリアのハプスブルク家と血族結婚を繰り返してどんどん血が濃くなり、最後のカルロス2世は体も精神もかなり問題があったようです。それでも30代後半まで生き延びましたが、後継者ができる体ではなく、その死でハプスブルク朝スペインは終わります。
血族結婚が危険なことは古くから知られていたのに、それでも高貴な血にこだわって血族結婚を繰り返し滅びていったのか。
我々の時代では考えられないことだ。余は別に血族結婚を避けたわけではないが、カスティーリャやナバラだと面倒なことになると思い、フランス貴族の娘と結婚した。
余もモンペリエの相続人マリアと結婚している。領土が目的だが。
私の2番目の妻ビオランテはフランス人で同じ名前の娘もフランスに嫁いでいる。
こうやって考えるとアラゴンの王様はかなりの割合でフランス人と結婚していますね。
スペインとフランスとの関係はかなり強いです。フェリペ5世から後のブルボン朝もフランス系の王朝です。
ところがカルロス4世の時代、フランスでは大変な出来事が起きます。1789年のフランス革命です。フランス革命について簡単に説明するのは難しいのですが、この革命でフランスでは国王や王妃も処刑されました。
え、そんなことが起きるなんて信じられない。
革命の混乱の中、1804年にナポレオンが皇帝となりました。1807年にはナポレオンのスペイン侵攻が始まり、スペイン独立戦争が始まります。この時の状況をゴヤはたくさんの版画に残しています。
ゴヤ美術館には絵だけでなくたくさんの版画も展示されていました。スペインで何百年も続いた異端審問の様子と、フランス革命後のナポレオンの侵攻、2つの時代を生きたゴヤはその残酷さを伝えるたくさんの版画を残していました。
異端審問は長い間続けられ、スペインの歴史に暗い陰を落としている。
ゴヤの版画は日本でのゴヤ展でも見たことがありましたが、サラゴサのゴヤ美術館で見た時は量も多くて圧倒されました。トラウマになりそうな版画も多いのですが、スペインの歴史を伝える貴重な資料になっていると思いました。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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