ケプラーの不幸
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ケプラーは確かルドルフ2世のいるプラハに招かれ、ティコ・ブラーエの助手になって彼の20年分の観測資料を受け継ぐという幸運に恵まれた。天文学者として名前を歴史に残したのだから、幸運というか強い運命の星の下に生まれたのではないのか?
ケプラーの一族は元々はよい家柄でした。でも彼が生まれた頃にはすっかり落ちぶれていました。ケプラーのお父さんは傭兵でしたが家では妻に暴力をふるっていました。義父母からの嫁いびりもあり、ケプラーのお母さんはかなり悲惨でした。そしてお父さんはケプラーが子供の時に出て行ったきり戻ってきませんでした。戦死したのかそれとも別の場所で暮らしていたのかわからなかったのです。
カトリックの修道士のように生涯独身で神に仕えるというよりも、この時代のプロテスタントの聖職者は安定した地位と収入が得られるよい仕事だったのだと思います。でもその聖職者にもなれず、そして一族は没落して不幸になった者が多かった、その不幸の原因を知ろうとして、ケプラーは占星術にのめり込みました。
王の援助があって天体観測を続けたティコ・ブラーエと自分の不幸の原因を知ろうとして占星術にのめり込んだケプラーはプラハで出会います。それまでケプラーは宇宙に関する独自の本を出版して注目を浴びていましたが、彼を有名な天文学者にしたのは受け継いだ観測資料をもとにして考え出したケプラーの法則があったからです。