パレルモのエウゲニウス(1)
文字数 853文字
プトレマイオスについて調べていた時に『視学(光学)』はラテン語訳のみで残るが、ラテン語への翻訳は今は失われたアラビア語版から、パレルモのエウゲニウスによって1154年頃になされた、という部分が気になって、パレルモのエウゲニウスについて調べてみました。作品集は下の画像から入ってください。
パレルモにギリシア系の子として生まれる。ギリシア語とアラビア語を中心とした教育を受け、ラテン語も不得意ではなかった。彼が提督となった12世紀後半のシチリア王国では、教養を持ち多言語を操る、ギリシア人やアラビア人の行政官は珍しいものとなっていた。
当時のシチリア王国にはギリシア人もアラビア人もたくさん住んでいました。でも両方の言語を操れる人はそうたくさんはいない中、エウゲニウスはアラビア語も理解していて、プトレマイオスの『視学(光学)』のアラビア語版をラテン語に翻訳することができました。後にアラビア語版は失われていますので、パレルモという国際都市でたまたまギリシア語もアラビア語もできるエウゲニウスという人物がいたから、貴重な本が残ったことになります。