ブルターニュ公ジャン5世(6)
文字数 1,007文字
ジル・ド・レの所領を巡る争いの後、1440年にジルが教会で暴行事件を起こすと、家臣ジャン・ド・マレストロワを派遣してジルを捕え9月に裁判にかけ、10月に異端の罪で処刑した。裁判ではブルターニュの官僚が取り仕切り、ジルが犯したとされる少年誘拐および大量殺人はほとんど誇張、捏造の疑いが見られ、ジャン5世が裁判後にブルターニュ領内にあるジルの所領を没収していることから裁判の正当性に疑問が持たれている。また、事前にリッシュモンを呼び出してシャルル7世の干渉が無いか確かめ、協力のお礼に彼へジルから譲られた土地の一部を提供している。
ジャン5世は父と異なり平和的な性格で、ブルターニュ継承戦争を完全に終結させることに成功した。ジャン5世は常備軍とブルターニュにおける税制により、ブルターニュ公としての権威を保った。芸術と教会の後援者でもあり、いくつかの聖堂の建造を支援した。
ジャン5世は常に弟リッシュモンの有力な支援者であった。リッシュモンがイングランドの捕虜となると(結果的には解放されなかったものの)身代金を用意し、後にフランス元帥となったリッシュモンの常備軍の要であるブルトン兵を提供した。結果的にそれがフランス王シャルル7世の常備軍の基礎となり、フランス王権の強化の遠因となる。