ベルトラン・デュ・ゲクラン(1)
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ベルトラン・デュ・ゲクランは、ブルターニュのディナン近郊でラ・モット・ブローン城主ロベール2世・デュ・ゲクランとサンスの女領主ジャンヌ・ド・マルマンとの間の子として生まれた。若い頃は馬上槍試合が大好きな乱暴者として知られていた。また彼の顔立ちは「レンヌからディナンまでで一番悍ましい」と評された。
はじめブルターニュ公シャルル・ド・ブロワに仕え、ブルターニュ継承戦争に身を投じる。1353年頃からフランス王のために働き、「ノルマンディーとブルターニュにおける王の代理人」アルヌール・ドードレームの旗下で戦う。1354年4月10日、モンミュラン城において、コー地方の騎士にしてカーン城主ウスタシュ・デ・マレの手によって騎士に叙任される。
1356年から翌1357年までポントルソンの守備隊長ピエール=ド=ヴィリエの旗下で戦い、ジャン・ド・モンフォール(ジャン4世)に味方するランカスター公ヘンリー・オブ・グロスモント率いるイングランド軍の侵攻に対してレンヌを守り抜いた。この功により、1357年12月にトゥール貨で200Lの報酬と共に、ポントルソン守備隊長とモン・サン=ミシェル守備隊長に任じられる。1359年にはムランの包囲戦に参加するが、この年の終わりに初めて捕虜になる。
1360年には「バス・ノルマンディー、アランソン伯領、アンジュー、メーヌにおける王の代理人」となり、コタンタン半島のラ=ロシュ=テッサンの城を受け取る。同年に旗騎士となるも、終盤には2回目の捕虜となる。続いて「カーンとコタンタンのバイイ管区における守備隊長」になり、「ノルマンディーにおける総対象」、「ルーアンから、セーヌ川及びシャルトルのバイイ管区までにおける総大将」、最終的には1364年6月24日に「ロワール川からセーヌ川にかけての地域を範囲とする国王の代理人」になる。