ジェームズ1世(イングランド王)(6)
文字数 1,135文字
1589年、カトリック教徒のハントリー伯爵ジョージ・ゴードンにスペインと密約を交わした容疑が上がったが、寛大な処置で済ませた。同年、デンマーク=ノルウェーの王フレゼリク2世(フレデリク2世)の娘アンナ(アン)と結婚した。フレデリク2世はティコ・ブラーエを支援した国王で、当時は亡くなっていたが、ジェームズ6世はデンマークでブラーエと会っている。
翌1590年、国王の乗船が嵐に巻き込まれて沈没寸前になる出来事が起きたが、これに関して国王に反対する勢力が雇った黒魔術師による国王暗殺計画があったとして70名の女性が逮捕される魔女狩り騒動が起きている(ノース・ベリック魔女裁判)国王自ら参加し、後に自身の著書『悪魔学(デモノロジー)』の冒頭にこの事件を記述している。この裁判は、デンマークで行われていたものをジェームズ6世が初めてスコットランドに持って来て行った裁判で、魔女に「国王はサタンが相手する世界最大の強敵」「かの人は神の人」と証言させることで、国王の神性を高めるための目的もあったという。また『悪魔学』を通して、この裁判からシェイクスピアが影響を受けて『マクベス』が書かれたともいわれる。
ジェームズ6世はみずから『自由なる君主国の真の法』(1598年)という論文を書いて王権神授説を唱えた。ここでいう「自由な君主国」とは、王は議会からの何の助言や承認も必要なく、自由に法律や勅令を制定することができるという意味である。さらに1599年には『バシリコン・ドローン(古代ギリシア語で「王からの贈り物」の意味)』を著述し、国王から長男ヘンリー・フレデリックに向けた手紙という形式で君主論を論じている。国王は政治の主題とするテーマに精通しているべきや、世界史・数学・軍事についての教養の必要性、スピーチは分かりやすい表現でなど、良き君主になるための自身の経験や教訓によって書かれている。この本はその後、ヘンリー・フレデリックの弟で次男チャールズ(後のチャールズ1世)にも読ませている。