ティコ・ブラーエ(31)

文字数 801文字

ティコ・ブラーエについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
ティコ・ブラーエの最初の伝記は1654年にピエール・ガッサンディによって書かれた。これは科学者の全人生を網羅した初の伝記でもある。1779年、ティコ・デ・ホフマンはブラーエ家の歴史についての著作の中でティコ・ブラーエの一生を書いた。1913年、ドライヤーはティコ・ブラーエの著作集を出版し、さらなる研究の足掛かりを築いた。
いろいろな時代の人が伝記を書いているのですね。
現代における初期のティコ・ブラーエ研究は彼の天文学的モデルの欠陥を重視し、彼をコペルニクス革命の受け入れに抵抗する頑迷な神秘主義者として描くと共に、ケプラーが惑星運動の法則を考案することを可能にしたティコの天体観測についてばかり評価する傾向があった。
正直私もこのように考えていました。
特にデンマークの学界では、ティコ・ブラーエは凡庸な学者かつ国家に対する反逆者として描かれていた(恐らくこれはデンマークの歴史学における戦士としてのクリスチャン4世の役割の重要性から来ている)
このような理由で評価は大きく違ってしまうのですね。
20世紀の後半、学者たちはティコ・ブラーエの価値について再評価を始め、クリスチャン・ピーザ・モースゴー、オーウェン・ギンガリッチ、ロバート・ウェストマン、ビクター・E・ソレン、そしてジョン・R・クリスティアンソンらによる研究がティコの科学に対する貢献に焦点を当て、そしてティコがコペルニクスを賞賛しつつも単純に彼の基本的な物理理論をコペルニクスの見解と整合させることができなかったことを証明した。クリスティアンソンの研究は科学者たちのための教育センターとしてのウラニボリにおけるティコの影響を示した。この科学者たちはブラーエと共に学んだ後、様々な科学分野で貢献した。
ティコ・ブラーエの価値は20世紀後半になってやっと再評価されたようです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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