ロベール2世(2)
文字数 863文字
1100年に十字軍から帰路の途中でウィリアム2世が亡くなった知らせを受けたが、ノルマンディに戻った時には既に弟のヘンリーが王位に就いていた。このため、王位を主張してイングランドに侵攻したが、イングランド諸侯の支持を得られず、ヘンリー1世(碩学王)の王位を認めざるを得なかった。
その後もイングランドの反乱者と組んでヘンリー1世と対抗したため、1105年からヘンリー1世によるノルマンディー侵攻を受け、1106年にタンシュブレーの戦いで敗れて捕らえられると、ノルマンディー公位を奪われ、生涯幽閉された。
ロベール2世はタンシュブレーの戦いの時が52歳、亡くなったのが80歳ぐらいなので、30年近く幽閉されていたことになります。ウィリアム1世はノルマン朝の開祖として有名ですが、その長男が弟との争いに敗れてこのような形で亡くなっているというのはショックでした。
1100年、十字軍から帰路の途中でコンヴェルサーノ伯ゴッフレード(ロベルト・イル・グイスカルドの甥)の娘シビラと結婚、息子を1人儲けた。
・ギヨーム・クリトン(1102年ー1128年)、フランドル伯(ギヨーム1世、在位1127年ー1128年)
また、以下の諸子を儲けた。
・リシャール(1079年頃ー1100年5月)ニュー・フォレストで狩りの最中に死去。
・ギヨーム(1079年頃ー1111年)リシャールと同母兄弟。1106年以降に聖地に向かい、トルトーザ領主とされた。
・娘、アルク伯エリー・ド・サン=サンスと結婚。