ブルターニュ公ジャン4世(1)

文字数 934文字

ブルターニュ公ジャン4世について紹介します。作品集は下の画像から入ってください。
これはフロワサールの年代記に登場するジャン4世と書いてありました。
ジャン4世・ド・ブルターニュ(1339年ー1399年)はブルターニュ公。ジャン征服公、ジャン勇敢公とも呼ばれた。ジャン・ド・モンフォールとジャンヌ・ド・フランドルの長男。
征服公とか勇敢公というのはかっこいいあだ名ですね。
余の息子ハイメ1世は征服王というあだ名がついている。
ブルゴーニュのバカ息子の無怖公というのは、いい意味でつけられたのではないと思いますが、勇敢公はいい意味でしょう。
ブルターニュ継承戦争(百年戦争)の中の1345年に父が急死すると、リッチモンド伯とモンフォール伯位を継承し1364年までブルターニュ公の座をシャティヨン家(パンティエーヴル家)のシャルル・ド・ブロワと争った。オーレの戦いでブルターニュ・イングランド連合軍が勝利すると、1365年4月12日に調印されたゲランド条約でブルターニュ公であることを認められた。以後、ジャン4世のドルー家(モンフォール家)がブルターニュ公位を継承していった。
結局勝った者、生き残った者が公位を継承していくのですね。
1345年に父がシャルル・ド・ブロワとの戦いで戦死した時、ジャンはわずか6歳だったが、母ジャンヌ・ド・フランドルが戦いを継続し、勝利を収めていった。ジャンは1357年から軍事作戦に参加し、1364年にブロワ伯が攻撃の準備をしていることを知りオーレーを包囲した。
6歳で父が戦死し、母が戦い続けたというのはかなり壮絶ですね。
イングランドのエドワード黒太子が送り込んだ援軍に助けられて敵軍を粉砕し、オーレの戦いでブロワ伯を敗死させた後、彼の未亡人でジャンの従姉でもある「女公」ジャンヌ・ド・パンティエーヴルと交渉を行い、翌1365年に自らを単独のブルターニュ公であると認めさせた第1回ゲランド条約に調印、ブルターニュ公ジャン4世となった。またこの際、ジャン4世はフランス王シャルル5世に臣従することも定められたが、形式はブルターニュの独立を妨げない単純臣従とも決められ、献身臣従でないことが両家の間の了解となった。
ブルターニュとフランスの関係も複雑ですね。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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