ティコ・ブラーエ(15)
文字数 804文字
1588年、ティコの支持者であったフレゼリク2世が死亡し、またティコの偉大な研究成果、2巻本の『Astronomiae Instauratea Progymnasmate (Introduction to the New Astronomy)』が出版された。
ただし1572年の新星について記した第1巻は準備がまだできていなかった。これは、1572年から1573年にかけて観測機会が減少していたので、屈折、歳差運動、太陽の動きなどの影響を補正するためにより多くの研究が必要であったためである。
これはティコの存命中には完成しなかった(1602/1603年にプラハで出版された)が、1577年の彗星を取り扱った第2巻の「De Mundi Aetherei Recentioribus Phaenomenis Liber Secundus(第2巻天界における最近の現象について)」はウラニボリで印刷され、複数のコピーが1588年に発行された。この本には1577年の彗星の観測に加えて、ティコが考案した宇宙体系について記されていた。
1580年以降の彗星を同様の手法で取り扱った第3巻も企画されたが、1585年の彗星について多くの観測結果がまとめられたものの、それが出版されることはなく、書かれることもなかった。これらはこの彗星の観測結果と共に1845年に初めて出版された。